100年続く会社の割合は、わすが0.03%だそうで、会社を長く続けていく事は意外と大変だと思う。そんな中、竹虎は来年お陰様で創業130年の節目を迎えさせていただく事になる。初代宇三郎が竹材商として創業して以来、二代義治、三代義継と繋いでもらった竹の仕事。時代は常に変化していくが、これからこの流れのスピードは益々速くなり、ダイナミックになっていくだろうから、さてさて2024年以降は一体どうなっていくのか?偉大な先代達のようにやっていける自信はおぼつかないが、やるしかない。来年も何卒よろしくお願いいたします。
低くたれこめた雲に少し時雨れる日だった、川沿いの細い曲がり道を登って行って車を停めた。時間は朝の8時、向こうの谷間に見える集落から煙が薄く立ち込めている、きっと湯抜き釜はあそこにあるに違ないと思ってハンドルを切る。ここに来るのは20年ぶりか?25年だろうか?それだけ久しぶりなら、新しい竹との出会いの時みたいにドキドキワクワクだ。出迎えに来てくれた、おばちゃんに挨拶するため全開にした車窓からの冷たい空気に、ちっとも寒さを感じない。
竹は油分の多い植物で、この余計な油分を取り除く事で耐久性が高まり、見た目も美しくなる。この加工には竹材に熱を加えていくのだが、日本唯一の虎竹のようにガスバーナーの炎でする場合と、熱湯を使う場合とがある。同じく「油抜き」と呼ばれているが、こちらの製竹方法は熱湯を使う。釜から取り出し、湯気が出ている竹をウエスで拭き上げたばかりの竹表皮の色合いはこんな色合いだ。
竹虎でも、以前は白竹の製造をしてもいたから6~7メートルもある専用の湯抜き釜があった。この仕事は、竹の旬の良い冬場に行われるから、低い気温の中で釜の湯を沸かすのがいつも大変だった覚えがある。
頃合いを見計らって竹を上げていく、熱いうちに竹表皮に付いた油分を拭き取り仕上げねばならない。ご夫婦でされているから息はピッタリだ。余談だが、竹職人に嫁ぐ際に新妻は何もしないで良いからと言われてやって来る。しかし、今まで出会った数百人の中では、ほぼ例外なく奥様も一流の竹職人となり、ご主人と共に働かれている事が多い。
湯抜きする前の真竹と湯抜きした後の真竹をベニア板で仕切っている。こうしてご覧いただくと竹の色合いが全く違っているのが良くお分かりいただけると思う。
1.5メートルに切りそろえられた今回の竹は何になるのだろうか?昔は真竹で扇子の骨を大量に製造していたが、今では孟宗竹で舞扇用の竹材を細々とする程度だそうだ。
父親から使っている包丁の横に置かれている竹端が、今回の竹材を割るサイズとなっている。
湯抜きしたばかりの真竹を、一枚一枚決められた寸法に割っていく。湿り気の残った竹材の独特の割音も心地いい。
元々竹肌の美しい竹材だけど、割っていく過程でシミやキズのある竹材はすべて取り除かれていく。
普通では捨てるところさえない竹材が、ここでは湯抜き釜の燃料として有効に使われ、竹の製造の力となっているから無駄がない。そういえば、竹虎でも真竹を製竹していた頃には竹の端材の処理に困る事など一度もなかった。
それにしても感動するような竹材だ。多くの皆様が、このような色の竹材を見た事はないかと思うが、実はこのような色合いの竹は製造現場でしか見る事はできない。これから、みるみる竹の色合いは変わっていき、更に天日に干していく乳白色の白竹と呼ばれる竹材となる。太陽の光に晒すから晒竹(さらしだけ)とも言う、つまり、真竹=白竹=晒竹なのだ。
さて、今回の竹材が何になるのか答えを言わねばならないが、実は竹の物差し用の竹材を作られていたのだ。自分も50年愛用する竹の物差しを持っているけれど、竹は古くなっても歪みや狂いがないから、こんな適材はない。竹の物差しなど一体誰が使っているのか?そんな風に思われる方もいるだろうが、現在でも様々な現場で使われているのは、このような製竹現場を訪れればよく分かる。
いやいや考えたら明日で2023年も最後だ。しかし、今年もこの山里の湯抜き釜のように、出会った竹職人も竹の仕事場も凄い事ばかりだった。ここでも感動しすぎて一体何から話て良いか分からないくらいで、この30年ブログの記事を書くのには時間がかかった(笑)。だから、この山里の湯抜き釜のお話しは来年にも続いていく、よろしくお願いいたします!
高級旅館かと見まごうような室内だが、実はこれが来春にむけてリニューアルオープンされる高知競馬場の特別室だ。高知特産の虎竹で編んだやたらソファベンチが、堂々と二つ並んだ奥には同じく虎竹のやたら編みが壁面を飾っている。
実は高知競馬場は、どんどん進化されていて近年ではご家族連れや女性同士でも楽しく過ごせるような施設に変わっている。自分は、負け続けて全国的に話題となったハルウララ(古いか?)以来あまりお伺いする機会がなくて、久しぶりに行ってみて随分とイメージか違うので少し驚いた。
子供達も沢山来られているのは、遊園地のようなスペースがある事からも分かる。小さい頃に初めて馬を見て、何と大きい生き物だろうとビックリした事を思い出す、これで全速力で走る馬の姿なども見られるなれば一日中楽しく過ごせるのかも知れない。
虎竹やたら編みの壁面も、工場で編まれていた時とは又随分と雰囲気が違って見える。木のフレームに入れられた様で、更に重厚感が増したようだ。後日、この前には観戦用の大型ディスプレイが置かれる予定だそうだ。
この虎竹やたら編みの壁面は、このようして編まれている。完成された壁だけではなくて、こうして細い一本の竹ヒゴの状態から工程をご覧いただくと、同じ編み込みが又違って見えてくると思う。
虎竹やたらソファベンチの間には、県産材で作ったテーブルが置かれるとの事だった。ゆったりと飲食などもしながら、大きなモニターで競馬を観戦してくつろげるから最高だ。
細かい所にある、こだわりの馬のモチーフに、ここが競馬場だと改めて思い出す(笑)。
30年ブログでもご紹介した、虎竹やたら編みの壁面がこの特別室に設えられた。虎竹やたらソファベンチ置いて、壁面も椅子も虎竹やたら編みという凄いお部屋になった。
これだけの虎竹づくしのお部屋なのに、一日の使用料はそこまで高額な設定ではないそうだから嬉しい。高知競馬場は、個室や特別席もセンスよく刷新する事によって、より多くのお客様にお越しいただけるアミューズメントスポットになられようとしている。そんな注目の集まる場所に虎竹をお使いいただき感謝しています。
フランスにはErik Bordja(エリック・ボルジャ)氏が、50年近い時間をかけて造園されたJardin Zen(禅の庭)と言う東洋と西洋を融合させたような不思議な庭がある。たまたま今年は、同じフランスで活動されている日本人庭師さんが虎竹の里にお越し頂いていたが、そう言えばその時に少しお教えいただいたような気もする。
1時間程度かけて回る広い庭園はフランスでも有名で、多くの方が訪れるというJardin Zenから、Stephanie Reynaudさんが、わざわざお見えになられていた。頂戴した本を拝見すると、創始者のエリック・ボルジャさんは単純に日本の庭を再現している訳ではなく、エリックさん自身の世界観に日本庭園の技や精神を取り入れられているように思える。
ちょうどタイミングよく日本唯一の虎竹伐採の時期でもあり、又、たまたま山の職人が竹を運びだす山出しの時に来られて本当に良かった。数日前なら雨で山道が使えなかったので、このような光景はご覧いただけなかったはずだ。
竹と庭園とは切っても切れない関係がある、植栽はもちろんだが竹で製作する袖垣、縁台、枝折戸、つくばい、シシオドシなど竹虎でも庭園用の竹製品をずっと製造してきた。しかし、2台あった10トントラックを、それらの竹だけで満載にして問屋さんに運んでいたなんて、今では想像もできないほど国内の需要がなくなっている。
ただ、日本でもゼロになっている訳ではないし、Stephanieさんから頂いた本にあるJardin Zenでも竹垣は使われていた。変化しつつも未来に繋がっていくのではないかと希望も見えてくる。
竹虎は、お陰様で来年130周年を迎えさせてもらう。エリック・ボルジャさんの庭を拝見しながら、少しワクワクする事を思いついた。竹の根は、たった1年でも予想以上に伸びていく、そんな風に繋がると面白い。
少し前、皆様に復刻しますとお話ししていた背負い籠が遂に出来あがった。真竹の旬がよくなり、竹質がようやく満足できるようになったので、この竹ならと思い編んでもらう事にした。
この背負い籠の作りは、六ツ目編みの背負い籠とは違い基本的に御用籠と呼ばれていた竹籠と全く同じだ。御用籠は、現在農家さん等で多用されているプラスチックコンテナが出来る前までは、何でも入れて運べる便利で丈夫な角籠として沢山製造されていた。
それこそ全国各地で作られていたものが、プラスチックの登場で一気になくなり今ではこのよな背負い籠も、レアな竹細工の逸品と言わさせるをえない。
それにしても何年ぶりだろうか?この角籠を背負うのは。硬くしっかりとした感触が何とも心地いい。前にもお話しした事があると思うが、自分が小さい頃に自宅に来られていた行商のおばちゃんは、いつもこの角籠を背負っていた。もっと細かい編み込みの籠で、内側は二段か三段になっていて物入れになっていたように思う。
その角籠を焦げ茶色の大きな風呂敷につつんでいて、その風呂敷を広げた瞬間に玄関先に香ばしい鰹節の匂いが広がってお腹が空くのだ(笑)。一日中、お客様の家を目指してアチラコチラと歩いて行くおばちゃん達にとって、この角籠は頼りがいのある無くてはならない大事な仕事道具でありパートナーだったろう。
ズッシリ重たい商品を入れる背負い籠が途中で壊れたりしたら大変だ、安心して商売に集中できる竹に大きな信頼を置いていたと思う。そんな事考えていると嬉しくなって、今日の空みたいな晴れやかな気持ちになる。
この季節、虎竹の里の山々は賑やかだ、どうかすると山の麓にまで山仕事の音が聞こえて来る。道に迷ったと言う、汗だくのお遍路さんに次の目的地の岩本寺までの道のりを話している間も、竹の音はひっきりなしだから心地がいい。
山出しの機械を置いてある竹林への小道は、先人が繋いできた竹の道だ。虎竹の里には、このような竹を運び出すための小道がまるで毛細血管のように沢山延びている。
画像ではお伝えしにくいのだが、どの道も険しく曲がりくねっているから登っていくだけでも大変だ。
全国の竹林を訪ねて回ると、竹の種類にもよっては意外と一年通して竹の伐採をしている所も多いけれど、虎竹の里では昔から竹伐りは晩秋から1月末日までと決められている。
ここには今年のシーズンから何度も通って整備してきた、しかし竹林の表情はその都度変わる。手入れされた竹林は神々しささえ感じて、いつも時を忘れそうにさえなる。
伐り倒された虎竹が、ずっと向こうの竹林まで見えている。
虎竹の虎模様の色付きは、土中の細菌の作用と言われるが気温も大きく影響している。近年の温暖化、暖冬で竹の色合いは芳しくない年が続いているけれど、ここの竹はなかなか良い竹がありそうで安心する。
こんな事を人に言っても信じないだろうが、帰ろうとしたら虎竹たちが「まだ帰るな」と騒ぎだす。今日のブログには間に合わないけど、動画に撮ったからYouTubeに後日アップします(笑)。
先日工場で製作していた虎竹のL字垣、できあがって取り付けの日を待っていた。実は、このお客様のお宅には何度かお伺いさせて頂いており、今回の虎竹垣は前回のものが古くなったのでやり替えなのだ。
もう、相当古くなり並べた竹は崩れてしまい、格子を縛っていたシュロ縄も朽ちている。自然の竹は、年数が経つに従ってこうして色が褪せ、段々と傷みも出てくるけれど、この変化を楽しめるのがプラスチックなどの人口竹垣との違いだ。
L字型に組んだ新しい虎竹垣が取り付けられて見違えて迎春準備は整った。同じ時期に取り付けさせてもらったと言う、庇の下の竹垣は、まだまだ壊れてもなくお使いいただけているので雨が当たる場所と、そうでない場所ではやはり耐久性がまったく異なるのである。
ちょうど竹垣の前に、田舎でも珍しい手押しポンプがある。柱の部分を巻いていた竹も随分古くなり割れも入っているので虎竹で新しくやり替える。
新調した虎竹垣とお揃いで、いい感じだ。
新しくしたばかりの虎竹垣は、何やらよそ行きに着飾った感じだ。さて、これから、ゆっくり時間をかけてここの場所に馴染んでゆく。
先日の30年ブログでは超特大の国産熊手を製作したお話しをさせてもらったけれど、本日は超特大のわらいずみだ。わらいずみ、と申し上げてもご存知ない方も多いかと思う、現在ではお鮨屋さんで見かける事があるくらいのレアな生活道具となっているからだ。ところが、保温ジャーなどが出来る前は、炊いたご飯を冷まさないように藁で編み込んだこのような蓋付き容器に入れていたのだ。
飯櫃入れとか、飯つぐらとも呼ばれていて、ご飯を少しでも温かく美味しく食べようとした先人の知恵を思ってしまう。しかし、このサイズはどうだろうか?かなり大きなお櫃が入れられそうだけれど、ここまで大きなわらいずみは、さすがに初めてだ(笑)。
どんな風に編まれていくのか関心のあられる方は、職人の手仕事を動画にしているのでご覧ください。
最近寒くなってきたので、ご自宅のペットが猫ちゃんハウスを良く使っているという方もおられるかも知れない。色々な素材の物がるようだが、元々猫ちぐらと言って藁で編まれたものが古くから日本にはあった。これなど、わらいずみと同じ技法で作られている。
直径が大きな特別サイズだけに持ち手の藁縄も長めにして取り付けてもらった。
しっかりした編み込みは、超特大サイズでも変わる事がない、良く見ると藁の色合いが、まだ青く残っているものがある。
竹はイネ科なので、実はわらいずみは親戚のようなものだ(笑)。竹の青さが落ち着いた色合いに経年変色するように、わらいずみの微かな青さも時間と共に薄らいでいく。
虎竹や白竹のランドリーバスケットは、上げ底になっていて通気性が抜群だから人気がある。旬が良くなってから伐採された良質の真竹で編まれた洗濯籠も、昔ながらの作りは全く同じ伝統を守り続けている。新竹の色合いが、少し落ち着いてきた三個の籠をYouTube特別販売として動画で公開させて頂いている。
少しづつ微妙にサイズが異なっているから、それぞれ1点づつだ。
特にこの背の高い洗濯籠は、直径が約44センチに対して、高さが約78センチもあるから、普通の洗濯物を入れる籠としては底まで手が届かない。動画をご覧になられたお客様のアイデアで別の用途にご愛用いただきたい籠だ。
通常は同じ方向にしか巻かない口巻を、サイズが大きいだけに反対に方向にも巻いて二重になっているのも特徴的な竹籠だ。
このサイズの違いをご覧いただきたい、竹虎にある通常の熊手と比べるとこの通り!これだけの超特大サイズの別注熊手である。熊手はご存知の通り、枯れ葉などをかき寄せたりして庭で使われる事が多いが、木製、鉄製、プラスチック製など色々な素材で作られるものの、やはり絶妙なしなやかさ、強さのある竹が好まれている。超特大熊手には、大きさに合わせて虎竹柄も太めのものを選んで取り付けた。
熊手の扇状に広がる歯部分は、用途によって細かったり太かったりと竹の割幅が変わる。竹虎の黒竹熊手は出来るだけ丈夫にというご要望で、ずっと前からこのような幅広の強力な歯となっている。今回の超特大熊手はサイズこそ大きいけれど竹の割幅ま狭く柔軟にしなるので、繊細な庭園のお手入れに適している。
日頃あまり気にかける事もない熊手だと思うけれど、年末の大掃除や迎春の用意では竹箒と共に活躍する場面が多くなるのではないだろうか。海外からの輸入も沢山ある中で、日本の孟宗竹を伐採しながら国産にこだわって製造続ける熊手工場での仕事は目を見張るものがある。
切断された素材が菊割で均等な幅に揃えられ、最大の見せ場は熱した竹材を急角度に曲げていく行程だ。恐らく初めてご覧になられる方ばかりだと思うので、是非この機会にご覧いただきたい。
近年の温暖化で段々と竹の成育地域が北に上がっているそうだけれど、世界的にみても竹の北限は日本だ。北の竹と言うと10年近く前にお伺いさせて頂いた、山形県鶴岡市の湯田川温泉を思い出す。ここは孟宗竹の竹林がある北限と言われていて、ちょうど雪の日に入った竹林は素晴らしく美しかった、そして、やはり九州など温かい土地に育つ孟宗と異なり小振りだった。
だから、元々南方系の植物である竹は東北には少なく、篠竹やスズ竹、根曲竹など小型の笹類が中心となる。さらに、竹ではなく樹木や蔓を使った編組細工があるから素晴らしい。山葡萄やマタタビ、アケビ細工などは有名だが、イタヤカエデという木を薄く削ってヒゴにして編み込んだ籠なども昔から作られてきた。
根曲竹の縁にイタヤカエデとフジを使った箕をずっと大切に持っている。木なのに、竹にも負けないような柔軟性と強さに最初は驚いて感動した。
竹が無くとも地域に豊富にある素材で秀逸な籠を編み上げる先人の知恵。フジ、シロヤナギ、イタヤカエデ、サルナシなど複数の山の恵みを使った角籠がある。
久しぶりに見る角籠は、見分けがつかないように思えるけれど素材に少し変更があった。白いフジと赤いシロヤナギの美しい市松模様の編み込みは、以前はフジではなくヤマウルシだったはずだ。今では作り手のいなくなった桜箕も桜皮、蓬莱竹、ビワの木、カズラなど複数の自然素材を集める事そのものが大変だったから、きっと同じなのだろう。しかし、さすがに名人、出来栄えはやはり美しい。
長くトートバッグとして愛用してきた棚編みの山葡萄手提げ籠バッグの修理が遂にできあがってきた。底部分の大きな穴も気になるけれど、まず持ち手が大きく変更になった。腰籠として使われていた籠にリング式の持ち手を付けて使っていたが、少し頼り無くも思っていたので、今回は口部分にしっかりと持ち手を固定して取り付ける事にした。リング式のように可動しないけれど、安定感があって断然こちらの方が持ちやすい。
やはり、いくら丈夫で堅牢な山葡萄と言えども耐久性には限界がある。負荷のかかる箇所のヒゴはヒビ割れから、ついには折れてしまって大きな穴が開いてしまっていた。
籠で一番傷みやすい角部分、そして重い荷物を運び続けてきた底部分の弱ったヒゴを差し替えたり、その上に重ねたりして手直ししてもらっているので今後は安心して何処にでも出かけられそうだ。
昔の山葡萄はヒゴも厚く武骨な雰囲気が魅力、新しい持ち手も良い感じ、申し分ない。
こんなトートーバッグ持っている人いるだろうか?一時期、あらゆるブランドも回って探したけれど、どれもしっくりこなかったが、何の事はない最高の相棒はずっと前から横にいてくれたのだ。
竹は種類や使い方によるけれど、寒い季節に伐採するのが一般的だ。もちろん一年通して竹伐採をしている職人もいるのだが、日本の竹は秋の深まりと共に本格的に始まる。そこで昨年の竹がなくなり、品薄になっていた遍路杖の材料が今年も思ったとおりに確保できてまずまず満足している。
遍路杖の材料は布袋竹という竹だ、布袋様のお腹のような膨らみがある特徴的で面白い竹で、西日本では護岸用として川岸に群生して植えられているのを良く見かける。元々大陸から渡って来た竹のひとつだが、五三竹(ゴサンチク)はじめ、全国で10種類を超える呼び名がある事から日本人の暮らしに深く根付いた竹でもある。
原竹そのままで使うのではなく、虎竹などと同じようにガスバーナーで油抜きという加工をする。
竹は油成分の多い植物なので、余分な油を取り除く事により耐久性を高め、雑巾で拭き取ると輝くような美しい竹肌になる。
竹の個性によって、手に馴染んで持ちやすそうな様々な形の竹がある。このユニークな形から釣竿やステッキなどに多用されている。乾燥するほどに硬く締まる性質があるから杖には最適の竹でもあるのだ。
ガスバーナーの温度は約700度、竹が熱せられているうちに布袋竹の曲がりを矯正する。職人の思い通りに曲がる竹材も、冷えてしまえば固まってしまい全く曲がらない。
実は、職人仲間も絶賛する山里の名人が作る竹箒の柄にもこの布袋竹(五三竹)が使わている。布袋様のお腹のような部分を利用する訳ではないから、まっすぐに伸びている竹を選んで伐っている。それでも、わざわざ布袋竹を使うのは、やはり乾燥すると丈夫になる竹質からだ。昔からの名人が好んで使う竹材だから間違いはない。
何とも心地の良い天気に竹の葉が揺らいでいる、知らずにいると何気に見逃してしまいそうだが、竹がここに生えているのは偶然ではない。この竹はバンブー系の株立ちになっている蓬莱竹という西日本では良く見られる竹だ。遠く向こうまで続く蓬莱竹は、この土手を護るために、わざわざ先人が植えたものなのだ。
普段は静かで穏やかな流れの河川は、水田や畑の農業用水として欠かせない。ところが、これが台風シーズンなどの大雨ともなると一変して恐ろしい真っ黒な激流となって、人家や田畑に災いをもたらしかねない。そこで、細い稈が密集して生えて太い株となり地面にしっかりと根を張る力強い竹の出番となる。
この別の川岸にも並んで生えている蓬莱竹、大雨による土砂が田に流れ込むのは仕方ないけれど、大きな石や流木など余計なものは、これらの竹が櫛の目のようになって、しっかり受けて止め通さない。
節からは、まるで筍のようにも見える枝が競い合うかのように何本も生えている。さすが南方系の竹と思える生命力を感じる。
このような蓬莱竹の姿を見れば、虎竹の里の近くで伐採されてしまって丸裸になってしまった、あの竹株を思い出さずにいられない。あれからどうなったろうか?もしかしたら気にかかっておられた方もいるのかも知れない。そんな皆様どうかご安心ください、あの竹は逞しくも既に復活してこれだけの大きさにまでなっている。まさに土地の守り神である。
メゴ笹は名前だけ見ていると笹の仲間のようだが実は竹類。竹とは思えないけれど、最小サイズの竹の仲間なのだ。西日本の各地に成育していて、通っている名前だけでも神楽笹、オカメザサ、カンノンザサなど10数種もの呼び名があるから昔から人の暮らしの中でかなり役立ってきた竹だろう。特に恵比寿神社の酉の市では、熊手や百両小判、千両箱などつけた福笹として使われるなど、身近であり縁起物でもあるのだ。
そんなメゴ笹洗濯籠が何故「幻の籠」と言われてきたのか?自分も入社してから3年間は噂を聞くだけで、実際に手にした事すらなかった籠なのだ。素材自体は沢山あり、伐採も比較的簡単なのに見る機会が少ない理由は、メゴ笹の性質にある。この竹は伐採したら、まさに時間との勝負なのだ、すぐに編まなければ硬くなって全く編めなくなる。乾燥して硬くなる性質は一旦籠に編むと丈夫になるから嬉しい反面、この材質の扱いづらさから編まれる数量が限られてしまう。
昨日の30年ブログでは、伊達政宗の甲冑の話題だったけれど、その繋がりで言うとメゴ笹は、戦国時代には城郭や砦の防衛機能としての役割も担っていた。密集して生える丈夫なメゴ笹を、戦となったら短くハス切りするのだ。
このような少し意外な使われ方もしてきたメゴ笹だが、編み上がった直後の青々とした美しさは何とも言えない。しかし、本当に短い間だけの色合いなので多くの場合は現場にいる職人ならでは手に出来る儚い青さでもある。
手早くメゴ笹を編み込む職人の仕事をYouTube動画にしている。伐採したばかりの材料の葉を取りヒゴにしていくが、余分なヒゴは水に浸けているあたりにも注目していただきたい。
さて、メゴ笹洗濯籠に入れた洗濯物を持ち運ぶのなら持ち手が重宝する。
丸竹そのままに編み込むメゴ笹細工は、茶碗籠に最適だ。小振りの籠も持ち手付は便利、奥に見える色合いの落ち着いたメゴ笹と比べてると色合いの経年変化がお分かりいただける。日本三大有用竹などと言われるけれど、日本には600種を超える竹があり、それぞれの地域にあった竹材で編まれてきた竹細工は奧深く、いつも感動する。
皆様は新年の年賀状は出されますでしょうか?出されませんでしょうか?実は先日、名古屋中京テレビ放送の情報番組「キャッチ!」で竹虎の年賀状を取り上げて頂いた。近年は、手軽なラインなどの普及もあって年賀状を書く方が少なくなってきたようだ。そう言えば、会社関係等でも、来年から年賀を取りやめますというお知らせが秋以降に何社も届いている。しかし、そんな世情に逆行するように、竹虎は2024年新春も3700枚近い年賀状を送付予定だ(笑)。
大学四回生の時に、その一年の報告のような形でスタートした年賀状だが、年を重ねて今回で36作目。段々と干支を気にするようになってきた、ちょうど12年前の年賀状は辰=龍にこだわり、独眼竜正宗の甲冑を着た。
そして、龍門司に入れた烏龍茶を竜の浜で飲むという、なんともベタな動画がこのYouTubeだ。NO BAMBOO NO LIFEと言う言葉を使っている、今でこそNO ●●● NO ●●●と書かれたものを見かける機会があるが、この年賀が2012年だから結構前から言い続けている事になる。
元々自分達で撮影して製作していたものが、前の申年から様々なジャンルで活躍されている写真家ミナモトタダユキさんが担当してくださっている。出来あがった写真には毎年驚いてしまう、写真マジックだ、来年の辰年も手にされた方には、きっと新春サプライズになるのではないだろうか?
竹虎では12月20日(水)まで商品代金合計3,300円(税込)以上お買い上げの方の中から、2024年にちなんで抽選で224名様に年賀状をお届けさせてもらう事になっている。子供の頃ほど特別感のなくなった正月ではあるものの、大切な節目であるのには違いない。今年も残すところ後わすが、思い残すことのないようにしたい。
島根県津和野町を流れる高津川沿いに車を走らせる。達人は、車窓から飛び跳ねる鮎を見ただけで大きさが分かると言う。多い時には一日に80キロもの漁獲量がある、つまりこの鮎魚籠で20個分だから少し驚いた。だから鮎魚籠は長持ちする事なく、3年でやり替えていたそうだ、特にやはり口部分が傷みやすい。
高津川の鮎魚籠の口部分には「カエシ」がついている。自分の魚籠についている棕櫚のカエシを見て素人と笑う、この結び方では使っているうちに棕櫚が抜けてしまうそうなのだ。この棕櫚カエシ見てそんな事言う方は他に知らない。
達人の使うカエシはナイロン紐製だけれど自作で紐が絶対にぬけないように編まれている。川の中で鮎を魚籠に移すから、このカエシは必要不可欠な大事なパーツなのだ。
二つの鮎魚籠と比べると首部分の長さが違う。原型に近いのは、もちろん首が長い方で、鮎が飛び出さないというのもあるし、見た目の優美さもある。
実際に川で使う場合には、籠にこのような被せをしている、これは網を投げる時に竹ヒゴに引っ掛かるのを防ぐための工夫だ。
鮎魚籠の厚みの事も盛んに話されているのを聞いて、前に虎竹で製作していた魚籠を思い出す。そう言えば、あの渓流釣りのための魚籠も厚みが薄く、腰にピタリと添うように編まれていた。元々は自身も釣りを楽しまれる職人だったから、釣り人の事はよく理解されていたのだろう。
竹虎にある鮎籠とは全く異なる形、いやどこの魚籠とも恐らく似ていなくて、一つしか残っていないかもと思っていた不思議な鮎魚籠が3個ならんでいる。もしかしたら、この高津川流域には、まだ昔ながらの同じ籠を使っておられる川漁師さんがいるのだろうか?籠は黙って答えてくれない(笑)。
小さい頃には鮎がキライだった。自宅の勝手口には、父が新荘川で捕ってくる鮎のための専用冷凍庫があったくらいだから、季節には毎晩のように食卓には鮎が並ぶ。独特の苦みも子供心には、一体どこが美味しいのか?とずっと思っていた。ところが大人になって、連れて行ってもらった山奥のお店で頂いた鮎が感動するほどの味で、一気に大好きになった。そんな大好物の鮎が目の前にならんでいる。達人のお宅では、低温でじっくり素揚げした鮎に醤油を少しだけ垂らして食するのが定番だそうだ。旨い!とにかく旨かった、高津川の鮎...凄い。
何匹か食べて、ふと我に返る。これが心の片隅に不思議な魚籠として、ずっと引っ掛かっている高津川の鮎魚籠に入れられていた鮎か!そう思うと更に箸がすすんだ。
すっかり漁師の顔になった達人が、投網を見せてくれる。父が使っていたものと同じような網で懐かしい、重りなどパーツを沢山入れた箱もあるから自作されるのだろうか、そういえば夜なべに父も何やら作っていた。
新荘川の鮎漁では、たしか投網を投げてから岸辺に網をあげてから鮎を外していた。しかし、こちらでは川の中で鮎を外すそうだ、その方が鮎が傷まないと言われる。なるほど、だから魚籠が必要なのか、それにしても話を聞いている内に漁の様子も拝見したくなった。
高津川の不思議な鮎魚籠の謎が知りたくて来たけれど、鮎魚籠を知るには、作る方、使う方、そして鮎、地域を知らねば辿りつけないのだと感じた。皿の鮎はみるみる無くなった。
(明日の30年ブログにつづく)
島根県を流れる高津川は、日本で唯一つダムのない一級河川として知られ、美しい流れの中で豊かな川の恵みが育まれている。高知にも最後の清流四万十川があって鮎は有名だが、高津川流域の鮎も特産のとして全国に知られており、地元で長年漁をされてきた人たちの川への愛情や思い入れは凄いものを感じる。
そんな一つの表れが、山口県との県境に近い山間地域で昔から伝統的に編まれてきた独特の形の鮎魚籠だろう。もう随分と前に、最後の職人さんにお会いした事があり、お願いして一つ編んでもらった。その時にも、色々とお話をお伺いしたけれど、先人の魚籠を見よう見真似で作っておられて、どうしてこのような形状の籠になったのかは分からず仕舞いで不思議に思っていた。
この鮎魚籠を、どこかにないかと探しておられる鮎漁の達人がいた。50年に渡って川漁をされてきた方で、鮎の産地を彼方こちらと全国探してみてもこのようなユニークな籠はどこにも見つからなかった。
しかし、毎年6月1日の解禁から9月末までの漁期には、投網漁をされるこのベテランの方なら、もしかしたら高津川の鮎魚籠について何かご存じの事もあるのではないか?そんな思いがあって山道を訪ねて行った。職人さんも、この鮎魚籠には50匹の鮎が入ると話していた、しかし、そんなに入るのたろうか?ずっと疑問だった。実は、自分の父も須崎市を流れる新荘川で長く投網漁をしていたので鮎の事は多少知っているつもりだった。
ところが、詳しく聞いてみると捕まえる鮎が60~70グラムの自分が思うより小振りなものなのだ。これくらいのサイズが骨も柔らかくて、そのまま食せるから良いのだと言う。あまり入れると重たくなるから一度に入れる鮎の重さが4キロ程度、という事は小さいように見えて籠の中には60匹の鮎が入る事になる。その際にこの特殊な形状の魚籠だと、鮎にキズがつかないから重宝するらしい。不思議な高津川の魚籠については書ききれないので、又明日にします(笑)。
(明日の30年ブログにつづく)
ずっと復刻させてたいと思っていた網代編みの竹笠は、柾目の竹ヒゴを使い予想以上の美しさに仕上がった。自分が愛用している竹笠をモデルにしたけれど比べてくると圧倒的、特に職人がこだわり縁部分まで編み込んで作り込んでいるから、籐でかがるのとは高級感も全く異なる。
同じ山形になった角笠でも、こちらは真竹の竹皮を編み込んだ竹皮笠。防水性の高い竹皮を何枚も重ねて、その上を長く取った竹ヒゴで留めている。屋外で使用されてきたものなので、良品はあまり残っておらず一般的にはご覧になられる機会は少ないかも知れないが、盛んに製作されていた竹細工のひとつ。
こちらも同じ竹皮を使った角笠、傷みやすい先端部分を六ツ目編みして補強されている。
このように日本国内でも笠は生活必需品として、それぞれの地域で様々なものが生産されてきて、今に繋がっている。大阪万博記念公園にある、国立民族学博物館に展示されているアジアの笠にも竹を使い、日本と同じような作りをしているモノがあり面白い。
実際に笠を使って自然の中にいると案外と風を受けることが分かる。だから、石垣島で作られるクバ笠には畑用の他に、強い海風に飛ばされないよう幅を狭くした海用がある。アジアの笠の大きさ、形や素材、色合いにもきっとそれぞれの理由があるに違いない。
細い虎竹をズラリと並べているので、少し分かりづらいけれど虎竹玉袖垣りが、いよいよ仕上げの段階になっている。今年も師走となり残すところ少しとなってきたが、この時期になるとお正月を綺麗な玄関で迎えられたいというお客様から、袖垣や竹垣の滑り込みのようなご注文が何件か入ってくる。
袖垣など大型の竹製品は特殊でもあり、需要も段々と減少してきたので今ではあまり製作している所もなくなった。そのせいだろうか? 珍しさからかも知れないが、竹虎YouTube動画「日本唯一の虎竹を使った玉袖垣の作り方」は、今日現在で再生回数が325万回にもなっている。
出来あがりを見るだけでは知る事のできない、手の込んだ袖垣の製作工程が良くお分かりいただけると思う。ご関心のある方は是非ご覧下さい。
沢山の方が「知らなかった」と驚かれるのが、袖垣の柱部分。一本の竹を使って作られているように思われているが、実は芯に入れた孟宗竹に細く割った虎竹を巻きつけて仕上げている。
そこで、このように竹節を少しづつズラした模様を付ける事もできるのだ。柱に巻き付ける竹を巻竹と呼んでいる。袖垣の種類によって割り幅が異なるのだけれど、細く均等に割っていくのは長くなるほど技術が必要で、この巻竹作りばかりしてくれている内職さんは今でも健在だ。
巻竹に似た竹のあしらいで、竹ヒシギというものがある。ただ、巻竹が竹を刃物で割るのに対して、ヒシギは専用の金槌のような道具で叩き割る形で丸い竹を平にしていく。
ヒシギと言えば、前にもお話しした事があるけれど、大阪万博記念公園にある国立民族学博物館での仕事を思い出す。館内に復元する屋根材に使用されるため、特別に長い虎竹ヒシギを作った事がある。自分などはヒシギと言えば、袖垣に使うと思いがちなのだが、実は昔から壁材などとしても使われてきた建材のひとつなのだ。
工房に残されていた、最後のレジェンド白竹蓋付き手付き籠バッグをご覧いただきたい。地元高知では、新しい竹細工のまさに草分けの職人であり、今やレジェンドともなっている氏が「ワシの技の集大成じゃ」と語る白竹手提げ籠バッグだ。それが、いよいよ今回で最後の最後、しかもワケありという成り行きについては一番下のYouTube動画に掲載させてもらっている。
使用頻度は全く高くなくて年に何度も手にする機会がないのだが、とにかく形の良さに加えて「カチリ」と閉まる上蓋の機能性の素晴らしさが気にいって、この竹籠バッグは長い間愛用させてもらっている。
職人の工房に残されていたのは、竹籠両側の急な角度にUの字型に曲げた部分の細い竹ヒゴにビビ割れや、小さなハジキが見られるためだ。けれど、自分自身が使っていて、何から不具合を感じる事はない、それより高度な技で編まれたリクエストも頂く逸品を皆様にお使いいただけないのが、ずっと残念に思っていた。そこで、今回特別にご紹介する事にしました。
国内に沢山ある孟宗竹の竹林を見れば、多くの方が国産竹材を活かしたモノ作りを夢見る。竹は成長が早く、SDGs・持続可能な社会が言われる現在において、これほど素晴らしい素材は他にないからだ。そこで、元々国内で製造されていた国産竹割箸を復活させたいと、何とか13年前に製造が再開していた竹割箸工場だが、製造コスト、後継者問題などの課題に直面して止む無く生産は休止してしまった。
しかし、そんな国産竹割箸をフェニックスのように再び蘇らせる熱き竹職人がいる。まさに無尽蔵の孟宗竹だが、これを竹割箸に加工していくには、やはり製造機械がカギだ。幸いここには、一級品の工作機械と長い間蓄積させてきたノウハウがあった。
防虫・防カビ・漂白剤不使用、無添加の国産竹割り箸でも、輸入の割り箸が沢山ある中ではコストを出来る限り圧縮して安価に提供できるようにしなければならない。
薬剤不使用で製造するには良質な竹材の確保も必要だし、カビやすい竹材を考えると湿度の高い季節の製造は難しいかも知れない。
漂白もしないから、出上がる竹箸には色ムラがある。しかし皆様に知っていただきたいのは、これが自然の竹の色合いであり、山で自分達が感じる竹のニオイでもあるのだ。
今度の国産竹割箸は、一手間かけて天削にして、少し高級感のある仕上げとなっている。
研磨剤などを入れずにドラム研磨機で回転させ研磨加工をしている。長時間回転させた後、乾燥させるのだが、その際に竹ならではの細かい毛羽立ちができるので、研磨加工は二回行っている。
防虫・防カビを使わないから余計に手間がかかったり、大量製造できなかったりするが、竹の国である日本で割箸すら自国で製造できていないのは、いかがなものだろうか?せっかく世界的にも品質の高い竹がある国内の竹割箸製造を通して竹林や環境について考えていただく機会にもなると思っている。
やはり、温暖化など気候変化の影響だろうか?先日は、たまたま近くの漁港を通りがかったら、あまり見た事のないような魚が揚がっている。詳しくは知らないけれど、どうも沖縄などもっと温かな海にいるような魚のようだったから聞いてみたら、最近では珍しい事ではないらしい。
変化は海だけでなくて、高知から遠く離れた寒い地域の竹林でも起こっている。今年も篠竹はあまり良くないから伐採していないと職人から聞いていた。それなら篠竹で編まれる、どじょうどは出来ないのかと心配になっていたが、どうやら何とか竹を選んで製作できているようで安心した。
鰻筌などと同様に、どじょうを捕まえるどじょうどにも魚が入る入り口があって、一度入るとなかなか外に出られない構造だ。少し異なっているのが、竹表皮が内側を向いておりドジョウを傷付けないように工夫されている。篠竹で編まれる魚籠には、こうした作りになっているものが多い。
そして、最後にこのどじょうどのユニークな点は、魚を捕まえた後にある。お尻の部分は、竹の弾性でキュッと絞れているのだけれど、籠全体をねじるように力を入れたらパッと口を開けるのだ。これは、百聞は一見にしかずで、YouTube動画でご覧いただくと良くご理解いただけて、最高に面白いと思う。
シダ編み籠と聞いても、ピンと来る方がどれくらいいるだろうか?紅葉狩りの季節でもあったので、休日に近くの山に出かけたり、趣味でトレッキングなどされる方も多いのでシダをご存知の方は多いと思う。そんな皆様が普通に見かけるシダを使った籠がかつては編まれていて、耐水性の高さから茶碗籠や脱衣籠などとして多用されていたのだ。
南北に長い日本では、その地域で手に入りやすい素材を使って実に様々な籠が編まれて暮らしの中で愛用されて来た。竹と一口に言っても真竹や淡竹など大型の竹材と、細い小型のメゴ笹(カグラササ)では性質が全く異なり、編み上がる籠が違う。
メゴ笹は細い丸竹そのままに籠に使うので、ツルツルした竹表皮(ちなみにメゴ笹は、「笹」と付いているがタケ類)を活かした籠になる。比較的に長い竹材が取れるから大型の籠も編める、湿気にも強く、毛羽立ちもないので洗濯籠などに使われる。
シダは、天然のプラスチックと呼びたいほどの防水性を持ったヒゴが特徴だ。ちょうど秋口から冬場にかけてがシダの伐採の季節だが、茎の長い物ばかりがある訳ではない。昔のように、シダ屋さんがあってそれぞれの長さを素材を揃えてくれている訳ではない。自然に生えている素材の長さや、性質を見ながら籠を編むので出来あがる籠のサイズには結構差があったりする。
それでも、水切り籠として自然素材最強の耐水性を誇る機能性と美しさは魅力的だ。古民家で、真っ黒くなった籠はシダで編まれたものだった、囲炉裏の生活で煤けた事もあるのだけれど、シダも使い込むと何とも言えない経年変色と艶がでてくる。知らない世代には、是非伝えたい日本の逸品なのだ。
直径26センチで深さが9センチ程度ある米研ぎざるだから、5合程度までのお米なら十分に入れられる大きさだ。昔ならいざ知らず、現代のようにご家族の人数が少なく、またお米を以前のように食べる事が少なくなっているので十分なサイズではないだろうか。
竹の旬が良くなり、今年の青竹細工が少しづつ編み上がるようになってきた。これから年末にかけて、茶碗籠や手付き籠、御用籠なども出来あがる予定だが、こうして欠品になりがちな米とぎざるが揃うと嬉しくなってくる。
納屋や離れに自分の仕事を作る内職の職人さん達は口をそろえて幸せだと言う。自分の好きな時に、好きなように仕事ができるのが一番だからだ。編みが若干粗くなったり、微妙な歪みが出たりするようになった古老の竹ざるを見ながら、定年退職する会社勤めの方のようにキッパリと竹から離れた職人の華麗な技を思いだした。
美しい青物細工を見る事は段々と少なくなってきたが、大型の竹籠で米揚げともマンゴク(万石)、コエジョウケ(肥ざる)、シカクジョーケと呼ばれていた横編みの籠は、ほとんど編まれる事がなくなった籠のひとつだ。綺麗に編まれた籠は、衣類を入れる洗濯籠としても重宝しており、かつて自分がどうして角型のものが欲しくて熟練の職人に製作してもらっていた事がある。
通常は真竹が多用される籠だが、こちらの洗濯竹籠(角)は孟宗竹と淡竹を使い丁寧に、堅牢に脱衣籠として作り上げられていた。角張った籠の作製には高度な技術が必要で、そもそも数が少なかったのだが虫喰い穴があるため、手元に置いていたものを皆様にご覧いただきたくて特別販売としてご紹介した。