虎竹の里の安和天満宮の春祭りが2月23日(日)に行われました。祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)と弓祭を合わせて行っています。祈年祭は毎年2月に行われ、一年の五穀豊穣と国家の安泰を祈る祭りです。
11月の新穀の収穫を神に感謝する新嘗祭とは対となり、祈年祭は小祭、新嘗祭は大祭とされています。小祭とは言いますが、一昔前は人々の生活に密接に関わり、重要であった「農作物」という目に見えて、形のある物を気候や天災など目に見えないものから守り、五穀豊穣を願うということは、豊かになった現代よりもずっと大切な、重要な祭りだったと思います。
今も五命と呼ばれる、代々神様の土地を持っている家の五人が、安和天満宮の祭には欠かせません。弓祭りで矢を射るのもこの5人と決まっています。今年は的を貼り替えしたときに的を飾って縛る個所が13か所で、射る弓の数も13本でした。去年は12か所でしたので理由を聞いてみましたが、難しくてよくわかりませんでした。
参加した人はせいぜい30人ほどのひっそりとしたお祭りですが、伝えて残していかなければいけない大事なことです。この土地に生まれ、この土地に住み、この土地でお世話になっている者として恥ずかしくないように、当たり前に知っていなければならないことを少しつづ学んで、伝えていこうと思います。
日本唯一の虎竹の里の地元、安和小学校の生徒さんが体験授業として、竹虎工場にやって来てくれました。いろんな体験を通じて、地元の人とのふれあいの中で何かを学び取るというような趣旨での体験授業でした。
花かごやお箸、竹トンボなど、何かを作る中での体験を想定されていたようですが、今回は初めての取り組みとして、虎竹を真っ直ぐに矯正することを体験してもらおうと考えました。
矯正作業というのは、虎竹を油抜きする際の竹をガスバーナーであぶった熱で竹が柔らかくなっている時に同時に行われます。熱で柔らかくなった竹を矯め木と呼ばれる穴の開いた大きな木に差し込んで、曲がった個所を一節ずつ押して曲げながら、竹を真っ直ぐにしていく作業です。
1本1本違う素材ですので、竹の大きさや厚みや曲がりなども当然違います。それを焦げないように熱を加え、折れない程度に出来るだけ曲げながら、竹の繊維を伸ばしながら真っ直ぐにしていく作業です。
もちろん小学生にすぐできる作業ではありませんが、油抜き前の固い竹が、油抜きして綺麗になっていく様子や、熱を加えることによって、固かった竹が柔らかくなって曲がりだす感覚、曲がっていた竹が手助けをしてもらいながらも真っ直ぐになっていく楽しさを知ってほしかったのです。
熱を加える前の虎竹は、曲がりを矯正しようと矯め木にはめて曲がり部分を曲げようとしても、全体がしなるだけで曲がりません。しかし熱を加えてみると、柔らかくなっているために、さっきは固かった虎竹が柔らかくなって曲がり部分を曲げることができ、次第に真っ直ぐになっていくのです。
固かった竹が、急に柔らかくなって曲がりだす驚き。曲がっていた部分が少しずつ真っ直ぐになっていく楽しさというのが、子どもたちの驚きの声や笑顔でこちらに伝わってきて、こちらも嬉しくなりました。何かを作るわけでもなく、どれほど理解してくれたかはわかりませんが、見るだけではわからない竹虎のことや、虎竹のことを少しでもわかってくれれば嬉しいと思うのです。
国産竹ざるが編み上がりました。竹本来の青々とした色が清々しい国産竹ざるです。3本とんで、3本すくうといった一般的な3本網代で編んだ部分は虎斑竹と同じ仲間の破竹で編み、縁部分は大きい孟宗竹で作っています。
網代という編み方は2本でも3本でもとんで、すくってを繰り返しながら1本ずつヒゴをずらしながら、ヒゴをきっちり詰めて編んでいく編み方です。目が詰まっている上に、重なっている部分が多いため、ヒゴの本数が大変多くいる編み方でもあります。
重ねて、詰めて編むためにヒゴの厚みが厚いと大変編みにくいのですが、編みやすくするために薄くしすぎてしまうと、張りがなく、立体感のないかごになってしまいます。またこのざるのように何かを入れて使用する際には強度も大変必要になってくるので、できるだけヒゴの厚みを厚くして編んでいます。
網代編みもそうですが、この竹ざるで難しいのは縁を付けることです。孟宗竹で大きな丸い縁を作り、この網代編みの生地に取り付けるのですが、この網代編みの生地は平たいままです。その平たいものを立体的に起こして縁を付けていくのです。それができるのが竹ならではの柔軟性なのですが、この起こして縁を付けていくいく作業は大変コツのいる、熟練な技術のいる作業なのです。
よく見かけるざるですが、この起こしの良し悪しでざるの形が決まります。今回入荷した国産竹ざるの綺麗にそろった形を見て、改めてこの職人さんの腕の良さを実感したのです。
虎竹の里の虎竹の山には、麓の道から人が一人通れるくらいの細い道が何本も山の上の竹林に向かって伸びています。その道は竹切り職人がキャタピラの付いた竹の運搬機と一緒に竹林に向かい、伐採した竹を麓の道に下してくるための細い道です。
重機も何もない時代から、先人たちが何もない山を虎竹を出すためだけに切り開いて作ったこの道に足を踏み入れるごとに感じることがあるのです。先人たちがどうやって、どんな思いでこの道を作ったんだろう?この道を作るのにどれだけの年月がかかったんだろう?自分でこの道がつくれるのだろうか?などと考えることが最近は特に多くなりました。
車が通れる道から、人が通れるだけの細い道を15分ほど上がったところの山道をこの石積みは支えています。山というのは山があり谷がありというように、でっぱたり、へこんだりしている地形の連続です。その地形通りに道を作っていくと、どうしてもきついカーブの多い山道になってしまいます。
真っ直ぐの竹を下してくるためには、できるだけ真っ直ぐな道がいいのです。でっぱった部分は削り取り、へこんだ部分は石積みなどをして山道を出してやることで、カーブはゆるくなって行きます。
この石は山道を作るときに出た石を積み上げたものだと推測されますが、それにしてもこのような小さな谷に石を集めて積んでいくことの大変さはどれほどのものだったか想像さえもできません。またここは私有竹林です。山主や切り子さんが自分の竹林から虎竹を出すためだけに自ら作った道なのです。
こういう場所がいたるところにあり、それを見るたびに先人たちの想像さえもできない苦労や、この虎竹の里や虎竹の歴史の深さや重さによって竹虎が支えられていると感じます。年齢と共に今はリタイアしているけれど、いつも会っては笑顔や言葉を交わしてくれる切り子さんが私の周りにはまだまだたくさんいます。その人たちにもずっと支えられ、今も支えられています。
虎竹は日本唯一の虎竹というだけではない、この地域と地域の人々と歩んできた竹でもあるのです。この地域と虎竹の歴史を支えてきた人たちに感謝と尊敬の念を抱きつつ、これからはこの虎竹の歴史をしっかり繋げていくことが竹虎の役目だと思うのです。