PROFILE
やまぎし・よしひろ 1963年、高知県生まれ。中学校と全寮制で、大学は大阪。家業のことをよく知らないまま育つ。大学4年の夏に実家の竹工場が全焼。救済するべく、使命感に燃えて乗り込んだ。営業、展示会、売り出しセールが大好き。虎斑竹布教に生きる仕事人間。
「特産品」を閉じ込めておくのはもったいない
オンラインで地域限定を突破する!
その土地に足を運ばなければ出会えない逸品。そういうものが日本には沢山ある。情緒としては悪くないが、流通量の少なさゆえ採算ラインに乗らず、人知れず消滅。そんな事実がどれだけあったことか...。その悪循環を断ち切り、地方で頑張りたい人に逆転のチャンスをもたらしたのが、オンラインショップである。自慢の特産品をネットで提供する挑戦を全国7カ所からリポートする。
高知から
虎斑竹生息地で営み続けて百年余。繊細な竹細工や竹縁台、竹皮草履を
竹虎
山岸義浩さん 高知県須崎市
客の言葉で意義に目覚め、サイトづくりとショップ運営を猛烈に学ぶ
実家に戻って4代目を継いだものの、竹製品の製造に意味を見いだせないままだった山岸さんに、ある日、ひとりの客が声をかけた。
「竹を見ているだけで気持ちが和みますよね。いいお仕事ですね」そのひとことで、初めて竹の価値について見直し、自分の仕事が必要とされている喜びを感じた。スイッチが入ったように、山岸さんは仕事に前向きになった。
「オンラインショップを立ち上げたら、全国の人たちに竹の良さをわかってもらいえるかも、と思ったんです。四万十川の観光コースでウチに来た人は、必ず喜んで竹製品を購入しますから、知ってもらえれば絶対売れるはずだと」見よう見真似でつくったサイトだったが、売れるショップにするため講座に1年間通い、大幅にリニューアル。山岸さんは客の元へ取材に行き、原稿と写真も自らそろえた。また、オンラインショップの先輩の教えに従い、「メールは電話と同じ」と、即対応を実行。「24時間営業年中無休」を掲げた。
卸売りに慣れた社員たちを説得し、一人一人の客を大事にする風土を築く
ところが、山岸さんがメールのやりとりを重ね、やっと取った注文も、従業員には面倒が増えただけ。普段は業者に何十足単位で発送していた竹皮草履を、1足だけ個人向けに発送するのだから。
「その辺にあったお菓子の箱に入れて送ろうとするんですよ。頼むからやめてくれ!って(笑)。リピーター獲得には発送までのフォローが大事なんだと、スタッフに理解してもらうのに時間がかかりました。配送時間を指定した伝票の書き方とか、手紙を入れて、ていねいに包むとか教えてね」
さらに、山岸さんは、竹皮草履のサイズを増やしたり、ゴム底を付けるなど、ユーザーからの反響や提案を積極的に取り入れている。その過程は、メールマガジン(以下メルマガ)で公表。発行当初は「暗闇に投げ続けているみたい」だったが、徐々に発行部数を増やし、発行の翌日はアクセス数が上がるようになった。メルマガで紹介すると、その商品の売れ行きが増し、確実に手応えを感じている。
「オンラインは実店舗より手間はかかるが、面白い!実店舗で竹の売り上げを倍増させるのはムリだけど、サイトは工夫次第でそれも可能になるわけですから」
虎斑竹を扱う会社は山岸さんたち1社だけ。辞めることは虎斑竹製品の消滅を意味する。
「その危機感と、面白さと、両方あるから頑張れるんですよ」
虎皮模様の入った、味わい深い日本唯一のミラクルバンブー
高知県須崎市の安和地域にだけ生息する表皮に独特の模様が入る虎斑竹(とらふだけ)。ほかでは見られないこの珍しい竹を、熟練技術でさまざまな竹製品に仕上げるのが竹虎の面々。中でも職人が竹皮を細く割いて編み上げる「竹皮草履」は天然素材の抗菌作用もあり、履き心地がクセになるというファンも多い主力商品。また、折りたためる「竹縁台」は、人気の和グッズとして雑誌にも頻繁に登場する。竹細工は繊細な「昆虫」や「花かご」などが有名。土窯づくりの「竹炭」や「炭石鹸」も販売。
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竹虎4代目・山岸義浩さんのセンスとキャラクターが光るサイト。販売している竹製品をトップ画面ですべて見ることができる。山岸さん自身が取材をした愛用者の声や、こだわりの商品解説も満載。
イノシシやタヌキも住む安和の自然の中に生き続けて続ける虎斑竹。ほかの地へ移植するとなぜか模様が消えてしまう。
山から竹を切り出す職人(右上)や、竹であぶって真っすぐ伸ばしていく職人(左上)。最高齢者は、90歳で竹の見極めでは右に出る者がいない。「名刺入れ」(左下)をつくる職人さんも現在ではひとり。愛用者からの提案を受けて、25枚入りを50枚入りに改良。驚くほど軽量の縁台(右下)も人気商品だ。
(雑誌「独立事典 2002年8月5日号」より転載)