成長への鍵 eコマースで拓く
竹虎(山岸竹材店)(高知県須崎市)
希少竹材を4代目が活かす
ネット販売に見出し第2創業
「3年間で売れたのは、300円の商品がたった1つだけ。土佐和紙に竹を混ぜて作った竹和紙のレターセットを東京都新宿区下落合のSさんが注文してくれた」。『竹虎』を屋号とする山岸竹材店の代表取締役社長、山岸義浩氏はネット販売のファーストユーザーを鮮明に覚えている。
各種竹製品を製造する竹虎が初めてのホームページ(HP)を作成しネット販売に乗り出したのは1997年。当時、竹製品は市場の縮小に歯止めがかからず、問屋や百貨店との取引量が激減。さらに中国から安価な竹製品が流入するなど、二重苦、三重苦の状況に追い込まれる。そこで「わらをもすがる思いで立ちあげた」(山岸社長)HPだったが、わらはむなしく流れ去る。
だが、そのネットショップが「季節変動が大きい商材のため、売れすぎるとあちこちに無理が生じるので、今は売り上げを抑えている」(同)というほどの繁盛店に様変わりする。そのきっかけは、2000年のある出会いと、あるひと言にあった。
その年、高知産業振興センターが、同県産品のネット販売促進を目的として、Tシャツネット販売で知られるイージー(京都市)の岸本栄司社長を塾長に迎えた「e商人養成塾」を立ち上げる。同塾の1期生となった山岸社長は、岸本塾長からの問いかけに虚をつかれる。「あんた、ネットで買い物しているか」
乏しい経験ではユーザー目線のネットショップをつくれるはずがない。あたりまえのことに気付かされた山岸社長は、以後、ネットでの買い物を繰り返し、良いところはすべて真似をしたリニューアル店を01年5月にオープンする。月商は16万円。「これはいけると直感した。そのとき、竹虎は第2創業をはたしたと思う」(同)。実際、01年12月に月商100万円、翌02年6月に同300万円...とうなぎ上りの販売実績を重ねている。
竹虎のルーツは、山岸社長の曽祖父が明治27(1894)年に大阪市で創業した竹材商で、大阪工場が太平洋戦争の空襲で全焼したのを機に須崎市に移転する。須崎市安和地区には、他では生育しない日本唯一の虎斑竹(とらふだけ=虎の横縞のような模様の竹)が育つ。その希少な竹を加工した草履、ざる、かご、竹炭、青竹踏み、すのこ、枕など多種多様な竹細工を取り扱っている。
ネットでの売れ筋商品は「まんべんなく売れる。竹細工を施した3万円の名刺入れやライターにも注文が舞い込む、まさにロングテールの世界」(同)とのこと。こうした実績を踏まえ、「自分が買いたいものか、使いたいものかどうかが商品開発のキモ。『こんなもの売れるわけがない』という商品が実は売れたりするので、ばかが一人必要」と″商品開発の極意″を披露する。
希少な竹材と老舗の4代目が作り出すユニークな商品。そこに、ネット販売の知恵とノウハウが加味され、四国発の人気ネットショップが誕生した。「ネットは流れが速いので日々勉強」という山岸社長は、今ではe商人養成塾会長に就任し、岸本塾長との二枚看板で月例会や合宿に精勤し、塾生たちとネット最前線を学んでいる。
現在、竹虎が力を入れているのが、クラウドファンディングによる「竹虎自動車プロジェクト」。竹虎自動車は、光岡自動車(富山市)製の2人乗り電気自動車をベースに、外装だけではなく、座席、ハンドルなどの内装もすべて虎斑竹で覆いつくした竹尽くしの車=写真下。全国135人から350万円余りを集め、完成させたばかり。8月1日―11日の予定で、高知から、クラウドファンディング最大の支援者が住む横浜まで竹虎自動車を走らせるなどさまざまな企画を実行し、虎斑竹を広くアピールする。
「ネットがなければ15年前にはなくなっていた会社」(同)という竹虎が今、モノづくり+コトづくりでさらなる高みを目指している。
「ネットがなければ15年前に会社はなくなっていた」と話す山岸社長(本社工場前で)
【企業データ】
代表取締役社長=山岸義浩氏
所在地=高知県須崎市安和913-1
設立=1951(昭和26)年
資本金=1000万円
従業員=20人(パートなどを含む)
主要業務=竹製品・竹材の製造販売
URL=https://www.taketora.co.jp/
(新聞「中小企業振興 2016年8月1日」より転載)