「想い」にふれる土佐デザイン
豊かな森と静かに流れる川、南には大きく開かれた太平洋と豊かな風土をもつ高知県。ゆったりした時の流れの中で、土地にあるものや地の利を活用しながら、ものづくりに励む職人たちの姿を追った。そこから見える彼らの「想い」、「愛」とは。
文 阿部美岐子、写真 国貞誠
竹虎の虎斑竹製品【高知県須崎市】
安和の里でしか育たないミラクルバンブー
高知はユニークな人材の宝庫。そのユニークぶりを競い合う選手権をしたら、竹虎四代目山岸義浩さんは間違いなくトップクラスだ。毎年、正月にはコスプレ写真の年賀状を送る、自らが出演するCMをネット配信する、社内に自分の写真をぎっしり貼ったプレスルームをつくるなど、エピソードは枚挙に暇がない。だが、彼は単なる目立ちたがりではない。竹をPRしたい、竹製品の良さを多くの人に知ってほしいという情熱が彼を突き動かしている。
「虎斑竹」と名付けたその竹は、虎の皮のように表面に茶色い斑が浮かび上がっている。なぜか、高知県須崎市安和の1.5キロ四方のエリアでしか育たない。「虎斑竹に惚れ込んだ曽祖父は、ついでに地元の山主の娘にも惚れ込んだ(笑)。その娘を妻にして以降、山主と協力して竹の栽培を進めました」。宇三郎は神戸に工場を構え、竹を海外へも輸出した。そんな順風満帆の商いも、戦中は休業を余儀なくされる。そればかりが、当主であった二代目義治は招集され、店や工場は空襲で焼失した。義治は、大阪を離れ、虎斑竹のある安和へと移り住み、この地で下加工を始めた。
虎斑竹は、寒さが厳しい11月から1月が伐採の時。切り子は色づきのよい竹だけを選んで、ナタで刈り込む。模様や太さなどを基準に選別したら、随時、使う分だけ製竹を行う。まず目打ち(枝の付け根の除去)をしたら、炙って油抜きをする。この工程を経ると竹の表面にはくっきりと虎斑模様が浮かび上がる。窯を出た竹が熱いうちに行う矯め直しは、竹の曲りを矯正する工程だ。こうして下加工を終えた虎斑竹は、笊や籠などさまざまな製品となる。
「父・義継の時代になると竹細工をつくる職人さんが減ってしもうた。このままでは日本の竹文化が廃れてしまうと危機を覚え、昭和45年から自社で製品づくりと販売を行うようになったがです。」
26年前、義浩さんが入社した当時は、茶道や華道、住宅にまつわる竹製品がよく売れていた。ところがライフスタイルの変化から、そうした需要が激減する。「でも竹は成長が早く、抗菌性や消臭力に優れちゅう。今こそ竹の時代やと思っとるがです。伝統的な竹製品をつくるがはもちろん、新しい品を年間30つくるのが自分へのノルマ。そうして生まれた品を一人でも多くの人に知ってもらうために、いろいろ仕掛けたい」と胸を張る。DNAには竹への愛。まっすぐ、からっと向かい合う、竹を割ったような和漢なのだ。
江戸時代には年貢として土佐藩主山内家に納められていた虎斑竹。独特の模様は土壌の性質のためとも、幹に付着する寄生菌のためともいわれている。右は油抜きの工程。
(雑誌「四国旅マガジンGajA 2012年3月1日発行 No.051」より転載)