着物屋のご主人さんとお話しする機会があった。着物は仕立て直しを簡単にすることが出来て、体型の違う人にでも着まわす事ができる。着古しても捨てる事はせず、使えるところは子供の着物に仕立てて有効利用してきたそうだ。それでも更に古くなると、今度は雑巾やハギレ、最後には赤ちゃんのオシメにまで使われていたと言うから徹底している。そう言えば竹虎の竹皮草履の鼻緒に着物のハギレを使う場合がある、このように元々日本の暮らしというのは物を大切にした循環型の社会だった。
竹細工も同じだ、使い込んで傷んだ竹籠は修理しながら使ってきた。身近にあって、加工性の高い竹ならではの大きな特徴の一つだ、こうして長く長く愛用できるのが竹なのだ。そして、どうしても修理できない籠の場合には和紙を貼って、漆や柿渋で耐久性を高めて又使ってきたから凄い。この技は一閑張りとして現代にも残っている。
さて、今回長年にわたって鰻魚籠として活躍してきて籐の口巻部分が完全に壊れてしまった籠だ。プラスチック製品なら廃棄してしまう所だけど、竹はどうだ。この通り、熟練の職人技によって新しい生命を吹き込まれたかのように蘇った。SDGs(エス・ディー・ジーズ)という言葉を最近よく耳にするけれど、日本の暮らしは元々自然に優しいサステナブルなものだったのだ。
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