年賀状新流儀 私の年賀状
竹虎四代目さん
プロフィール
山岸義浩(山岸よしひろ):
創業明治27年(1894年)老舗竹屋の四代目。イギリスBBC放送が取材に来た日本唯一の虎竹をインターネットで情報発信し「竹のある暮らし」を提案。ユニクロ×竹虎コラボTシャツ発売など新しい竹の取り組みに挑戦。全国講演履歴100ヶ所、受賞履歴多数。
そもそも自分が年賀状を大事に思いはじめたのは大学四回生の時からでした。中学、高校を全寮制の学校で過ごした自分は全国各地から集まった友人がおりましたが卒業と共に会う機会が減っていました。大学卒業を控えて高知の実家の家業である竹屋を継ぐ事にしていた自分は、また同じように大学でも知り合った仲間とは離ればなれになり会う機会も少なくなるのだろうと少し寂しく思っていたのです。そこで、せめて年に一度くらいは今自分がどのように過ごしているのか、友人達も何をしているのか?お互いの交流を少しでも続けたいと思い考えついたのが年に一度の年賀状だったのです。
どんなに忙しくて、何処にいようとも新春には年賀に目を通し、その一年を振り返り、新しい年の事を考えるのではないかと思います。年に一度の「自分便り」として友人達に送るにはピッタリです。ただ、そこで考えたのが単純に文字で新春の挨拶を書いてみても面白くないだろう、せっかく毎年出すのであれば一枚の写真にしようと思いました。それなら文章では書ききれない自分の思いも込めることができるのではないか?そう考えて、その一年に起こった事、これからの一年に自分が目指す事などを一枚の写真に託して送る事にしたのでした。
一番最初の年賀状を作った時の事は、もう30年も前の事です。けれどまるで先日の事のようにハッキリと思い出されます。当時売り出し中だったタバコのポスターをパロディにして作りましたが早朝5時の薄暗いうちに起きて神戸の港に行き撮影しました。初めての事で撮影場所やポーズなど非常に苦労した事を覚えています。ノートに自分のイメージを書いてカメラマンをお願いした友人に渡し撮影しましたが今のようにデジタルカメラではありません、その場で写真を確認できないので何度も何度も撮っているうちに用意した36枚撮りフィルム5本を全て使いきまりました。
印刷にも苦労したと思います。今でしたら安価なカラー印刷などは幾らでもありますが当時の印刷は非常に高額で学生の自分では普通に頼むこともできず、又枚数も少なかったため大学の近くにあった、社長さんが一人でやっている小さな印刷工場に頭を下げて頼み込み暮れの迫る忙しい中何とか完成させたのです。印刷所の社長さんは年賀状を面白がってくれて「ええアイデアや。来年からは、もっと早く持ってきなさい」そう言っていただきました。残念ながら地元の高知に帰る事が決まっていましたので、その印刷所でお仕事をお願いしたのはそれっきりでしたがこの言葉で次の年も、その次の年も年賀状を作り続けていくキッカケになったと思います。
形ある一枚の温もりを大切にしたい
実は大学四回生の時に年賀状を始めた時に友人達にこう言っておりました「これから毎年自分の一年を写真にして年賀状にするけど、少なくとも45歳まで続けるよ」実は45歳という数字になにか根拠があったわけではありません。ただ、若かった自分にはその年齢のイメージが沸きませんでしたので、要するに一つの目標として毎年、毎年、続けて出すからな、という意味あいだったのです。しかし、こうして大学四回生の時に始めた年賀状が今も毎年のように続けられている事はあの印刷所の方の厚意と温かい言葉もさることながら、届けた友人知人からの嬉しい反応だったのです。
会う事のできる友人からは直接、遠くにいて会う事のできない友人からは電話で、手紙で、あるいは最近になるとメールでその年の年賀について感想を沢山いただきます。そして、それぞれの人が自分の一年について話してくれるのです。一年の計は元旦にありと言いますが年賀状こそは一年のスタートに届く一番最初の手紙でありメッセージです。毎年どんなに忙しく色々な事あっても年賀状が必ず元旦に届くように早めに12月20日には郵便局に持っていけるようにと、こだわっているのはこのような理由があるのです。 100人いれば100人が必ず目を通してくれるものでもあり素晴らしい日本の伝統文化だと思います。自分もメールやSNSの活用は積極的に取り組んでいる方だとは思いますが、こと年賀状に関しては昔ながらのハガキにこだわっているのはこのような時代だからこそ、形ある一枚の温もりを大切にしていきこの伝統がずっと続いていく事を願っているからなのです。
年賀状を続けていくうちに更に嬉しい事が起こるようになりました。それは年賀を届ける本人だけでなく、そのご家族から自分の年賀状を心待ちにされている方が増えてきた事です。学生だった自分達も、この数十年の長い年月には結婚して家族も増えます、あるいは友人の中には転勤が多いために実家に送らせてもらっている年賀状もあるのです。そしたら、そのご家族の皆様が自分の年賀状を毎年ご覧になっていただき今年はいったいどんな一枚か届くのか?年末になると、そんな話題が食卓にのぼると聞くと本当に嬉しくなってくるのです。
数年前からは年賀状の撮影時に一緒に動画も撮るようにしています。一枚の写真で伝えきれない事柄をホームページとして掲載していますが、動画にすることにより伝えられる事柄が飛躍的に多くなりました。インターネットは、これからますます便利に広がっていくかと思います、しかし、だからと言って年賀状がなくなったり電子情報にすべてが置き換わるという事ではないと思います。むしろ、一枚の年賀に更に付加価値を付けてお届け出来る本当に便利で、素晴らしい時代になったと感謝しています。
最初は200枚足らずからはじめた年賀状も今では3500枚と増えました。30年前から出し続けている友人には、その年数分だけの年賀状がある事になります。自分にとっては新春のなくてはならないセレモニーのようなもの、これからも毎年ずっと続けていき旧交を温めていきたいと思っているのです。
(雑誌「年賀状ジャーナル第2号 2015年2月発行」より転載)