
皆さんは、「生涯大学」なるものをご存知だろうか?
生涯大学とは、60歳以上の方々が参加する学びの場であり、高知県内でも多くの方が熱心に学んでいる。毎年700名もの受講生が集まられると言うから、その規模に驚くけれど、まさに人生百年時代にふさわしい大学だと思う。クラスがいくつかあって、これまでに何度か講師として呼んでもらったが、今回も100名を超える受講者の皆さんに真剣な姿勢でお聴きいただいた。

それにしても、午前と午後の講義を昼食を挟んで一日かけて受講するという熱意には、毎回感動させられる。年齢を重ねてもなお、新しい知識を求め、学び続けようとする姿は素晴らしいものだ。高齢者が学ぶことには多くの意義があって、知識を深めることはもちろんだが、同じ志を持つ仲間と学ぶことで交流が生まれ、日々の生活に張り合いができる。高齢化が進む高知県は、「高齢化先進県」であるが、こうしたイキイキした受講生の皆様を見ていると「生涯大学先進県」、日本のトップランナーではないか(笑)。

今回の講義でも、竹について昔から日本の暮らしに深く関わってきた話しなどさせていただいた。ところが、地元の方ばかりであり、自分より一世代上の方々もおられるのにも関わらず、茶碗籠など使われたこともないし、案外と竹の事をご存知ないことに少しショックを受けた。身近に竹林があり、毎日のように目にされている方も多いはずなのに、竹と人々の距離はボクが思うよりずっと離れている。
竹の持つ魅力や可能性を感じてもらえる竹製品もあるのに...と自分の力不足も感じています。

虎竹の里では虎竹の伐採が終わり、一段落したところに取材が入った。たまたま、今回お越しいただいたのはイタリア人のカメラマンの方だった。海外からの訪問者が多くなっているとニュースで見る事がある。訪日の方々は日本といえば富士山など象徴的なものを思い浮かべるが、竹も日本的な自然の光景として人気がある。
そこで、竹林を見に行くといえば、まず京都を思い浮かべるのではないだろうか。確かに、京都の竹林は美しく、観光名所としても有名である。しかし、インバウンドの皆様が訪れる竹林の多くは観光用に手入れされていたり、筍を栽培するための畑として管理されている竹林の場合が多い。

ところが、虎竹の里の竹林は、観賞用でもなく、筍を食することもない。竹製品や竹細工に適した、良質な竹を育てるために手入れされている。竹の成長や品質を見極めながら、適切な時期に伐採し、次世代の竹が健全に育つよう管理されている。これは、日本唯一の虎竹を維持し、長年にわたり受け継いできた山の職人の知恵と努力の賜物である。

今回の取材では、実際に竹細工に使うための竹を育てるという日本の竹文化の深さを感じ取っていただけただろうか。竹林の持つ役割や景観を保つ大切さを、多くの人々にも知ってもらえる機会になれば嬉しい。土佐藩政時代には、年貢として献上されていた虎竹の里の竹。この竹林は、単なる風景ではない、地域の竹文化を未来へとつなげるために存在していると思う。他にはない、この土地だけの価値を、国内外問わず伝えていくことが、130年にわたり竹と向き会ってきた自分たちの義務でもある。

徳島県阿南市で開催された「活竹祭り」に参加してきた。今年で33回目を迎えるこの祭りは、かつては竹製品が数多く並び、竹の豊富な産地ならではのイベントとして盛り上がっていたそうだ。随分と前のことだが、一度訪れた際にも、地元の職人さん達による竹籠やザル、そして竹民具、生活道具から漁具、あるいは趣味の竹製品まで、多種多様な竹製品が並んでいた記憶がある。

そもそも、徳島には孟宗竹も多いが吉野川という一級河川が流れ、その両岸には真竹林の続く竹の豊富な地域でもあり、阿波竹人形という、素晴らしい竹細工の伝統も続いている。

しかし、今回訪れてみると、竹という名前こそ残っているものの、竹製品の出品は少なくなっていた。多くのブースでは、あまり竹には関連しない地元の産品が目立ち、時代の流れを感じずにはいられない。もちろん、徳島だけに限った事ではないのだが、地域の伝統産業が変化しつつあることは確かだ。そんな中、竹資源を新しい用途に活用しようとされている方々の参加もあった。竹を資源とするには、安定した竹材確保が課題となると思うので、これからの広がりを楽しみにしたい。

さて、今回お招きいただいていた虎竹電気自動車「竹トラッカー」は、お陰様で多くの来場者の注目を集めた。天気も良かったので家族連れが次々と訪れ、特に子どもたちは大喜びで試乗を楽しんでくれて嬉しかった。


虎竹の美しい模様を活かしたボディに加え、環境に優しい電動仕様の静かな走りも評価されているようだった。やはり、実際に乗って体験することで、竹の魅力や可能性を感じてもらえるのだろう。

竹に触れる機会が少なくなりつつある現在、こうした小さな取り組みが新しい竹の価値を伝える機会になることを願っている。伝統と革新の融合と言えば大袈裟だが、竹文化を未来へとつなげていく一歩をいつも模索している。

近くを通りかかったので、数年前に引退されて悠々自適の生活を送る竹職人さんを訪ねてみる事にした。気さくで、いつも明るいこの方は、ボクの知る限り最速で竹籠でも竹ざるでも編み込んでいく、凄腕職人だった。惜しまれながら70代後半で、仕事をキッパリと止められたが、その若かりし頃の技はブログ最後にYouTube動画を掲載しているので、是非ご覧いただきたい。

竹職人さんを沢山見て来て思うのは、お歳を取られてからも、何十年と連れ添ったご夫婦が実に仲が良いことが素晴らしい。実は、この画像をご覧いただいても分かるように、竹工房にも奥様の姿がある。昔の職人さんは、ご主人である竹職人の家に嫁ぐと、奥様も何らかの竹仕事を担当されるようになり、二人三脚で竹籠を仕上げられていた方が多い。

だから、いつくになっても息の合った感じでお二人で暮らせるのだろうか...、などと昔の懐かしいアルバムを拝見しながら思ったりする。

おっと、この画像は伐り出した竹を懐かしいリヤカーで運んでいる。リヤカーは竹虎に一台残っているけれど、ほとんど見かける事は無くなったので、時代を感じてしまう。

竹虎四代目の新春年賀状も大切にアルバムに入れて保管してくださっている。いつも、工房では息をつく間もないほどの激しいお仕事ぶりだったので、こんなにゆっくりした時間をご一緒できるのは初めてだったかも知れない。いつまでも、お元気でいて欲しいと思っている。