住宅用の土地などはちゃんと測量もしてあって、それぞれが登記もしてあって、しっかりと境界がわかるようになっていますが、山の境界は登記自体が曖昧であったり、昔からの手書きの測量地図で区分をしていたりと、はっきりしていないことが多くあるようです。
土地の登記はしっかりしてあっても、山自体が広いために範囲が広く、すべての境を見て取引をしていなかったり、先祖代々受け継がれた山であっても、田舎から出ていったままで、その山に足を踏み入れなかったりすれば、全くわからないということになるでしょう。
焼坂の山を取っても、山主さんが10数人ほどいて、それぞれ境界でわかれています。竹虎の山もその一つなのですが、境界を知っているのは自分以外には実際に山に入った切り子さん数人ぐらいではないでしょうか。
境界は谷で分かれていたり、道で分かれていたり、川で分かれていたりと様々ですが、広すぎることもありますし、塀をしたり、柵をしたりと人工的に境界を作ることはほぼ不可能に近いと思います。
先人が境界として作ったものの一つがこの木の並びです。それは杉であったり、桧であったりと様々ですが、こうして真っ直ぐに境界に植えているのです。不規則に立っている木ですが、あるところで真っ直ぐに並んで立っていることで、それを境と認識できるのです。
しかし、それも知っていればこそ真っ直ぐに見ることのできる程度のもので、やはりしっかりと知っておく必要があるのです。竹林の中の境界にはあまり大きくない木が目印として植えられている場所もあります。それで私たちは竹林の境界を知ることが出来るのです。
最近、山の境界は主に木の伐採をする森林組合さんなどが管理している場合が多いようです。木材の価値が下がり、山の仕事が減り、山からどんどん人が遠くなっていると感じます。こういう時代だからこそ、山にもっと入って、山を知り、竹を知るところから何か見えていないものが見えてくるような気もするのです。