虎竹のある暮らし
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第37回明徳義塾高等学校卒業式

第37回明徳義塾高等学校卒業式
第37回明徳義塾高等学校卒業式


明徳卒業生代表スピーチ
明徳義塾中学校・高等学校は、四国は高知県にある全国でも有名な中高一貫の私立中学校・高等学校です。須崎市の浦の内、美しい海に囲まれた横波半島にキャンパスを構えた竹虎四代目の母校でもあるのです。

平成27年3月1日(日)に第37回明徳義塾高等学校卒業式で、何と竹虎四代目が卒業生代表スピーチという大役を任せられることになりました。明徳の卒業生スピーチと言うと普通の講演ではありません。

「明徳生に手渡す魂のバトン」
「最後の教育の日」
「1日だけの人間教育」

こんな大役が自分に務まるのだろうか? 一世一代のスピーチの日が、始まります。
名門、明徳義塾
明徳の名前が全国に轟くのは何と言っても、その華々しいスポーツでの活躍です。国内外から集まるアスリートの卵達がこの明徳で鍛えられ成長していきました。

竹虎四代目の同級ではロッテで活躍した横田真之氏、巨人でもピッチャーとして活躍した河野博文氏はじめ、 相撲部からは朝青竜氏、ゴルフ部からは松山英樹氏、横峯さくら氏、他にもサッカーやバスケット等でも名だたる有名プロスポーツ選手を多数輩出しているのです。



明徳生活は真っ暗闇だった。
何をやっても中途半端な学生時代
輝かしい先輩や後輩に囲まれた竹虎四代目の明徳生時代はと言いますと、実は失敗ばかりでした。やりたいことも目標も見つけられないまま、諦める理由や逃げる理由ばかりを探し続ける毎日だったのです。
明徳倶楽部
校則違反の連続、どのクラブでも長続きしない自分が強制的に入部していたのが明徳倶楽部。又の名を勤労学習部と言いましたが簡単に説明するなら土木作業部です。当時の明徳は拡張期でもあり山を削り、道をつけ、新しい建物を次々に作っていましたが、その下働きをするのです。

このグランドに立てられているネット用の電柱も自分達がツルハシとスコップで穴を掘り立てたものです。
地獄への坂道
明徳時代に全寮制の生活の中で実家に帰省するできたのは本当にわずかな期間だけでした。中学の頃には、1年でたったの4日しか家にいられなかった覚えがあるのです。

横波半島は昔は「陸の孤島」と呼ばれた周りから遮断された環境にあります。そんな場所で当時はテレビ、ラジオ、漫画など全て禁止。下界から完全にシャットアウトされた生活でしたので楽しい帰省から明徳に帰ってくるこの坂道を車で下る時は何とも言えない嫌な気持ちでした。まるで地獄へ下りていくような、正直そんな思いの6年間でした。

ふたりの恩師
ふたりの恩師
吉田幸雄学校長と野中義一先生
明徳義塾には吉田幸雄校長先生と、もう一人片腕とも言える野中義一先生という二人の偉人がいらっしゃいました。どちらかが居られなかったたら今の明徳はなかった、そして今の自分もなかったとも思うのです。

あれは高校二年の三学期の終わりの事。当時、自分は何が出来るのか、何をして良いか分からず校則違反ばかり起こしては謹慎を繰り返す退学寸前の問題児でした。自分を何とか変えたくて、野中義一先生に相談しに行きました。何としても明徳だけは卒業したい一心でお話しさせてもらいました。中途半端で何をやってもダメな学生生活でしたが、もし卒業まで出来ないとなると、それからの自分は本当に何をやっても出来ないような気がしていたのです。
寮長「山岸義浩」誕生
寮の部屋替は六年間、学期が変わるごとに繰り返されます。この部屋替えは、明徳の全校生徒が大移動する一大イベント。ですが、高校3年生1学期の発表は自分にとり本当に特別でした。30数年経った今でも忘れる事ができません。

なんと自分の名前の上には「寮長」と書かれていたのです。退学寸前、何をやっても駄目な自分が寮長?最初は何の事やら分からず呆然としていました。でも、この1学期が自分を変えました。自分はこの1学期のために明徳に入学したと思える程なんです。
恩師の横顔
その朝の事は目を閉じると、まるで昨日の事のように鮮やかに思いだされます。

あの少し冷たい空気、青く晴れ渡った空、周りを緑に囲まれたグランドでの朝礼の事でした。
寮長には大きな仕事が待っっています。それが全校生徒の前に立っての号令かけ。生徒600人の前に立つと、そんな資格のない自分に視線が集まっている気がします。「お前に寮長は無理だ」そんな声が聞こえてきます。元々、人前で号令などかけた事のない生徒が急に前に出されて緊張で声が震えます。

「お前に寮長は無理だ」

何を言うたのか、何をしたのか頭の中は真っ白です。明徳の整然とした規律正しい朝礼が、この朝は初めてザワザワと乱れました。

「やっぱり、自分には無理だ」

すっかり気弱になり、横目で左側の朝礼台に立つ吉田幸雄校長先生を見上げました。 すると、校長先生は、全く何事もないかのように涼しい顔で真っ直ぐに前を見据えています。

「ええっ!?こんなダメな自分を待ってくれている?」

その横顔を見てハッとしました。600人が止めろと言うているのに、校長先生は信用してくれている。自分の出す号令を待っていてくれる。そこに居ても、居なくても、誰にも気にとめられない。自信がなくて逃げてばかりの自分の心に火がついた瞬間でした。

吉田幸雄校長先生と野中義一先生との出会いが今の竹虎四代目を作りました。竹虎の会社には恩師である吉田幸雄校長先生の大きな額縁が飾られています。いつでもあの時と変わらぬあの横顔が竹虎を叱咤激励し、支えてくれているのです。



新しいスタートを切る日
明徳の卒業生スピーチは吉田圭一校長先生がオーストリアの姉妹校の卒業式に出席た時に感動して取り入れた明徳ならではのスピーチです。

「明徳生に手渡す魂のバトン」
「最後の教育の日」
「1日だけの人間教育」


と言う位置づけだけあって、卒業して数十年たったスピーカーも当時の明徳の生活を振り返り、今の自分の行き方に明徳精神が息づいている事を感じる一日となります。そして、ハレの日を迎えられる卒業生と共に同じように、もう一度明徳を卒業して新しいスタートを切る事ができる日となるのです。



打ち合わせは5ヶ月前から!
卒業スピーチは2015年3月1日。ところが打ち合わせに明徳義塾へ足を運ぶことになったのは前年2014年11月のこと...。なんと5月も前から入念に準備を行われているのです。やはり、ただのスピーチとは違います。気合いの入り方が凄いのです。

卒業生スピーチ担当の上河扶紀枝氏は明徳第1期生でもあり、第一回目のスピーカーでもあります。明徳への思いも人一倍、卒業生スピーチを通して卒業生はもちろんスピーチする本人にも大きな学びを感じてほしいと考えられているのです。



卒業式 打ち合わせ
卒業式の前日打ち合わせで久しぶりに明徳のグランドバックネット裏にある「一刻生涯」の文字を見にいきます。吉田幸雄校長先生が、いつも口にされていた言葉です。
食堂に食券機が!?
ちょうどお昼時でしたので食堂でランチタイムにしました。外から来られる方が多くなったのか当時はなかった食券機が用意されています。メニューも2つの中から選べるようになっていたり、明徳ベーカリーというパン屋さんもあるようです。自分達の頃と比べると、かなり食の環境は良くなっているようです。
明徳中学野球部元監督
明徳中学の3年間は野球部でした。万年補欠でしたが元野球部監督の吉田先生と偶然バッタリ、昔話しに花が咲きます。
箸とらば
明徳義塾中学・高等学校の食堂には「箸とらば」の歌詞が掲げられています。

「箸とらば天土神の御恵み 君と御親のご恩味わう」

食事を頂く前に感謝の気持ちを込めて必ず合唱していた伝統の儀式です。

あの頃
中学、高校時代は食べ盛りです、ドンブリに山盛りご飯を持った生徒さんが行き交う食堂であの頃を探しよります。礼儀正しく挨拶してくれる生徒さんたち、自分の食べた食器を黙って片付けてくれる生徒さん。

やっぱり明徳です。明徳精神はここにあるのです。
明徳OB
高校野球部で活躍された明徳OBが総務の先生として頑張られています。さすが、スポーツで培った気持ちの良い対応。
会場下見
「当日はここまで座席になります。」1000数百名が参加されるという卒業式を創造しながらドキドキです。卒業生の皆様にとっても、自分にとっても一度しかない3月1日のイメージをしながら打ち合わせさせて頂きました。
34年ぶりの体育館
バスケットコートが2面とれる広い体育館の壇上に立ってみます。ここに立つのは高校卒業式の日以来、実に34年ぶりの事なのです。
第68代横綱、朝青龍関
あの朝青龍関もモンゴルから明徳義塾に留学し、相撲部で鍛たわれて強くなりました。堂々とした大きな額縁が体育館に掲げられていました。
あの日のグラウンドに誓う
明徳義塾に久しぶりに訪れた際、思わず駆け寄ってしまったグラウンド。この場所こそ、かつて寮長だった竹虎四代目が最悪の朝礼時間を痛感し、そして吉田幸雄校長先生に無言の叱咤激励を受けた思い出の運動場です。きっと吉田幸雄学校長先生は、あの時と変わらぬ眼差しで自分の卒業生代表スピーチを見守ってくれているに違いありません。

「絶対にこのスピーチは成功させる!」

あの日のグラウンドに卒業生代表スピーチの成功を、一人熱く静かに誓うのです。
愛のムチ
正直これほどスピーチの練習をした事はありません。いや、出来ないと思うのです。明徳の第一期生は、本当に何もない所から歴史をつむぎだされた少し特別な存在と感じています。在学中は雲の上の存在で、一言もお話する機会すらなかった大先輩からの猛特訓には感謝の一言です。上河扶紀枝先生は、このような著書もある大活躍されるカウンセラーです。
ハートセラピー 上河扶紀枝 著
サイバーエージェント社MailVision誌上で話題沸騰した家族や友人に相談したり、病院や職場でカウンセリングを受けられない方々のためのメールカウンセリングの記録。

20年近い臨床経験を活かし、臨床心理士の上河扶紀枝先生がメールで応える読者5万人のメールマガジンが本になっています。





いよいよ卒業式当日です!!
いよいよ卒業式当日です!!



卒業証書授与式
校歌「明徳学舎の歌」を全員で斉唱した後、卒業生176名に卒業証書が授与されました。証書を受けとる生徒さんの顔つきは皆、精悍で今にも世界に飛び出していきそうな頼もしさを感じます。
吉田圭一 学校長 告辞
吉田圭一学校長から告辞です。一人ひとりの目を見ながら、直接語りかけるような優しく力強い学校長の告辞は、卒業生の心の奥底まで響いたのではないでしょうか。






厳かに式は進んでいき...





そして、いよいよ!?





竹虎四代目の卒業代表スピーチ!!




卒業生代表スピーチ
卒業生の皆様、保護者の皆様、ずっと温かく見守り続けて来られた先生方、本日は、まっことおめでとうございます!只今ご紹介頂きました第三期卒業の山岸義浩と申します。私がこの壇上で卒業証書を、今は亡き吉田幸雄校長先生から頂きましたのは、もう34年前の事になります。卒業証書を手渡してくれながら先生は言われました。

「おんしゃあ大学は決まったか?」
「いえ、実はまだ決まっちょりません。」
「よし、分かった...。」
明徳の6年間、何をやっても中途半端。スポーツで目立つワケでもなければ、勉強で秀でる事もなく、そこに居ても居なくても誰も気にもとめないような生徒やったがです。

けんど、校長先生は自分の事を見てくれちょった。この壇上にあがり、証書を手にして始めて知ったがです。そんな吉田校長先生の期待にそって、近畿大学に進学。卒業してからは、ここ明徳と同じ須崎市にある創業120年という老舗竹屋を継いで、今に至っちょります。
虎斑竹を次の100年へ
竹屋と言いましたが、あまり聞き慣れない業種かも知れません。実は須崎市の安和、虎竹の里には、わずか1.5キロの間口の谷間にしか成育しない虎模様の入る不思議な竹があります。イギリスbbc放送が取材に来たり、数年前にはユニクロともコラボTシャツを制作するような珍しい竹です。
自分達は、この100年に渡り、守られてきた竹文化を、次の100年に継承していくことを大きな経営の柱として考えちょります。
「おんしゃあ、日本一の竹屋やろうが!」
自分の明徳生活は真っ暗でした。虚しく何の気概もない毎日をただ過ごしているだけで、スポーツや勉学で自分を精一杯出して頑張っている周りの皆がうらやましく思えました。そんな中で、校長先生が繰り返し言われた言葉が忘れられません。

「おんしゃあ、日本一の竹屋やろうが!」

中学校の野球部でレギュラーになれなかった時、高校で停学処分になった時、ふがいない自分を見つけては、そんなダメな男が日本で其処にしかない竹を守れるのか、やっていけるのか、竹屋になれるのか!?いつも問いかけてくれ、励ましてくれよりました。当時は、そんな事が全く分からず竹屋など大嫌いで格好悪いとばかり思いよりましたので、その言葉がイヤでイヤでたまらんかったがです。再び、その言葉を思い出したのは、大学四回生の夏の事でした。実家の竹屋に帰省中に、不思議な体験をしました。「ちょっと、ココへ来てみいや。」深夜の真っ暗な竹工場から声が聞こえるのです。その声に導かれて行ってみると火事でした。竹は油分のとても多い植物です。燃え始めると手が付けられません。まるで、化学工場の火事のように、次の日の昼まで燃えて燃えて、工場は全焼しました。けんど、その燃えさかる炎の中で、その炎よりも更に大きい火が心に点いたのを感じたがです。「おんしゃあ、日本一の竹屋やろうが!」今思えば、いつも叱咤激励してくれよった、あの声。自分がこの窮地を救わずして誰がやる!?あの日、自分は大嫌いやった竹屋を継ぐ事を決めました。

ところが、入社しても竹屋の仕事は典型的な3K。キツイ、汚い、危険...景気のよい時代やったので周りの皆が輝いて見えて、それは明徳で何ひとつ達成できず、人をうらやんでばかりの自分と全く同じでした。竹は衰退産業そのものでした。年々落ちていく売上げ、自分ではどうしようもない閉塞感の中で、もがいて、もがいて、そして大きな借入金の中、会社の倒産も時間の問題のように思いよりました。いよいよ自信も無くなり、なんの光も見えなくなったと思い詰めたある日、一人のお客様の言葉が胸に刺さりました。

「あなた方の仕事は素晴らしい、私は竹を見ると癒される」あんな誰も見向きもしない竹を素晴らしい?癒される?信じられませんでした。でも、お客様の真剣な目を見た時、涙があふれて、止まらんなりました。そして、もう一度思い出しました。あの校長先生の声「おんしゃあ、日本一の竹屋やろうが!」自分が諦めてしもうたら、この日本に唯一の虎竹は世の中から無くなってしまうろう。沢山の職人さんの仕事はどうなる?竹を素晴らしいと言うてくれるお客様はどうなる?
竹虎の原点は明徳にある。
もう一度だけやってやる。そういえば、明徳の校章はタンポポです。「踏まれても咲くタンポポの笑顔かな」と校長先生も言いよった。タンポポは何回踏みつけられても、又生えて綺麗な花を咲かせるのです。倒産して無くなりかけていた竹虎がインターネットでの情報発信に活路を見いだした出発点は、すべて明徳にありました。

「おんしゃあ、日本一の竹屋やろうが!」

昔、自分が何度も何度も全校生徒の前で怒鳴られた言葉は、今では自分の誇りとなり、自信となり、支えとなって、毎日の朝礼や全社会議で自分が口グセのように言いよります。
人生には導いてくれる師が必要だと思います。それは人の場合もあるし、もしかしたら明徳という学びの場そのものかも知れません。

自分は吉田校長先生という師のお陰で竹を諦める事なく、此処まで来る事ができました。昔は面白くなくて辞めたいとばかり思っていた仕事が、このように楽しく出来るようになり、胸を張れるのは、諦めずやり抜いて来たから、自分が「やりがい」を見つけられたからなのです。
明徳精神でやり抜いていく。
最後に、竹のお話をさせて頂き、終わりたいと思うちょります。人が竹に学ぶ事は、幾つかあります。竹は真っ直ぐに天を目指して、わずか3ヶ月で20数メートルの成長をします。けんど、強風が吹いてもしなって、折れる事はありません。

この秘密は節にあります。竹は節があるので強い、そして、土の中で天然の鉄筋コンクリートと言われるほど地下茎が張り巡らされ、それぞれの竹が手と手を握りあい、助け合っています。竹の節とは、一日の生活の中にも朝、昼、晩と生活の節目節目があり、その節目毎の礼儀挨拶がそれにあたります。そして、地下茎の「助け合い」は、まさに明徳の寮での共同生活そのものです。竹に触れる度、その事を思い出しやっていきたいと思います。
僕は、34年前、卒業式の日に「天国でも明徳にいくぞ!」と色紙に書きました。辛い事ばっかりやったけんど、だからこそ迎える事のできた晴れの日が、こじゃんとかけがえのない素晴らしいものだと思えたのです。そして、今でもその気持ちは全く変わっちょりません。今日は、吉田幸雄先生も天国から笑顔で見守ってくれている事と思います。まだまだ恩師にお会いできる日は、先の事かと思いますが、100年続いた虎竹の里を次の100年に繋げていけるよう、この谷間で教わった明徳精神でやり抜いていきます。

皆様のこれからの素晴らしい最高の人生、山あり、谷ありだと思います。けんど、だからこそ楽しい。いつでも帰って来られる心の故郷が、僕たちにはあります。今からスタートする皆様と同じように、自分も34年の時を経て、もう一回卒業して、スタートできる幸せを、今日ここで感じちょります。皆さん、明日は変えられますぞね。ありがとうございます!


動画で詳しく見る。




竹虎、再スタートの日。
誰もが迎えるこれからの素晴らしい最高の人生は、山あり、谷ありだと思います。だからこそ楽しい。いつでも帰って来られる心の故郷が、ココにはあります。卒業式の前にお会いさせて頂く先生方も、自分が卒業したあの日と何ひとつ変わらないように見えました。手の温もりは自分の卒業式の日と何ひとつ変わらんように感じたのです。

壇上に立ち、生徒さん達の真剣な目を見せて頂き、楽しみがこじゃんと増えました。彼らが卒業して何年か経ったら、必ずまた会えると確信しています。それまで竹虎も同じように今日からスタートして負けないように頑張らないといけません。

こんなご縁をいただけるのも明徳を卒業できたから。何回も諦めかけ、その度、自分のような何の取り柄もない生徒にまで気にかけていただき、やり抜く事の大切さを教えてくれました。

自分が中学一年で入学した時に雲の上のような大先輩だった皆様や、社会人として活躍される皆様...。沢山の明徳人に支えていただいて明徳からの二回目の卒業を無事すませ、新しいゼロからのスタートをきる事ができました。今日からまた、新しい竹虎の始まりです。
見てはいけない!虎竹の里コンテンツ,竹虎四代目(山岸義浩),作務衣,さむえ,SAMUE
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