百年続いたこの虎竹の里を百年先まで守り続ける
創業ストーリー
世界でも希少な虎斑竹を扱う
竹虎は全国でもここ須崎市安和の山にしか生えない、虎皮のような模様のついた虎斑竹を扱う唯一の竹材店。虎斑竹の希少性は世界的にも有名で、イギリスBBC包装が取材に来たこともあります。 創業は、1894年。曾祖父・宇三郎が大阪天王寺で立ち上げました。虎斑竹にほれ込み、船でたびたび安和に仕入れに来ていたようです。そうこうするうち虎斑竹の山主の娘・イトを見初めて結婚。安和との縁はますます深くなっていきました。 ここ安和への移住を決断したのは二代目・義治。第二次大戦により天王子のお店が全焼したことが契機となり、再スタートを切りました。以降、それまでの竹材卸の商売スタイルだけではなく、縁台や庭垣や花籠などの竹製品の製造卸も開始。それらを販売するお店の商いも始めました。四万十川方面に向けた観光のバスが何台も止まり、大変にぎわっていたのを子ども心に覚えています。
後を継ぐ
竹の声に導かれて
子供の頃から何不自由なく過ごし、中・高・大学と実家を離れての生活。竹材商の仕事がどんなものか、というのは実は知らずに育ちました。そんな折、たまたま大学4年で帰省していた夏の夜、工場が火事で全焼。とても奇妙な体験なんですが、普段3秒で熟睡する自分がその晩はなかなか寝付けず、夜中に工場の方から呼ばれているような気がしたんです。不思議に思って行ってみると、辺り一面火の海。自分が第一発見者でした。今考えても、あの真っ暗闇の中、何を思って行ったのか不思議なんですが、何か運命的なものを感じました。自分には、竹の声が聞こえたんじゃないかと......。 当時は父・義維が三代目を継いでいて社員は45人いました。そのみんなが集まってきて、呆然と燃える工場を見ているわけです。その人達に向かって、初めてお話させてもらいました。「火はいつか消えます。消えて落ち着いてきたら、僕が帰って来て、みなさんと一緒に店を盛り立てていきます。」自分でも何であんなことを言ったのかわからないのですが、その瞬間に心が決まってしまったのでしょう。曾祖父からつながる竹屋のDNAが僕を突き動かしたようです。
下積み
人の役に立つ仕事
運命的に入社を決めたのですが、竹の事は何も知らないので下積み修行の毎日。職人の仕事というのは、例えば竹を15cmに切るという工程なら、何千本も切るばかりの日が続くんです。高齢の職人たちとは話が合わないし、とにかくキツイ、キタナイ、キケンの3K労働。ちょうど、バブルの時期で友達なんか結構いい給料もらっている中、自分はススで真っ黒で作業着に安全靴だから人が訪ねてきてもみじめで会えなくて......。22歳で入って30歳になるまでの8年間は、もうただただ辞めたいと思いました。 その辛い毎日に突然終わりが来ます。庭垣を作りに行っていたお宅のお客様に、「あなたたちの仕事が素晴らしい」と誉められたのです。「自分は仕事で疲れて毎日もう本当にクタクタになって帰って来る。だけど、この竹を見たら癒される。あなたたちのしている仕事は、人を癒して元気づける。最高の仕事をしゆうね」と。 それまで誰の役に立っているのかわからず、認められていないと思っていた仕事が、こんなにありがたがられるなんて、と思い、もう嬉しくて嬉しくて、泣けて泣けて。天地がひっくり変えるような気分でした。あんなに嫌だった仕事が手のひらを返したように面白くなりました。積極的にやりだしたら、いろんな面白い人にも会うようになったし、新しい商品もどんどんできる。人生ってこんなに面白かったんか、と初めて思いました。
ネットとの出会い
インターネットが商いを変える
90年代に入ると中国からの安い竹材・竹製品がどんどん入るようになり、竹材卸も製品販売も低迷していきました。大きな問屋さんも廃業し、竹業界は斜陽産業のような状況になりました。文旦農家の友人がネットで売れている店があるという事を教えてくれて、1997年に見よう見まねでネット販売をスタートさせましたが、全然売れません。結局2000年までの3年間で竹和紙のレターセット1個しか売れませんでした。売上300円です。 これじゃあいかん、といろいろ調べて出会ったのが当時、高知県産業振興センターが運営していたE商人養成塾です。もうそれからは塾長の指導をひたすら実行し、「言われた事はすっとやる」を心がけてホームページを作っていきました。自分が前面に出て行って自信たっぷりにアピールしたり、社員が出てきて実感を持って使い心地を説明する、といった見せ方も全部塾長の指導を実直に守った結果です。 そういうふうにホームページを作り直していったら、それまで閑古鳥だったネットでの売り上げが、2001年の5月に突然16万円になったんです。これはいけると思って、それ以降どんどん力を入れていきました。現在では、売上約2億5000万のうち約7割がネットからの注文。高知市内にEC事業部を置き、4名のスタッフが日々コンテンツの制作をおこなっています。
これから社会に出る方へ
仕事ほど面白いものはない
「毎日毎日よくブログが書けますね」とか、「朝5時30分に起きてフェイスブックなんか良く開けますね」とか聞かれるのですが、それぐらい当たり前の事です。8年間「なにくそ」と思いながら続けてきた下積み修行を肥やしに、自分が「ああしたい、こうしたい」と常に思い続けたことを一生県命実行しているだけのことなんです。 毎年新卒採用をしていますが、若い方に伝えていることは「とにかく一生懸命やってみてください」ということです。面白い仕事なんかありません。仕事は自分で面白くするんです。一生懸命やりさえすれば、絶対いつか「こんな面白いものはない」と思える瞬間が来ます。8年かかりましたが、こんな自分でも体験できました。みんなにも早くその喜びをつかんでもらいたいのです。
(雑誌「高知の企業紹介誌 Gmotto 2012年3月発行」より転載)