原竹の束

原竹の束


竹虎では虎竹や黒竹を専門に扱っています。山から切り出した竹はそのままでは出荷することはなく、必ず油抜きという作業をしてから出荷しています。これはガスバーナーの窯の中に竹を通して、竹をあぶり、竹の中の油をにじみ出させ、表面の汚れと一緒に拭き取る作業で、竹虎では火抜きと呼ばれていますが乾式油抜きや火晒しとも呼ばれる製竹工程です。


竹は真っ直ぐに生えているイメージがありますが、山に生えている竹は思った以上に曲がっているものです。内装材用に出荷される虎竹は、この火抜きの工程で熱せられ、熱によって柔らかくなっているので、それと同時に矯め作業をして、竹を真っ直ぐにして出荷しています。


竹虎ではそういう加工をした虎竹のことを製品と呼んでいますが、油抜きをせずにお客様にお渡しする商品もあるのです。以前は土壁の基礎となる小舞と呼ばれる竹を格子状に編むための材料や、竹ほうきの柄の部分の竹などを、虎竹の色の付きの悪いもので油抜きをせずに加工して出荷していました。今では土壁で家を作るところも少なくなったり、ほうきなども輸入品が横行しているために、ほとんど見られなくなりました。


竹虎で今では唯一と言っていい、油抜きなどの加工をせず、お客様にお渡しする商品がこの原竹と呼ばれる商品です。字の通り、そのままの竹です。これには直径約3cm前後で24本入りの3寸束と、直径約4cm弱で14本入りの4寸束があります。


これは主に造園屋さんや庭師さんなどが木を植えた時の支柱に使うことが多いようです。庭や道路に植えた木はどんどん大きくなるために、そのうち支柱は要らなくなります。その時くらいには、竹はちょうど腐ってくれるため、金属などの腐らない支柱よりは手間も省け、単価も安いために、未だに多くの造園関係の方々にお使いいただいています。


加工して磨きあげられた虎竹も綺麗ですが、やはり山にある竹が生命力もあり、一番綺麗だと感じています。お正月用の青竹の枝折戸や門松など、竹本来の青々とした色もまた竹の魅力でもあります。


原竹のそのままの竹が少なくなるということは、本来の竹というものの使い方が人々の暮らしから少なくなっていることでもあるように思います。竹という物への捉え方や感じ方、価値観など、少しずつではありますが、変わってきているように思います。時代の流れによって当然のことでもありますし、いいことでもあるのですが、少し寂しい気もするのです。

十字しばり

十字しばり


はもともと丸いものですので、割ったり、剥いだりして、一本の平たいヒゴにして編んでいきます。しかしながらねじたり結んだりということはなかなか難しい素材でもあります。竹細工の籠の縁の内縁と外縁の2枚の竹をとめたり、手をつけたり、補強や装飾を施したりするのには籐を使うことが多いです。


籐は東南アジアに多く生育する植物で、大変柔らかい性質を持っています。ラタンとも呼ばれ、家具などに多く使用されている素材です。こちらももともと丸いものですので、それぞれ籐を細かく割って、幅を揃え、厚みを揃え、面を取り、場合によっては染色をして色を付けて、やっと使えるようになるのです。


また籐は竹にくらべて大変柔らかいために、割ったり剥いだりするのには大変気を使う素材でもあります。幅取りナイフで割った籐を同じ幅に揃える場合でも、ナイフが切れすぎたり、ナイフの角度がきつかったりすれば、すぐに籐がナイフに食い込んで、綺麗に幅を揃えられなくなります。厚みを揃える時も同様で、一気に裏の厚みを取るのではなく、少しずつ取っていかなければならないのです。


そうやって取った籐で、籠の手や足をつけたり、底の力竹などの十字になった部分を固定するのに一番簡単に使われるのがこの十字しばりです。これにも何パターンかのやり方があり、十字編みをして網目を見せる巻き方や、このように籐を立ててくるくる巻く方法などがあるのです。


こんなちょっとした巻き方の違いなのですが、その見え方によって、その籠の雰囲気はだいぶ違ったものになってきます。伝統的な、基本的な巻き方であっても、どの巻き方で籐かがりをするのかで作った人の気持ちや思いは伝わってきたりします。そういう意味でも気の抜けない、悩む作業でもあるのです。

山の境界

山の境界


住宅用の土地などはちゃんと測量もしてあって、それぞれが登記もしてあって、しっかりと境界がわかるようになっていますが、山の境界は登記自体が曖昧であったり、昔からの手書きの測量地図で区分をしていたりと、はっきりしていないことが多くあるようです。


土地の登記はしっかりしてあっても、山自体が広いために範囲が広く、すべての境を見て取引をしていなかったり、先祖代々受け継がれた山であっても、田舎から出ていったままで、その山に足を踏み入れなかったりすれば、全くわからないということになるでしょう。


焼坂の山を取っても、山主さんが10数人ほどいて、それぞれ境界でわかれています。竹虎の山もその一つなのですが、境界を知っているのは自分以外には実際に山に入った切り子さん数人ぐらいではないでしょうか。


境界は谷で分かれていたり、道で分かれていたり、川で分かれていたりと様々ですが、広すぎることもありますし、塀をしたり、柵をしたりと人工的に境界を作ることはほぼ不可能に近いと思います。


先人が境界として作ったものの一つがこの木の並びです。それは杉であったり、桧であったりと様々ですが、こうして真っ直ぐに境界に植えているのです。不規則に立っている木ですが、あるところで真っ直ぐに並んで立っていることで、それを境と認識できるのです。


しかし、それも知っていればこそ真っ直ぐに見ることのできる程度のもので、やはりしっかりと知っておく必要があるのです。竹林の中の境界にはあまり大きくない木が目印として植えられている場所もあります。それで私たちは竹林の境界を知ることが出来るのです。


最近、山の境界は主に木の伐採をする森林組合さんなどが管理している場合が多いようです。木材の価値が下がり、山の仕事が減り、山からどんどん人が遠くなっていると感じます。こういう時代だからこそ、山にもっと入って、山を知り、竹を知るところから何か見えていないものが見えてくるような気もするのです。

厄抜け用の竹輪

厄抜け用の竹輪


男性が42歳、女性は33歳が大厄とされ、厄年のお祓いをすることが多いようです。厄年の厄払いは地域によって多少の違いはあるようですが、一般的には正月から節分にかけてのこの時期に行われることが多いようです。


男性の場合は社会的にも責任が重くなり、精神的・肉体的にも疲労などが多く、女性の場合は子育てあるいは主婦として非常に多忙な時期でもあり、不慮の事故やけが、病気なども起こりやすいとして災難が多く起こる悪い年回りと言われています。


しかし 本来、厄年を迎えることは、地域社会において一定の地位となることを意味し、地域の神事に多く関わるようになるため、心身を清浄に保ち、言動を慎むという意味合いもあったようで、お祝いとして考えられていたようです。厄年の「厄」は、神様にお仕えする神役の「役」であるといわれるのも、こうした理由だそうです。


厄入りをすると、厄除けのお祝いをすることがあります。多くの人に集まってもらい、厄を少しずつ持って帰ってもらうといった意味合いです。家を建てた時にお餅を投げるのはこの逆で、福をおすそ分けして、みんなに持って帰ってもらい、幸せを独り占めしないことで、禍を避けるのです。


厄除けのお祝いの際にこの竹の輪に紅白の布を巻いて、この輪を抜けてもらうことで、厄を抜けるということのようです。伝統文化がだんだんと忘れられたり、気にされない方が多くなってきましたが、この厄抜けは今も多くの方がやられているようです。


こういう昔ながらの伝統行事の中にもこうやっては使われています。普段は竹に関わりもなく、興味のない人が、こういう機会に竹の必要性を感じてくれるのは、なんだか嬉しい気持ちになるのです。