20数年前にタイムスリップ、網代編みの巨匠が織りなす極上の御所籠
本店の棚の奥に鎮座したまま今まで誰にもご紹介することの無かった20数年前の作品。色褪せた部分が更に面白みと円熟味を加えるように思わせるのは渡辺竹清先生の作品ならではかも知れません。
たくさんの鶴が舞うめでたい意匠
煤竹と染め上げた真竹の竹ひごを使うことにより模様が浮き上がるようなあしらいにされています。繊細で美しい竹編は、鶴が舞うように見えることから鶴文様とも呼ばれる面白い編み目です。
鶴模様の濃淡について
時間の経過とともに染め上げた真竹の色合いがそれぞれ違ってきています。底部分の文様はくっきりと残り、逆に上蓋部分は薄くかすかな色目となっています。
内張り
竹編みの見事さだけでなく、内張も丁寧に仕上げられています。内底の写真右側に経年によるシミがあります。 口部分の籐巻きの丁寧さに技術の高さを伺い知ることができます。
虎の目抜き
目抜きとは刀のさやに付けられる部品なのですが、竹虎らしく雰囲気のある虎の目抜きを留め金具に使っていただきました。
網代編みの巨匠 渡辺竹清
昭和 7年 竹芸師・清の次男として生まれる
昭和41年 「竹清」を襲名
昭和53年 日本伝統工芸展入選
昭和54年 有名宝石店T社専属デザイナー エレザ・ペレッティ女史と出会う
昭和58年 日本工芸会正会認定 伝統工芸士に認定
竹に新たな命を与える
まさに、網代編みの巨匠という名にふさわしい渡辺竹清氏。網代編み(あじろあみ)では右に出る者はいないと言われる最高峰の技術で、100年経った煤竹を編み上げる究極の技。伝統的な技が、竹に次の100年を生きる新たな命を吹き込んでいきます。
幻のパーティーバッグについて
有名宝石店からの依頼
世界的に有名な宝石店T社のニューヨークの本店には実に様々な商品が並べられていています。日本でもお馴染みで、世界中の人々に愛される数々の作品を生みだされてきた、イタリアはフィレンチェ生まれ、ファッションモデルとして活躍した後、女性デザイナーとなられた方がおられます。彼女のデザインしたものの中には日本からインスピレーションを受けたものもあり、湯飲み茶碗に取っ手をつけたコーヒーカップや昔の和箪笥の金具をモチーフにした作品など、今の日本人が忘れかけているはっと気づかせられるそんな作品もあります。渡辺先生は最初このデザイナーから、パーティーバッグ製作依頼が来た当時、横文字のブランド名に「なに、レストランか何か?」と言われたそうです。
しかし、この日本を代表する巨匠と世界的デザイナー、それに百数十年の眠りからよみがえった煤竹(すすだけ)という最高の素材が加わってパーティバッグは生まれました。某ハリウッドスターの奥様がどうしてもと言って追加注文を一度受けた以外は毎年限定販売ですぐ完売。だから幻のパーティーバッグと言われていたそうです。
二代目義治からゆずられた宝物
それは、渡辺先生と非常に懇意だった竹虎二代目からゆずられた、煤竹製のパーティーバッグ(プロトタイプ)です。このバッグを創作するため渡辺先生とデザイナーの方が通訳を介し、夜を徹して話し合って試行錯誤を繰り返していたときに試作された一点だそうですから、苦心の重みが感じられ、なお一層大事に思っています。
年に一度、元旦に着物を着ての初詣の時にだけこのバッグを持ちます。世界最高のデザインと技。100年の竹の重みに竹虎の歩み、敬愛する祖父への思いなどが交錯します。どこにもない至宝を手にする緊張感でピンと背筋の伸びる思いです。
長い時間が育む煤竹
煤竹(すす竹)は、古民家の囲炉裏の煙でいぶされた竹の事です。茶褐色の色目はいぶされて自然についたもので、縄目には色が着かずに残ったものもあります。中には100~150年も前の竹もあり茶道具などにも珍重されますが、現在では囲炉裏のある家屋がありませんので今後、ますます貴重な素材なのです。
以前京都のお取引先さんのところに立派な煤竹(すす竹)がおいてありましたのでお値段を聞いてみると、なんと1本100万円との事に驚きました。そんなわけで古い民家を壊すと聞きますと、県外までトラックを走らせて竹をいただきに行くこともあるのです。
サイズ
天然素材を手作りしておりますので、形や色目、大きさが写真と若干違う場合があります。渡辺竹清先生の裏書きの入った桐箱入りです。