虎竹を使った袖垣作りは祖父の代から続く伝統の仕事のひとつだ。袖垣と言っても今ではピンと来る方などそうそういないのではないだろうか。かつての日本建築の住宅なら玄関脇に目隠しのように袖垣が設らえられていたし、少し大きなお宅になると縁側の付いた庭への通用門のように杉皮の門が立てられ、枝折戸だったり焼き板木戸だったりで出入りしていたものだ。それは、一体どんな豪邸ですか?と笑われそうだ。もちろん、何処でもあったと言うつもりは無いけれど、本当に普通のお住まいでも結構そのようなご自宅はあった。
それが証拠に自分が入社した頃でさえ、竹虎にあった2台の10トントラックは袖垣を満載にして京阪神のお得意様まで走っていた。大量生産されていた竹製品は、どこも同じだったけれど袖垣も完全分業制となっていて竹林で伐採する山の職人は当然だが、孟宗竹の枠組を作る職人、巻竹細工の職人、仕上げの職人と、それぞれパートが決まってした。袖垣は、孟宗竹で組んだ枠を細かく割った虎竹で巻いて仕上げる、その巻竹を割ったり、飾りに使うヒシギを叩いたり、黒竹の穂を集めて揃える職人は内職さんが20人いて、一年通してフル稼働していた。そうそう、格子部分を留める四万十川流域で集めてくるカズラも専門の方がいた。
住宅事情の変化、輸入品やプラスチック製品の増大で急激に製造量が減った袖垣は、今や孟宗竹の伐採から仕上げまでこなせる職人でないと作れなくなった。数十人もの職人が関わって10トン車に高く積み上げていたなど夢のようだ。だから、今でもずっと大きな倉庫に残り続けている在庫を見る度に、ずっとお荷物のように感じていた。少し下向きな気持ちになりがちなのが正直なところだった。けれど、YouTube動画に作り方をアップしてから、もうすぐ3年という所で何と再生回数300万回だから驚いてしまう。未来を感じられなかった虎竹袖垣に微かに光が見えるような気持ちになるから、ご覧いただく全ての皆様に心からお礼を申し上げます。
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