ニュートップL 2011年12月号 No.26

雑誌掲載
トップにしかできない自社の「観せ方」のコーナーで、竹虎(株)山岸竹材店が取り上げられました。現代の生活に合う竹製品を自らが楽しむ姿を通して発信する事例として、竹虎四代目のインタビューなどが掲載されています。
ニュートップL

(竹虎四代目の写真)
やまぎし よしひろ
1963年高知県生まれ。近畿大学卒業後、85年、山岸竹材店に入社。97年に同社ホームページを立ち上げ、ネット直販事業に参入し、主導する。2005年、山岸竹材店社長に就任。
【ブログ】
https://www.taketora.co.jp/diary

CAMPANY DATE
創業・1894年
業種・虎斑竹を用いた竹製品の製造・販売
従業員・20名
本社・高知県須崎市
URL・https://www.taketora.co.jp/

山岸義浩社長の曽祖父・宇三郎氏が、1894年に竹材商として大阪市で創業。戦後、高知県須崎市安和で製造を手がけ始め、1951年、株式会社化。竹製品製造事業メーカーとして事業を展開。97年、ホームページを立ち上げネット直販を開始する。05年、山岸社長が四代目に就任。中所企業IT経営力大賞「IT経営実践認定企業2009」に選定される。

特集 トップにしかできない 自社の「観せ方」

事例2
現代の生活に合う竹製品を自ら楽しむ姿を通して発信する
竹虎 株式会社山岸竹材店社長 山岸義浩氏

高知県須崎(すさき)市安和(あわ)に本社工場を構える山岸竹材店は、「竹虎」の屋号で知られ、竹製品の製造と、本社に併設した店舗とホームページからの直販を手がけている。二〇〇一年五月、本格的にインターネット販売を開始。自社の強みを明確に打ち出して製品をアピールするとともに、徹底した顧客サポートで多くのリピーターを獲得している。ここ数年、ネット販売市場の伸びは停滞しているが、同社は○五年以降、常に売上を伸ばしているという。
同社のホームページには、四代目の山岸義浩社長(48歳)がいたるところに登場する。会社案内から自身のプロフィール、製品紹介まで、山岸社長の姿を目にしないページはなく、社長が顔を見せることもある。自信と自社の理念や製品への思いなどを伝えるページには動画もアップされており、さながら店頭での実演販売を思わせる。そうした情報発信のあり方について、山岸社長は次のように語る。
「私がホームページに出ているのは、ただ自分が出たがりなだけ(笑)。ですが、ネット販売とは、究極のワンツーマンビジネスだと思っています。私を含め社員も顔を出せば、出すほど、ありがたいことに、お客様は安心して製品を購入して下さいますし、親近感も抱いてもらえるようでうす。私たちが手がける製品は嗜好性が高く、多くの人にお買い求めいただくものでは、ありませんが、だからこそ、自社と製品の存在を情報発信し続けなければならないんです。



ニュートップL 当社の竹製品は、表面の虎皮模様が珍しい虎斑竹(とらふだけ)を素材としています。全国で唯一この安和の平地と山の際から山頂までの三間でしか製品化に適したものが育ちません。江戸時代には土佐藩の禁制品であり、年貢として納められる貴重な竹でした。価値のある竹文化の伝統を一〇〇年後にも残していきたいんです」(以下、発言は同氏)

インターネット販売に活路を見出す

同社は山岸社長の曾祖宇三郎(うさぶろう)氏が一八九四年(明治二七年)、大阪市で竹材商として創業した。当初、岡山県に自生する別種の虎斑竹を扱っていたが、絶滅の危機に瀕していたため国から天然記念に指定され、自由に伐採できなくなった宇三郎氏は似た竹がないか全国を探し回り、安和にある虎斑竹の存在を知って、何度も船で通い仕入れ口を開拓したという。だが、戦時中の大阪大空襲によって本社建物が全焼し、虎斑竹が縁で結婚した夫人の生家があった安和に疎開。戦後、安和で事業を再開すると竹製品製造へシフトし、一九五一年に株式会社化して専業メーカーとして成長していった。
六三年生まれの山岸社長は近畿大学を卒業後、八五年に同社に入社したが、当時、同社の経営は苦しかったという。
「私が入社してまもなく、売上の三分の一を占めていた取引先が竹製品市場の先行きの暗さを理由に自主廃業してしまったんです。そこで百貨店の催事などに出店し始め、私も作務衣(さむえ)を身につけて店頭に立つようになりました。お客様に製品を買っていただき喜んでもらえることが、とても嬉しかったですね。景気もよかったので売上も好調でした」
しかし、バブルが崩壊し、百貨店業界の業績が低迷するのと歩を合わせるように同社の売り上げも落ちていった。DM通販や、観光地のホテルや土産物店での委託販売も取り組んだが、いずれも芳しい結果を得られなかった。そのような日々が続くなか、知人からネット販売の存在を聞き、九七年、パソコンを購入して独学し会社ホームページを立ち上げた。簡素な製品一覧を整備したという。
「九七年当時、国内のインターネット人口は一〇〇〇万人超でした。誰かが買ってくれるだろうと思っていましたが、実は二〇〇〇年までの三年間で、竹の繊維で漉いた土佐和紙のハガキ五枚セットが一度、三〇〇円しか売れなかったんです。維持費など自腹でしたので、もうやめようかと思っていたときにある講演会に参加し、『これからは、本物、女性、ITの時代になる』と聞きました。当社が扱う虎斑竹は本物だという自負がありましたし、竹製品の購入者の八割は女性です。当社が手がけている製品を世に出せる時代が来ると直感しました。のちにわかったことですが、二〇〇〇円以前のネットユーザーはほとんどが男性でした」
自社と製品の存在方法を伝える方法はインターネットしかないと確信した山岸社長は、二〇〇〇年八月、ネット販売の勉強会に入会して研究を重ね。〇一年五月に現在の元になるホームページの更新を始めると、同年末にはネット経由の売上が月商一〇〇万円を超え、その後も順調に売り上げを伸ばしていった。結果的に、その過程で販路は自社店舗とホームページだけになり、〇四年、ネット事業を担当するEC事業部を設置。現在、山岸社長を含め五名の社員が日々、ホームページの更新から顧客対応や管理までを行っている。山岸社長は、〇五年に四代目として同社社長に就任。〇六年から自身のブログ「竹虎四代目がゆく!」を日曜日以外毎日、土佐弁で執筆している。
同社の製品をネット経由で購入した顧客には、受注確認や発送完了を伝えるメールが都合、五回届く。製品が入った荷物には、発送担当者の顔写真入りのお礼状や同社の日常を伝える瓦版などが同梱される。さらに、希望者には毎週発行するメルマガも届けている。山岸社長は、「すべて他のショップから学んだこと」というが、こうしたきめ細やかな顧客サポートの徹底が、多くのリピーターを獲得する秘訣となっているのだろう。

ホームページ舞台に自ら楽しむ "竹の生活"を伝える

同社は、昔ながらの竹ざるや青竹踏みなどほかに、竹炭や炭を原料とする洗剤や石鹸、シャンプーなど、「竹」を軸に関連商品を数多くつくっており、その取り扱いは現在約四〇〇〇点。ホームページでは約一二〇〇点を扱っている。
「古くから、日本人の生活には竹が欠かせませんでした。ところが、いまや青竹踏みを知らない若者もいる。竹が昔のようにたくさん使われるようにはならないでしょうが、生活に役立つ様々な製品をつくることができます。以前はなかった新しい竹製品だったり、昔とは違った使い方ですが、それを入口に竹の魅力を知ってもらいたいんです」
そうした山岸社長の思いは、同社のホームページ内にちりばめられている。自身の個性的なキャラクターを押し出し、一つひとつの製品への思いを自身の言葉で語る。ときに、竹林の中で虎斑竹と同社の屋号「竹虎」にかけた"とらえもん"や、竹製のヌンチャクをもち、ブルースリーが映画で演じた役に扮した姿を写真や動画にしてアップし、竹製品をアピールするだけでなく、同社がある安和の豊かな自然についても伝えている。
「実は様々な衣装を身につけるようになったのは、大学四年の時から友人に送っている年賀状が始まりなんです。前年を象徴する写真を取り年賀状にしていたのですが、やってくるうちに面白くなって、衣装も凝るようになりました。これまで全ての年賀状をホームページへアップしています。年間、二〇点ほど開発しますが、すべて私自身がほしいもの。大好きな竹でこんなものがつくれたということを、ネットを通じて伝えたいだけなんです」
自社内にある価値を山岸社長自身のキャラクターなどを通じて発信し続けてている同社には、日々、顧客からメールやファックスで多くの感謝の声が届く。実際に同社の店舗を見るために、全国から多くの顧客が足を運んでくるという。竹という一つの素材を軸に、ぶれずに自身が楽しむ姿を発信し続けるからこそ、玉石混淆のネットの世界で異彩を放つ存在となっているだろう。
(左写真)
2011年の年賀状を飾った動画



(雑誌「ニュートップL 2011年12月号 No.26」より転載)

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