高祖父・安兵衛が寄進した本政寺の奉塔と竹細工

本政寺、山岸安兵衛奉塔


竹虎の創業は明治27年、大阪天王寺だった。終戦後、虎竹の唯一の生育地である高知に本社を移したので、祖父の代までの親族の多くは大阪にいて、小さい頃には祖父の姉がいた八尾には良く行ったものだ。当時は高知港から大阪南港までフェリーだったが、港についてから八尾までの道順を、子供ながらに覚えてしまう程だった。大学進学となって東大阪の大学を選んだのも、最寄り駅の俊徳道と生野区でそれぞれ米屋を営む親類がいたからが大きかったかも知れない。そうそう、大学近くで古い漢方薬局をやっている親戚もいたから、中学高校と全寮制で、世間知らずだった田舎者の自分も何かと心強かった。


本政寺、山岸安兵衛奉塔


大阪市中央区谷町、多数の寺院の集まった寺町にある本政寺には、高祖父・山岸安兵衛が建てた奉塔がある。元々は堺にある月蔵寺が菩提寺だったと言うけれど、商売をしていた関係で大阪市内に移ったのだろうか。まあ、とにかくご先祖様のお陰で今日があり、生かされているので、近くに来たら素通りはできない。


大阪寺町本政寺、山岸安兵衛奉塔


いつもの空堀商店街に行ってお供えの花を買う。週末だったので沢山の人でにぎわう通り、店員さんの対応、アーケードの空気感が、妙に肌に合って心地よい。この日は、長くお参りした後に、住職さんとお話させて頂いた。「安兵衛さんから、竹細工を寄進してもらった事がある」初めて聞く話だが、現品は既に無い。竹材商を始めたのは曽祖父・宇三郎からだが、安兵衛が寄進した竹とは何だろうか?ずっと考えながら車を走らせていた、知らぬ間に高知に着いた。



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