時間を忘れる工房
親子三代に渡ってお世話になっている渡辺竹清先生のご自宅兼工房は、別府市内の閑静な住宅街にあります。庭いっぱいに並べられている小品盆栽の緑の向こうの大きなガラス窓に、作品作りをされている渡辺先生の姿がありました。先生の工房には二代目である祖父と共に、あるいは父と、母と、ある日は弟である工場長と、そして一人で、いったい何度お邪魔させていただいたか分かりません。しかし、何度お伺いさせてもらっても、いつも変わらず何か心落ち着く居心地のよさがあり、ついつい長居をしてしまうのが常で、実は帰りのフェリーの時間を遅らせたことも一度や二度ではないのです。
「100年経った煤竹に、次の100年の命を吹き込む」
渡辺先生の言われた忘れられない言葉です。煤竹は長い長い風雪を越え、囲炉裏の煙にいぶされて育まれた自然の意匠。古い民家がなくなる中で消えつつある煤竹も、素材ままであれば忘れられてしまうかも知れない。けれど、こうして作品として命を吹き込む事により、また次の100年を愛用していただける方と共に生きてもらいたい。そんな先生の思いが込められているのではないかと思います。
秘蔵の品
手のひらに乗ってしまいそうな可愛いサイズの小籠。まさに芸術品だと思いました。どうやって使おうか?何を入れてしまおうか?考えているだけでわくわくしてたまらなくなり、先生にご無理を言って譲り受けたのは、もう何年も前のことです。時々、桐箱から取り出して手に取って眺めては、美しい本煤竹の色合いの違いを楽しみ、繊細な編み目に改めて驚嘆し、籠の微妙なふくらみのラインにため息をつくのです。
日本の伝統、日本の誇り
日本の手仕事やモノづくりは思ったより空洞化が進み、伝統の継承が難しいと感じています。だからこそ、日本の自然と暮らしの中で育まれ生み出された煤竹を使って日本の伝統の技で編まれた、渡辺竹清先生の究極の逸品をお伝えしたいと思います。日本の伝統、日本の誇りがここにあります。
ひとつだけ
煤竹は100年も前の竹なので、その扱いが至難の業。普通の竹素材のように竹ひごを取ることさえままならない竹もあるのです。先生の創作される作品もとても少なく、もともと自分個人が持ち帰って「おじいちゃん、これ見て」と、竹に一生を捧げた祖父の霊前で一緒に楽しみたい、そんな思いで先生より譲られた中のひとつです。
木の葉
小籠は、上蓋をしっかり留めるために組紐が使われます。その組紐を竹籠本体に取り付けるのに、目抜きといわれる金具を飾りにしています。目抜きは元々は、昔の武士が持つ刀が柄から抜けないように留められていた、大事な箇所に使われていた物。いろいろなデザインがあり、骨董品などを見ていると当時の職人の技術力と遊び心に感激します。この作品には、先生が小籠用にと取っておいた銀製の木の葉型の金具が使われています。
小物入れになる内蓋
上蓋をとると、小物いれになる内蓋が付いています。内蓋とはいえ同じ煤竹を使い同じ緻密な網代編みでつくられ、籐かがりを丁寧に仕上げられています。上蓋をあげた時に、まず目に入るちょっとした小物入れの空間…、あの指輪をしまおうか、あのジュエリーを入れようか、思いを巡らせるのも楽しく豊かな時間なのです。
内張り
内張の生地には、上品で落ち着いたグリーンの古布を使っています。また、組紐は当社とも先々代からのお付き合いのある伊賀組紐の職人さんにお願いしています。先生の作品に負けないよう、そして作品の雰囲気をこわさない組紐を選んでみました。
網代編みの巨匠 渡辺竹清
昭和 7年 竹芸師・清の次男として生まれる
昭和41年 「竹清」を襲名
昭和53年 日本伝統工芸展入選
昭和54年 有名宝石店T社専属デザイナー エレザ・ペレッティ女史と出会う
昭和58年 日本工芸会正会認定 伝統工芸士に認定
竹に新たな命を与える
まさに、網代編みの巨匠という名にふさわしい渡辺竹清氏。網代編み(あじろあみ)では右に出る者はいないと言われる最高峰の技術で、100年経った煤竹を編み上げる究極の技。伝統的な技が、竹に次の100年を生きる新たな命を吹き込んでいきます。
幻のパーティーバッグについて
有名宝石店からの依頼
世界的に有名な宝石店T社のニューヨークの本店には実に様々な商品が並べられていています。日本でもお馴染みで、世界中の人々に愛される数々の作品を生みだされてきた、イタリアはフィレンチェ生まれ、ファッションモデルとして活躍した後、女性デザイナーとなられた方がおられます。彼女のデザインしたものの中には日本からインスピレーションを受けたものもあり、湯飲み茶碗に取っ手をつけたコーヒーカップや昔の和箪笥の金具をモチーフにした作品など、今の日本人が忘れかけているはっと気づかせられるそんな作品もあります。渡辺先生は最初このデザイナーから、パーティーバッグ製作依頼が来た当時、横文字のブランド名に「なに、レストランか何か?」と言われたそうです。
しかし、この日本を代表する巨匠と世界的デザイナー、それに百数十年の眠りからよみがえった煤竹(すすだけ)という最高の素材が加わってパーティバッグは生まれました。某ハリウッドスターの奥様がどうしてもと言って追加注文を一度受けた以外は毎年限定販売ですぐ完売。だから幻のパーティーバッグと言われていたそうです。
二代目義治からゆずられた宝物
それは、渡辺先生と非常に懇意だった竹虎二代目からゆずられた、煤竹製のパーティーバッグ(プロトタイプ)です。このバッグを創作するため渡辺先生とデザイナーの方が通訳を介し、夜を徹して話し合って試行錯誤を繰り返していたときに試作された一点だそうですから、苦心の重みが感じられ、なお一層大事に思っています。
年に一度、元旦に着物を着ての初詣の時にだけこのバッグを持ちます。世界最高のデザインと技。100年の竹の重みに竹虎の歩み、敬愛する祖父への思いなどが交錯します。どこにもない至宝を手にする緊張感でピンと背筋の伸びる思いです。
長い時間が育む煤竹
煤竹(すす竹)は、古民家の囲炉裏の煙でいぶされた竹の事です。茶褐色の色目はいぶされて自然についたもので、縄目には色が着かずに残ったものもあります。中には100~150年も前の竹もあり茶道具などにも珍重されますが、現在では囲炉裏のある家屋がありませんので今後、ますます貴重な素材なのです。
以前京都のお取引先さんのところに立派な煤竹(すす竹)がおいてありましたのでお値段を聞いてみると、なんと1本100万円との事に驚きました。そんなわけで古い民家を壊すと聞きますと、県外までトラックを走らせて竹をいただきに行くこともあるのです。
サイズ
天然素材を手作りしておりますので、形や色目、大きさが写真と若干違う場合があります。