今月の天然素材「虎斑竹」折りたたみ縁台 高知県須崎市・山岸竹材店
打ち水、浴衣に縁台。ある年齢以上の日本人には、切り絵のように記憶に刻まれている夏の夕景だ。考えてみると、ひと昔まえの日本はとても豊かな国だった。夕暮れにはほとんどの男たちが仕事から解放され、ひと風呂浴びて将棋を指したり、ビールを注ぎ合うゆとりがあったのだから。
ひるがえって現代はどうだ、というハナシはやめておこう。社会構造があらゆる部分で多面化し、時間や価値観の共有が成立しにくくなっているのは、わかりきったことだからだ。それにしても、あの日没前後、男たちに与えられていた自由時間というのは、なんとも幸福なものだったに違いない。私も年に何度か、夕暮れの漁港でビール片手にひとり小アジと遊んだりすることが あるから、気分だけはなんとなくわかる。しかしながら、この虎斑竹の軽い縁台を防波堤に持ち出し、撮影に適した夕光を待ちながら、やれ泡が消えた、グラスの結露が足りないと理屈をつけてはビールを呑んでいると、ほんとうの幸福というのは、こういうサンセット・アワーを、たまの休日にではなく毎日持っていることだと痛感する。たとえ楽しみが十年一日の縁台将棋レベルであったとしても、だ。
これまで私たちは「贅沢」という言葉を、少し勘違いしていたもしれない。毎日の自由よりも、まとめ取りできる特別な時間のほうが価値が高いと信じ、その獲得に汲々とするあまり縁台サイズの幸福すら失っている、というのが実情ではないか。縁台というのは不思議なポジションにある道具だ。家具のようでさにあらず、家の付属物にも見えるが、誰もそんな意識は持っていない。ではナニモノか。私は、私有のベンチ、あるいは変幻自在な「男の離れ」だと思う。ふたりで座ると、お盆ひとつ分ぐらいの隙間しかない。
しかし、そこにお茶でもお酒でも置けば、馬鹿っ話から不倫(おそらく)までできる、無限のコミュニケーション・スペースとなる。折りたたみ式で車にも積めるこの虎斑竹の縁台は、一見クラシカルだが、多面化をきわめる男たちの時間を考えたとき、意外に機能的な存在でもある。私たちは酔った頭でそれを実感、ひそかに「黄金時間回復道具」と命名した。
枯淡の風格を備え持って生まれ使い込めばさらに黒光りする
虎斑竹というのは高知県須崎市特産の竹だ。淡竹の変種で黒褐色に色変わりした部分が虎斑模様にも見えるのでこう呼ばれる。いかにも茶人好きする風合いとネーミングである。どこにでもある竹ではないらしい。気候や風土が適さないと、移植してもただの淡竹に戻ってしまう。最初に発見された岡山県美作地方では手厚く保護され、大正13年に国の天然記念物に指定された。が、腫れ物に触るように扱われたがために絶えた。適度に伐って更新をはかってやらないと、これまた特有の模様が出てこなくなるという、なんとも気難しい竹なのだ。
黒潮洗う高知県須崎市の山にも、この風変わりな淡竹がわずかに自生していることを知ったのは、大阪・天王寺で竹材商を営んでいた山岸宇三郎。明治時代のことだそうである。換金作物としての虎斑竹の魅力を須崎の農民たちに説き、山に植えることを奨励した。2代目になってからは、店そのものを須崎に移して、日本で唯一の虎斑竹製品専門店として根を張り現在にいたっている。
「生産を契約しとる農家は約30軒です。不思議なものですね、須崎でもひと山超えると虎斑竹は生えんのです。この安和という地区、もっと細かにいうと、国道56号線のトンネルとトンネルの間に広がるひとつの谷あいだけ。ほかだと、よい虎斑にはなりません。土質だとか土の中の菌のせいだといわれますが、なぜここだけ虎斑竹ができるのかは、まだわかっていないんです」
4代目を継ぐ山岸義浩さん(37歳)は、虎斑竹はつくづく不思議な竹だという。筍のうちは淡竹と同じで、1年目だと色も薄く、淡竹特有の白い粉に隠れてわかりにくい。3、4年すると色素がのってくる。ただし、色や模様は1本ずつ違い、生のうちはそれもなかなか見分けにくく、よい竹を効率よく伐るには勘がものをいう。伐りどきは地下の筍に栄養を取られる前の冬で、 その時期は山あいの田んぼに選別を待つ原竹がずらりと並ぶ。その光景は圧巻だという。色や模様、太さごとに選り分けられた虎斑竹は倉庫などに保管され、油抜きや矯めを経て製品に加工される。
今回紹介した縁台や、庭の袖垣、和室の内装、茶器、雑貨と用途は広い。色の出が不十分ではねられたものは、割って土壁用の骨材にする。切り払われた枝は袖垣や竹箒の材料に回される。色合いはよいが傷があったり寸足らずの切れ端は、茶杓などの小物に。細い梢部分は座敷箒やはたきの柄だ。
「捨てるところがありません。9割9分まで活かします」(山岸さん)
今や日本中にあり余る竹資源。そのなかで、虎斑竹がここまで無駄なく使い込まれている理由は、生まれながらに備わった天然の風趣と希少性だ。この竹で作った製品は、できたての状態ですでに枯淡の域にある。使い込むと、経年変化によってさらに深みを増す。これが根強い支持の秘密。実用一点張りが取り柄のような縁台も、虎斑竹で作ると、どことなく雅な渋みと高級感がにじみ出る。なんとも不思議な魅力をたたえた竹だといえる。
(雑誌「ラピタ 2000年8月号」より転載)
雑誌「ラピタ」のカメラマンさんが撮影場所に選んだのは、本社工場すぐ近くの太平洋に突き出した堤防の上。意外に似合う縁台の姿に、日本庭園、日本風家屋で使うもの...そんな「和風」で使うものと言う常識が少し変わった気がしました。 「僕が愛用するんだったら、もう少しココを手直しして欲しい。」 取材スタッフの方からも幾つかのポイントを教えて頂きました。実は、この時が自社商品に外部の方の意見を取り入れた最初かも知れません。話しを聞かせてもらって虎竹の縁台の可能性は意外と広がるかも知れない、そんな風にも思いました。2000年初夏、暑くなりはじめた頃の事でした。
この取材後、県外の催事やご来店いただくお客様には「もし、ご使用されるとしたら、どのようにしたらいいですか?」などお客様に商品についてのアドバイスをいただくようにして新しい材料や工程で何とか、それまでと違うこだわりの虎竹縁台が完成したのが2001年の夏前です。
新宿にリビングデザインセンターOZONEという所があります。実は、ちょうどタイミング良くここで竹についてお話をさせていただく機会があり出来たばかりの新虎竹縁台を展示させていただく機会があったのです。この時のお客様の反応が非常によく竹への関心の高さにも驚きました。
竹のある暮らし
取材が契機となり、こだわった新しい縁台を作ることになり、それが高い評価をいただいて自信を深めるという本当にありがたい経験でした。この時の虎竹縁台は今は又少し形を変えて製造を続けていますが「竹のある暮らし」は日本人にとって、なくてはならないものではないか?そんな思いを強く持った貴重な1年だったと思います。