花籠を食べているのか?
竹花籠を見直してもらいたいと思っています。自分の母親世代では花嫁修業としてお茶やお花を習った方が多く、その当時は竹製の花籠は驚くほど編まれていたのです。職人の中には、あまりの注文の多さに「この花籠を誰か食べているのか?」と冗談を言うほどでした。しかし、今では誰にも見向きされなくなり日常使いの花籠を作って生活している職人には、とんと会ったことがありません。ただ、竹花籠に魅力がないかと言えば決してそんな事はなくて、世情や住宅環境の変化にあわせた活かした方はあるのではないかと思っています。
虎竹蛇籠という昔からある定番の花籠を、若い女性社員に見せても使い方を知りませんでした。竹編みの籠は毎日見慣れているはずなのに、はじめて見る花籠の足は一体何のためのものか困惑しています。ああ、なるほどと思い出したのが随分前にアメリカの竹作家に連れられてニューヨーク近代美術館 (MOMA)に行った時の事なのです。実はそこで花籠の奇妙な使い方がされているのに違和感を持ちましたが、もしかしたら花籠を知らない世代はこの時の海外から日本の竹を見る感覚と同じなのでは?それなら実は花籠が見向きされていないのではなくて、存在を知らないだけではないでしょうか。
若い世代にしたら竹花籠は、今まで見た事も触った事もない未知の新製品なのです。華道のように決められた花材をルール通りに活けるのは美しいけれど、名前も知らない花を自由に活けて気楽に楽しめる花籠の生活を知ったら、長らく出番がなくてずっと我慢強く待っている竹たちに光を当てることが出来るかも知れないと思っているのです。
※保管方法
保管の際には直射日光を避け、風通しの良い場所でお願いいたします。ビニール袋など通気性の悪いものにいれての保管はカビの原因となりますのでご注意ください。
※細い竹の毛羽立ちが出ている場合がございますのでお取り扱いにはご注意ください。