虎竹の里の山といっても、いくつもの自分など名前もしらない山が連なり、またその山の中にも谷があり、小さな川があり、またその山は一般の土地と同じようにたくさんの人の所有に分かれています。虎竹の生えている場所もその山の杉や桧の林の中に、あちこちに分かれて点在しています。
そのあちこちに点在している虎竹の山を呼ぶ場合は、どこそこの、誰だれさんの山、どこそこの2段目、どこそこの奥の端、などと呼んでいます。またその虎竹の山でも、「今年は南斜面を切る」、「去年は下を切ったので、今年は上を切る」などと、虎竹を伐ってくれている切り子さんとはいつも話をしています。
虎竹の色つきの良し悪しは日当たりにも大きく影響されていて、その山がどちらの方向を向いているのか、日当たりはどうなのか、どんな竹が生えていて、どんな感じの色つき具合なのか、など、実際に見ておかなければ話が分からず、以前は相談もしてもらえませんでした。
自分は役目柄、虎竹の里から伐り出された虎竹を一本一本すべて選別するために全部の竹を見ています。山を見ずに出てきた虎竹だけを見て、いろいろ言うわけにもいけないために、出来る限り山に入って、山に生えている状態を見るようにしています。
それでも虎竹の出ていない山に行くことはそうそうなく、まだ入ったことのない山もまだまだたくさんあります。しばらく竹も出ていない、初めて行く山に上がっていくと、尾根にはこんな立派な山道があることに驚くことがあります。
今のようにトンネルもない時代に山道を上がったり下りたりしながら隣町に行くのは遠いけど、尾根伝いにいくと近い、と切り子さんに聞いたことがあります。確かに尾根伝いに歩くとすぐ隣町が下に望めます。
山の中でこんな立派な道になるまで、どれだけの人がここを通っただろう、この道を歩いていた人はどんな人たちだろう、と長い年月と先人たちに想いを馳せずにはいられません。