竹は成長が早く「継続利用可能な唯一の天然資源」とも言われているので、竹細工そのものが環境に優しい製品であるのだが、さらに竹籠や竹ざるが傷んだ場合のお話しをしてみたい。竹製品の代替品として登場したプラスチック製品は、大量生産できて安価で一気に暮らしの中に広がっていったけれど、例えば持ち手が取りたり、一部が割れたりしたらどうだうか?恐らく手直しして再び使うなどと言う方はいないと思う。
ところが、竹細工の場合だとどうかと言うと、丈夫ではあるものの使っているうちに手提げ籠なら、持ち手のジョイン部分や底の四隅など、どうして傷みやすい箇所がある。
ただ、プラスチック製品と同じように持ち手が壊れても、底に穴が開いたとしても多くの場合が修理して、前と全く同じようにお使いいただける所が素晴らしいのだ。
しかも、修理したのが不自然だったり、見すぼらしく思えたりという事が全くない。もちろん古い竹ヒゴの色合いに、真新しい竹が入るので目立つ事があるけれど、同じ素材で元通りに修繕できた跡がひとつの景色になり更に愛着が増すから不思議だ。
その点、一閑張りは竹材だけでは修理できなくなかった籠に和紙を貼り、その上を漆や柿渋で補強した事から発展してきた技法なので、修理をすると本当にどこを直したのか分からないくらい綺麗になる。
今回、修理完了した動画をアップしたが、修理前の動画もご覧いただけるようにご紹介します。
一昔前、冬のご家庭と言えばコタツを囲んでテレビを楽しむというのが一般的だったと思う。そして、そのコタツの上には竹籠に盛られたミカンが置かれているのが定番だった。いわゆるミカン籠と呼ばれた竹籠は、色々な形や編み方があって当時は一家にひとつは似たような盛籠があったのではないだろうか?
コタツの生活が見かけられなくなり、テレビはそれぞれのスマホに代わり、ミカン籠も姿を消してしまったのか、現代ではすっかり製作される事も少なくなった。
しかし、少なくなったとはいえ、お坊さんが托鉢に使う鉄製の鉢に似ている事から鉄鉢と呼ばれる定番の盛籠には、ずっとファンの方もいて僅かではあるが編まれ続けている。
ご存知ない方からすると、もしかしたら昭和レトロを感じさせる懐かしいデザインかも知れない。虎竹鉄鉢が熟練の竹職人の手によって、どうやって作られていくのかを動画にしてみた。家族団らんの中心には、やはり竹籠が一番だと思う。
手入れされた美しい孟宗竹の竹林には、なかなかお目にかかる機会は少ない。もちろん、観光地や庭園、あるいは住宅地に近い地域で景観を守る目的で伐採されたり、筍の畑として管理されている竹林では間引きされ、陽射しが入り風通しのよい所はある。ところが、多くの竹林は活用されないまま放置竹林となり、竹害とさえ呼ばれるようになっているから、このように誰も来ない里山で綺麗な竹林に出会うと感激してしまうのだ。
近年の竹は、全国何処に行っても元気がない。どうしたのか?といつも声をかけたくなる程で、この辺りも「竹の秋」でもないのに竹葉が黄色く色づいている。年々強くなる台風の強風で竹根がやられているのかも知れない。幸い、この竹林の竹葉は青々として生命力にあふれている。
今年は雨が多かった、だから竹が余分に水分を吸い上げていて乾燥が遅い。このような時は、竹の根元を伐った後1週間から10日程度そのまま立てておき様子をみる「葉枯らし」をしている。お陰で良い感じに竹から水が抜けているのが切り口から分かる。
何より嬉しいのは、この竹林の職人の仕事ぶりだ。枝打ちした後の竹枝を、ひとまとめにして丁寧に積み上げられている。この手間を見るだけで、竹相手に生活する職人がいかに竹に敬意を払い、愛情を持って接しているのかが伝わってくる。こんな竹林が、里山にいつまでもあるような平和で変わらない日本を、世界を望んでいる。
この蜘蛛の巣のようなモノは一体何だろうか?ほとんどの方が初めてご覧になると思うが、実はこれは国産竹網代笠製作のため専用に用意した治具と呼ばれる木製の型だ。
上からみると円形にしか思えない型は、横から見ると三角の傘のような形になっている。この型に沿って細い竹ヒゴで編み込んで行くと、なだらかなラインも美しい竹笠が出来あがるという寸法だ。
静かな工房で坦々と一編一編進んでいく網代の手仕事。既にこの時点で逸品の予感が漂っている。
厳選した良質の真竹を10月から年末にかけてのみ伐採する。9メートルもの長さの竹を切って、割って、機械も使いながら柾の竹ヒゴにしていく。
柾の竹ヒゴは、竹の一番強度のある表皮近くから内側の部分までが一本のヒゴになる。竹ヒゴの片方、色の濃ゆく見える部分が維管束(いかんそく)という繊維の密度が濃い表皮近くになる。
かなり形が出来あがってきて、ワクワクする。
今回、このような竹網代笠を国産で復刻したいと考えたのにも、国産の竹串、竹割箸に共通する危機感がある。これが本当の竹笠だと、皆様にご覧いただきたい一心なのだ。
先日、修理のためにお預かりした竹の買い物籠は、スズ竹市場籠に良く似ているものの、材質的には少し劣ってしまう海外製造のものだ。しかし、いくら国産竹籠ではないと言っても、お客様が大切に使われて来た買い物籠だと言うのが伝わってくるので、出来るだけの事はしたいと思う。
竹の買い物籠の場合、傷んでしまう所は概ね決まっている。まず一番多いのが、やはり床面に常に当たる底の四隅の角部分で、通常は力竹を重ねたり、籐かがりで補強したりしている。そして、もう一つが持ち手と本体のジョイント部分、後は口巻などだ。今回の市場籠も、底の竹ヒゴは折れて穴があき、いつも手にする持ち手の籐巻や紐が外れてしまっていた。
お買い物時のスーパーでレジ袋有料化以来、マイバッグを持つ方も増えてきて、多くはないものの竹の手提げ籠をエコバッグとしてご愛用頂く方も見かける。自分も常時、車には2~3個の手提げ籠バッグを載せていて、その都度の用途にあわせて使い分けている。こうして手直ししながら、長く長く竹を使っていただければ、心から嬉しいと思っています。
サクランボの収穫に使われていると言う腰籠が三個届いた。一目見て国産で無い事が分かる、触ってみても竹質が弱いから、しっかり編まれていても壊れやすいと思う。口巻に使っているのは籐でなくPP(ポリプロピレン)だ、扱いやすいので輸入の籠の口巻には多用されているようだ。
縁部分の竹が完全に外れてしまっている。本体編みの竹ヒゴを挟んでいるだけなので、中に入れるものによっては耐久性は低いかも知れない。
四角い籠は特に底の角が傷みやすい、この籠にも角に大きな穴が開いてた。このようにならないために、国産の竹籠の場合は、角部分を籐でかがったり、力竹を重ねて補強している。
底に貼られたガムテープも痛々しいけれど、少しでも長く竹籠を長持ちさせたいと言う使い手の気持ちは伝わってくる。
こうして使い込まれた竹籠を見ていると、輸入だからダメと言えるだろうか?いくらだろうか?
「そんなん、どうでもいい」
籠を見た瞬間に、職人の目がそう言っている。
こんな時、つくづく自分達はお金ではないなと思う。どこで作られた籠でもいい、現場で長く働いた竹だ、何とか竹虎らしく、出来るだけ手直ししたい。また綺麗に修理が完成したら、皆様にご覧いただきます。
竹の構造は、とても面白くて稈の中が空洞になっている、それなのに強いのは適当な位置に節があるからだ。そして更に身の部分にも秘密があって、地中から水分や養分を運ぶ維管束(いかんそく)という管が縦にのびているが、その密度は竹表皮に近い高い。つまり竹の外側に近いほど繊維が密集していて強いという事だ。
だから竹細工の場合には、たとえば青物細工のように青竹の表皮をそのまま活かして竹籠を作っていく。ただ、そんな青竹細工の中には、竹表皮部分を薄く剥いで編む籠があり、竹表皮をできるだけ薄く削る工程を「磨き」と呼ぶ。
木工所に行くと角材を削った後の鉋屑が沢山落ちていたりするけれど、磨きの仕事をした後には、ちょうど同じような竹の表皮屑が沢山出来あがっている。
磨きをかけると竹表皮のキズやシミが無くなり、均一感のある更に美しい竹籠を編むことができる。また、磨きの経年変色は進化が早いので、お使いの頻度にもよるが数年経てば結構な深みのある色合いになっている籠がある。
磨きの細工で作る四ツ目編みの衣装籠を製作する事になった。この籠は、今では少し考えられないけれど当時は三個組で製造するほど需要もあり製造力もあった。しかし、需要の低下と共に竹表皮を削る工程だけでも手間と時間がかかってしまう磨きの細工は敬遠されている。このサイズの大型の角籠だと、意外に思われるほど長い竹材を準備せねばならず、職人の労力たるや凄いものがある。
野冊をご存知だろうか?野冊は「やさつ」と読むが、自分も含めて普通の方々には使い方はおろか、まず読み方も分からないと思う。野山に植物採集に出かけた際に、草花を持ち帰るために使う道具だと知ったのは、竹で作られるこの野冊を復刻できないかと依頼を頂いた時だった。
初めてだったその時には、本当に何も分からなかったので、実際にお使いになられている現品をお預かりして全く同じに製作させて頂いた。出来あがった野冊を手にしてみて、軽くて通気性の良い竹は、このような道具にまでなるのだと感心したものだった。
調べてみたら最初製作したのが2007年の事だから、あれからもう16年も経ったのだ。今回改めてNHK朝ドラ「らんまん」で全国的に注目され、来場者も多くなっている牧野植物園さんから野冊の製作を頂戴した。竹虎が作るなら牧野富太郎博士に命名いただき、昨年末には二回目の移植をさせてもらった土佐虎斑竹を使うしかない。
虎竹を移植するなど、70年ぶりだと話す山の職人が厳選した竹を掘り起こし牧野植物園に移植するまでの2日間を密着してYouTube動画にしている。
牧野博士も野山には野冊を携帯されたそうだが、もちろん当時は虎竹野冊などはない。
博士がご覧になられたら、この色合いをどう言われるだろうか?使っていただきたかったなあ。
実際に持ってみたらこんな感じになる。採取した植物をそのまま挟むのではなく、吸水性のある新聞紙などを使うそうだ。野冊はアルミ製やプラスチック、樹脂製などもあるようだけれど、植物を志す者が手にするのは竹しかないと思う。
「土佐モノ」と呼ばれて全国の竹職人からも評価の高い土佐打刃物だが、今回も熱烈なファンの方にお会いした。石突き付と呼ばれる刃物を保護する形の鉈は、若い頃に数本買ってから一本は使用せず大切に持っていたという程だ。
県の84%が森林である高知は、昔から山仕事のために作られる刃物が秀逸で現在でも山林用、農業用の刃物は有名なのだ。
前に購入した「土佐の宗石作」の鉈が手に入らなくなって、別の鍛冶屋さんにお願いしたものの、やはり満足できるものは作れなかったらしい。
わざわざ産地である土佐山田まで足を運び、何とか別の職人さんにお願いして同じタイプの鉈を作ってもらえるようになったと言う。山の職人さんの相棒に高知の刃物がここまで選ばれているのは嬉しい事だ。
対馬には随分前から関心があった。鎌倉時代に起こった元寇の舞台のひとつでもあり、海外との交易の玄関口としての街並や大きな城壁などが何かで紹介されていた。そんな歴史の島にも、やはり竹細工がある。
タカゲと呼ばれる竹籠は網代底で編まれる生活の籠だ。
対馬には孟宗竹など大型の竹林が少ないように感じた、だからなのか淡竹の他に使う竹材はマダケだと言われる。淡竹とマダケと両方を組み合わせて編むのだろうか?かなり珍しい籠だ。
職人さんの話を聞いているだけだと妙に食い違うので、実際に竹を見せてもらうと地元でマダケと呼んでいる竹は実は矢竹の事だった。
マダケ(矢竹)とニガタケがあると職人さんは言う。矢竹は稈が真っ直ぐで節が低く使いやすいけれど、ニガタケは似ているものの使いづらく、竹肌も黒ずんでくるから使用しないそうだ。
竹の名前は難しい、ニガタケとは自分たちの言うメンチクの事だと思う。しかし、日本には竹と笹が600種類もあり矢竹をニガタケと呼ぶ地域もあるし、メンチクにしてもカワタケ、シノダケなど数種類の呼び名がある。
籠の大きさや、その時々によってマダケ(矢竹)と淡竹を使い分けて編まれる籠も、強さを必要とする口巻は決まって磨きをかけた淡竹である。
昔ながらの、どこかホッとするような素朴な竹籠が編み上がった。