箕は実用的な生活道具としての他に、言い伝えや風習に関わるものがあるが、商売繁盛や福を集める福箕としての縁起物でもあるために色々なデザインに取り入れられている。たとえば、この虎竹箕である。えらく粗い編み目だと感じる方もおられるかも知れない。
実は、これは虎竹箕の形をした色紙掛けである。最近では色紙を飾る事も少ないので「色紙掛け」と言ってもピンと来られない方がいるだろうか。この竹の小枝で色紙を留めて飾るようにできている。
さて、このような色紙掛けのような飾りなら粗い編み目も納得でるのだが、この四ツ目編の箕はどうだ。
高知で昔から編まれてきた伝統の土佐箕は、網代編みでしっかりと目が詰まり、穀物でも何でも落とさないように作られている。
では、このような四ツ目編の箕は何使うのかと言うと実は炭の選別に使われてきた。編み目が大きいので、細かい炭や不要なものを選り分ける事ができるのだ。
炭は燃料として長く人々の暮らしを支えてきた生活必需品なので、対馬で「エビトヨブ」と呼ばれる箕も当時は大活躍していたに違いないのである。
亀甲竹の一輪差しをご存知だろうか?元々は孟宗竹の変種が固定化した竹で、節間の盛り上がりが亀の甲羅のように見えるから亀甲竹と呼ばれている。この竹の表情の面白い部分を切断して竹花入れにしているのだ。
竹自体にも年期が入っていて、真っ白い竹肌は飴色のように渋い色合いに変わってきている。節の湾曲が「何故だ?」と言うくらいにカーブを連続して描いているが、亀の甲羅のような節の曲がりは、根元の方に多い。
節が真っ直ぐな普通の孟宗竹と比べると、まるで別の植物のように見た目が異なる。しかし、そのお陰で滑りにくく持ちやすい事から水戸黄門さんや四国遍路の方にもご愛用いただく杖になったり、釣り竿用としても使われてきた。
亀甲竹では面白い話があ。実は竹虎本社工場を建て替えた時に、お得意様から美しい亀甲竹を株ごと沢山いただいて庭に植えていた。ところが、植物のというのは土地や微妙な風土で思うように育たない事があるのだ。竹虎に移植した亀甲竹は、年々新しく生える新竹の亀の甲羅ようなデコボコが減っていった。そして、十数年経った後は、どこにでもあるような孟宗竹になってしまったから驚く。
虎竹の里でしか成育しない虎竹も、色々な所に移植しても美しい虎模様が出ない。竹に限った事ではないかも知れないけれど、自然は神秘にあふれている。
このショルダーバッグのように素地が全く見えなくなるまで色付けしていると、素材感が分からなくなってしまい一体何で出来ているのかと思われる方がいても不思議ではない。自分では当たり前すぎて、あまり気にしてこなかったのだが、店頭にそのまま置いてあるだけでは木なのか?プラスチックなのか?陶器なのか?知らずに、あるいは関心も引かれる事なく見過ごされてしまっていたのではないかと思う。しかし、実はこれは竹なのだ。
厚みのある孟宗竹の身部分を球形に削りだし、中央に穴を開け紐を通して繋ぎ合わせて作られている。最盛期は70年代頃ではなかったかと思うが、この球形のサイズを変えたり、形状を変えたりした様々な製品があった。
このビーズショルダーバッグも、そんな中のひとつである。楕円形のビーズも球形のビーズも竹で作られている。
塗装をしていない部分を見ると竹特有の維管束の模様を確認できて、間違いなく竹だとお分かり頂ける。
ショルダーバッグ、ハンドバッグなどバッグ類が多かったけれど、ベルトもあった。レトロ感あふれる懐かしい竹ビーズネックレスは奇跡的に倉庫からデッドストックの製品が見つかってご紹介させてもらっている。
現在では品切れとなってしまっている竹炭盛皿という商品がある。長さが約30センチ、幅が約8.5センチあるビックサイズの竹炭をお皿として料理などに使えれば面白いと思い、炭職人と相談しながら作っていたものだ。ところが、これが本当に難しい。まず素材の孟宗竹から徹底的に吟味せねばならない、竹を炭に焼くと20%程度は縮んでしまうので出来るたけ大きく厚みのある竹材を用いる。大きく焼くというのは割れや捻じれなどのリスクも高まるから、3~4年竹を他の竹材以上にしっかりと乾燥させていた。
ところが特別に手間暇かけて窯入れしていても、実は焼き上げてみないとその時々の天候や環境により土窯は微妙に異なり思うように良品ばかりは出来上がらない。自分のこだわりだけで採算の合わない竹皿作りを続けていられないのと、孟宗竹調達の事もあって今では幻のような竹炭になっている。
そんな難しい竹炭盛皿に、新たに挑戦される竹炭職人さんが素晴らしく綺麗な竹炭を試作として焼き上げてきた。長さは30センチを超えているし幅はなんと14センチ以上もある。特殊な技法で焼き上げられているので、前の竹炭皿と比べると捻じれがほとんど無いと言っても良いくらいの出来栄えだ。同じ土窯作りだけれど、これだとコンスタントに製作できそうだと思っていた。
しかし、やはりこれだけのサイズの竹炭になると弱点がある。今の作り方では低温の竹炭にしかならず、導電率の低い竹炭にしか焼けない。一定の品質を保ちつつ焼き上げられるけれど、その反面高温の最高級竹炭に比べて硬度がなく水に弱いのだ。試しに何度か水に浸けてみたが乾燥の過程でまるで消臭・調湿用の竹炭(バラ)を水洗いした時のように小さな音を立てて割れてしまう。
食器として使える竹炭にしたいので水洗いは絶対に必要だ。1000度の高温で焼き上げられる最高級竹炭と、低温窯で焼かれる竹炭では、機能性も性質も随分と異なる。高温で硬く焼き上げながら、大きく安定させた形という難しい課題を乗り越えないと竹炭盛皿は完成できないのです。
元々、この根曲竹の手提げ籠は「りんご籠」という名前で呼んでいた。青森のリンゴ農家さんでは、リンゴの収穫にこの竹籠を使っていたのだ。ズシリと重たい果実を入れられる根曲竹の丈夫さと、リンゴ表皮をキズ付けない竹のしなやかさが重宝されていると聞いて納得した。現在では農作業に竹籠を使う事はなく、プラスチックの籠ばかりだそうだけれど、当時は職人さんの倉庫に行くと、見た事もないような数のリンゴ籠がギッシリと山のように積み込まれていたので、まだまだ多くの農家さんで使われていたのだろう。
定番の大きさは高さが19センチくらいあるのだが、今回少し浅めのサイズが出来あがってきた。通常の籠よりも3センチ程度低い、わずかの差のように思えて、実は手にするとかなり使い勝手が違う。
サイズで見るよりも、ずっと浅く感じるので籠の出し入れは容易なのだ。それにしても、根曲竹の話が出る度にクマに出会わないように爆竹ならし、笛を吹きながら竹林に入る緊張感ある根曲竹伐採を思い出す。ご存知ない方はご覧ください。
長谷川等伯の松林図は離れて観たい。日中はお客様が多くて、とてもゆっくり出来ないので閉館間際の短い時間を待つしかないが、その価値は十分にある。本当に墨の濃淡でこれだけの世界が描きだせるのだろうか?この松の林の中に迷い込みたい気持ちにもなる。
ずっと前から本物が観たかった、近づいてみると墨の微妙な濃さと多彩さに驚く。
屏風絵だから座敷に座ってみると思えば、又違う迫力がある。
さて、そこでこの画がどうやって描かれたのかだが、諸説あると思うけれど持論はもちろん竹筆だ。使った後の竹筆をそのまま乾かしておくと、このように硬く毛羽立ち固まる。
「松竹梅」は古来、松も竹も縁起の良い植物とされてきた。だからと言う事でもないのだが躍動感ある松葉を描くのに竹ほど相性の良い筆はないのではないかと思っている。
雪の便りが全国各地から聞かれると、真っ白い雪の重さと寒さにじっと耐えている孟宗竹の姿を思い出す。あれだけ頭を垂れて折れるほど曲がりながらも、温かくなれば待ってましたと言わんばかりに元の真っ直ぐな姿に戻る竹は本当に素晴らしいものだ。
孟宗竹と言えば太く、背が高く立派な竹林を思い浮かべる方が多いと思う。日本最大級の竹なので、もちろんそれは間違いではない。
けれど、自然の不思議なところで本来は太い竹ばかりのはずの孟宗竹でも、場所によっては小振りな竹が成育する場合があるのだ。この竹林で伐採された孟宗竹の切り口をご覧いただいても意外なほどに細い竹がまじっているのがお分かりいただけるのではないだろうか。
孟宗竹の竹林の中に他の竹が混じっている訳ではない。細くとも立派な孟宗竹だから、さすがに身の厚みはしっかりしている。
手で握ってみると更に太さが分かりやすい、まるで真竹か淡竹かというサイズ感。しかし、間違いなく孟宗竹なのだ。
孟宗竹と淡竹などの違いを、一般の方にも簡単に見分けられる方法をYouTube動画で紹介している。ご関心があれば是非ご覧ください。
この細身の孟宗竹でも、青竹踏み上級者に大好評の踏み王くんか作られる。この身の厚さだから丈夫な事、この上ないのだ。
真竹の表皮を薄く剥いだ磨き細工の脱衣籠が復活した。昨年、お客様からご依頼を頂いた時には少し難しいかと考えていたが、やはり工夫次第で何とか段取りできるものである。数年前よりもっと質の高い籠が編み上がってきた。
磨きの脱衣籠はかってこのように大量に製造されていた時期がある。お使いいただく方が、スペースによって選べるように(大)(中)(小)の三個入りでご用意させていただいており作るのは大変な分、お陰様でお客様の評価は高かったように思う。
新しく製作した竹籠と、数年前の竹籠を並べてみるとこれだけの色合いの違いがある。竹の経年変色は籠を使う楽しみのひとつでなのだが、磨き細工は特に色づきが早い、室内でこれだから太陽の光の当たる所にある籠は更に変色が進んでいる。
自分のように竹の色具合を見ながら、わざわざ紫外線に当てる必要もないが、磨いた竹編みはそれ程劇的に美しい色変わりをする。
良い真竹が少なくて遠くまで探しに行ったけれど、その甲斐あって竹磨き脱衣籠にちょうどの竹材も揃った。職人も何とか少しづつ仕事を進めている、時間はかかるけれどそのうち籠が勢ぞろいした姿が見られるのではないだろうか。
以前にもご紹介した事があるように思うが、この籠は「かるい」と言う背負い籠の逸品をスケールダウンしたミニチュア籠だ。かるいは素晴らしい伝統の籠であるものの、近年ではあまり使われる事もなくなりつつあったので、一般のお客様が小物入れとしてお使いいただける位の小さな籠を作られていた事があるのだ。名人の編まれる籠は小さくても本物、改めて手にしてみても惚れ惚れとする。
この美しい背負い籠がどうやって編まれていくのか?熟練職人であられた飯干五男さんの技を真っ青な竹の美しさと共にご覧ください。
この真竹の色合いが経年変化によって、このような飴色に変わるから竹の魅力は尽きることがないのだ。
さて、前回の30年ブログで書いた「かけテボ」、実はこれにもミニチュアがある。昔から使われてきた大きな籠には需要が少なくなる一方、小さな籠は花入れや筆立てなどにお求めいただく方がいるそうだ。
伝統の籠が暮らしの中から姿を消していくのを憂いながら、こうして竹は変わっていくのかも知れない。