竹炭粒を100%詰め込んだ枕には沢山のお客様から嬉しいお声を頂いている。消臭や調湿効果はもちろんだが、高温で焼き上げた竹炭は熱伝導率も高く、まさに安眠の基本「頭寒足熱」となり頭を冷やす事で深部体温が下がりゆったり眠られるようになる。ストレス軽減や睡眠の質が上がり朝までぐっすり眠られる方が多いので、多数頂いているお客様からの竹炭枕への感想 をご一読いただきたい。
そんな竹炭枕を、もっとお求めやすく手軽にお使いいただけるようにと新しく製作する事にしたのが、ワンジャリ竹炭枕。ワンジャリとは、枕に頭をのせたら竹炭粒から「ジャリ」と音が聞こえるけれど、音が一回聞こえただけで次の瞬間には眠りに落ちている、という自分の体験から命名した(笑)。
実は枕の好みは十人十色で、様々なご要望をいただいている。そんな中でも、硬さは竹炭100%だから仕方ないけれど、高さについては結構な時間をかけて検討してきた。竹炭微粉末が漏れにくい最高の不織布を二重にした構造だが、その中に5リットルから10リットルまで1リットル刻みで竹炭を入れてテストもした。本当に自分達が一番効果を体感している枕なので、これからも品質や価格も含めて見直しながら、さらに喜んでいただける製品作りを目指したい。
自分などは、抱き枕 と言えば竹編みしか思い浮かばないが、一般の方はそうではないかも知れない。ご覧になった事がなければ、竹の抱き枕とは一体どんな物なのか?とイメージもつかないのも仕方ない。けれど、その昔、エアコンもない当時に夏の夜の暑さをしのげる道具は、団扇か、抱き枕くらいのものだった。それが、日本だけでなく、お隣の韓国や台湾、中国など竹の育つ東南アジアの国々に同じような竹編み抱き枕が存在するのが面白い。
夏場は毎晩のように使うものだから、傷んでしまう事もある。でも、ご安心ください、竹細工の良さの一つに加工性の高さがある。少しくらい壊れたりしても、材料さえあれば容易して元通りに手直しできるのだ。竹籠や竹ざるは、長い日本の歴史の中で、そうやって大切に大切に、まさに土に還るまで使い切ってきたのだ。
竹だから、抱き枕を極端に短くした別注サイズも編むことができるし、修理しながら愛用もできる。どこを探しても修理してもらえる所がないと、最後に竹虎を頼っていただく事が多くなった。もし、お困りの方がおられたら、いつでも、誰が作ったものでも、どんな籠でも、竹ならウェルカム(笑)。自社で製作したものでなくても、修理を出来るだけお引き受けしているのには、このような古き良き日本の伝統を繋いでいきたいと言う想いがあるからなのです。
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古い籐まくらを拝見していると、ちょうど頭をのせる中央部分がUの字型にへこんでいて、長年ご愛用された歴史のようなものを感じる。元々の籐というのは、もっと色っぽい色合いなので、このように経年変色するのには一体どれくらいの月日が経っているのだろうか?
前にサンパウロのジャパン・ハウス(JAPAN HOUSE SÃO PAULO)にお招きいただいた際、ブラジルに移民された方が持ち込んだ真竹を増やして作った竹林を散策して拝見させてもらった事がある。その竹に囲まれた中に建つ家屋に、たまたま当時から使われていた日本製の竹枕が置かれてあって目をひいた。気温の高いブラジルの夜を少しでも快適に休めるようにと思って、はるばる故郷から持参された物だった。大きなサイズだと、とても運べなかっただろうから、今回の籐枕と同じようにコンパクトで、けれど良く出来た構造でしっかりと作られたものだった。
さて、夏に向けて編まれている国産籐まくら だが、涼しさプラス使いやすさで、昔のサイズ感とは全く異なる大きさになっている。
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こちらの籐で作られたスツールを、もしかしたら一度や二度はどこかでご覧になられた事があるのではないだろうか?確か随分と昔の事ではあるが、とある女優さんか誰かが鼓の形をした椅子を所望されてから作り出した製品であると聞いている。その後、似たような輸入品が広く出回るようになり、多くの方の目に触れる機会も多くなったけれど、この椅子は古い国産のもの。良く見れば籐の骨組みや風格が違う。
籐細工の歴史を紐解いていくと、戦後のGHQなどまで関わっていて面白い。
日本に滞在する米軍が多かったが、当時の日本には手頃な家具がなかったそうだ。そこで、目をつけたのが東南アジアから沢山調達できるようになった籐だった。
竹に比べて加工しやすく耐久性もあることから、椅子などの製作を依頼された竹職人が次々に籐編みをするようになり、籐細工が盛んになるうちに家具から小物などの製作もされるようになる。
暑い季節には重宝される籐まくら もそんな中のひとつ。案外、海辺の町で竹細工をされている方がいるのは大波で漁ができない場合などの内職から始まっているらしい。昔から網を作ってきた漁師さんたちの手先の器用さが職人仕事にマッチしていたようだ。そう言えば、鰹の一本釣りで有名な地元久礼の港町にも、かってはシダ屋が2軒もあったと言うので内職で籠編みをしていた時代があったのかも知れない。
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