竹虎の歴史をまとめたページができました。土佐虎斑竹との出会い、再建、大展示場「虎竹苑」の完成、苦難、インターネットからの情報発信まで竹虎の歴史をご紹介します。
竹虎の歴史は、明治27年(1894年)に初代である山岸宇三郎が大阪市天王寺区で竹材商として創業した時から始まります。
その頃の竹は、人々の生活に深く根ざし無くてはならないもので、どんな小さな村にも竹細工職人が一人はいると言うような時代でした。竹は農漁業、建築用材、庭 園材など、日々の暮らしや仕事の道具として色々な用途に利用されており、多方面に竹を供給する竹材商として宇三郎は商売を始めました。そして、宇三郎が良質の竹材を全国をまわり探すうちに出会ったのが、竹の表面に虎模様の浮き上がる虎斑竹です。
昭和に入ると二代目義治も家業を手伝うようになり天王寺にあった竹工場は高知か ら舟で運ばれてくる虎竹で大忙しの毎日でしたが、太平洋戦争が勃発し、安和の虎竹の里に移る決心をします。創業当初の先代からの屋号「竹亀」から心機一転「竹虎」として夫婦二人だけの再建開始が始まりました。苦労のかいあって昭和26年
(1951年)10月6日株式会社設立、今の株式会社山岸竹材店が誕生しました。
昭和47年にはお客様に更に沢山の竹製品をご覧にいれたいと日本最大級と言われる大展示即売場「虎竹苑」を作りました。天井から壁にいたるまで全部銘竹で装飾し、竹とは思えないような美術品、茶華道の竹器、趣味と実用をかねた竹籠、創作民芸品、装飾用建材、各種袖垣など大迫力の店内でした。
ところが、昭和50年(1975年)三代目義継の代になると安価な海外からの竹製品の輸入や日本人の生活スタイルの変化などがあり、少しづつ卸売にもかげりが見え始 めるようになりました。そんな矢先の昭和59年(1984年)夏、本社・本店が全焼するという大火災が発生します。この時、ちょうど大学から帰省中だった義浩が火事の第一発見者となり、この時聞いたという不思議な「竹の声」に導かれ翌昭和60年(1985年)竹虎に入社四代目への道を歩み始めることになります。
竹の魅力と日本唯一の虎竹の事を、竹を忘れかけている日本で一人でも多くの方に知ってもらいたいという熱い思いで、平成9年(1997年)にインターネットからの 情報発信を始めました。そして、平成13年(2001年)5月「虎斑竹専門店 竹虎」としてインターネットでの営業を本格的に開始しました。
昔から延々と続いてきた竹文化を守ると同時に、新しい竹文化を創っていく。そし てお客様に幸せになっていただきたい。そんな思いで「竹文化の創造と発信で豊かな竹のある暮らし」を提案していきます。
<虎斑竹専門店 竹虎>
竹虎の歴史
※高知家健康経営アワード2021
※令和2年度ふるさとづくり大賞総務大臣賞
※第7回環境省グッドライフアワード環境地域ブランディング賞
※RED BULL BOX CART RACE TOKYO 2019準優勝
※第33回 高知県地場産業大賞高知県地場産業奨励賞
■本プレスリリースに関するお問い合わせ先
竹虎 (株)山岸竹材店 竹虎四代目(山岸 義浩:やまぎし よしひろ)
E-Mail:info@taketora.co.jp
<本社>竹虎(株)山岸竹材店
〒785-0024 高知県須崎市安和913-1
TEL 0889-42-3201 FAX 0889-42-3283 (営業時間 9:00~17:30)