低くたれこめた雲に少し時雨れる日だった、川沿いの細い曲がり道を登って行って車を停めた。時間は朝の8時、向こうの谷間に見える集落から煙が薄く立ち込めている、きっと湯抜き釜はあそこにあるに違ないと思ってハンドルを切る。ここに来るのは20年ぶりか?25年だろうか?それだけ久しぶりなら、新しい竹との出会いの時みたいにドキドキワクワクだ。出迎えに来てくれた、おばちゃんに挨拶するため全開にした車窓からの冷たい空気に、ちっとも寒さを感じない。
竹は油分の多い植物で、この余計な油分を取り除く事で耐久性が高まり、見た目も美しくなる。この加工には竹材に熱を加えていくのだが、日本唯一の虎竹のようにガスバーナーの炎でする場合と、熱湯を使う場合とがある。同じく「油抜き」と呼ばれているが、こちらの製竹方法は熱湯を使う。釜から取り出し、湯気が出ている竹をウエスで拭き上げたばかりの竹表皮の色合いはこんな色合いだ。
竹虎でも、以前は白竹の製造をしてもいたから6~7メートルもある専用の湯抜き釜があった。この仕事は、竹の旬の良い冬場に行われるから、低い気温の中で釜の湯を沸かすのがいつも大変だった覚えがある。
頃合いを見計らって竹を上げていく、熱いうちに竹表皮に付いた油分を拭き取り仕上げねばならない。ご夫婦でされているから息はピッタリだ。余談だが、竹職人に嫁ぐ際に新妻は何もしないで良いからと言われてやって来る。しかし、今まで出会った数百人の中では、ほぼ例外なく奥様も一流の竹職人となり、ご主人と共に働かれている事が多い。
湯抜きする前の真竹と湯抜きした後の真竹をベニア板で仕切っている。こうしてご覧いただくと竹の色合いが全く違っているのが良くお分かりいただけると思う。
1.5メートルに切りそろえられた今回の竹は何になるのだろうか?昔は真竹で扇子の骨を大量に製造していたが、今では孟宗竹で舞扇用の竹材を細々とする程度だそうだ。
父親から使っている包丁の横に置かれている竹端が、今回の竹材を割るサイズとなっている。
湯抜きしたばかりの真竹を、一枚一枚決められた寸法に割っていく。湿り気の残った竹材の独特の割音も心地いい。
元々竹肌の美しい竹材だけど、割っていく過程でシミやキズのある竹材はすべて取り除かれていく。
普通では捨てるところさえない竹材が、ここでは湯抜き釜の燃料として有効に使われ、竹の製造の力となっているから無駄がない。そういえば、竹虎でも真竹を製竹していた頃には竹の端材の処理に困る事など一度もなかった。
それにしても感動するような竹材だ。多くの皆様が、このような色の竹材を見た事はないかと思うが、実はこのような色合いの竹は製造現場でしか見る事はできない。これから、みるみる竹の色合いは変わっていき、更に天日に干していく乳白色の白竹と呼ばれる竹材となる。太陽の光に晒すから晒竹(さらしだけ)とも言う、つまり、真竹=白竹=晒竹なのだ。
さて、今回の竹材が何になるのか答えを言わねばならないが、実は竹の物差し用の竹材を作られていたのだ。自分も50年愛用する竹の物差しを持っているけれど、竹は古くなっても歪みや狂いがないから、こんな適材はない。竹の物差しなど一体誰が使っているのか?そんな風に思われる方もいるだろうが、現在でも様々な現場で使われているのは、このような製竹現場を訪れればよく分かる。
いやいや考えたら明日で2023年も最後だ。しかし、今年もこの山里の湯抜き釜のように、出会った竹職人も竹の仕事場も凄い事ばかりだった。ここでも感動しすぎて一体何から話て良いか分からないくらいで、この30年ブログの記事を書くのには時間がかかった(笑)。だから、この山里の湯抜き釜のお話しは来年にも続いていく、よろしくお願いいたします!
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