手付きの飯籠という竹籠がある、これは炊飯ジャーや電子ジャーなどが無い時代に余ったご飯を美味しく保管するためのモノだ。飯籠に布を敷いてご飯を入れて、ちょうど今座っている縁側のような場所の軒先に吊るしておく、長い持ち手はこのためだ。日陰で風通しもよく野良ネコなども手が出せない、縁側で遊ぶ小さい頃の記憶では見上げるといつもこの籠があったように思う。
ここにある籠の中では、大きなサイズで尺3、つまり直径約40センチくらいある。余ったご飯を入れるにしては少し大きくないかと思われた方は素晴らしい!そうなのだ、当時は三世帯が暮らすのが当たり前だったし日本全体がまだまだ裕福ではなかったせいか兎に角お米を食べたのだ。ボクの父なども竹屋の重労働の中で「仕事がメシを食べる」とか言って大きな丼に4杯、5杯とかき込んでいた。
「竹は世につれ人につれ」といつも人に話すのは、暮らしの中にある竹のサイズや形などが、人に合わせて常に変わってきたからだ。飯籠としての役割を終えた籠も上蓋を付ければ又新しい使い手が見つかるかも知れない。自宅の倉庫だったり、職人の仕事場にあった古い飯籠を見つけては失われてしまっている上蓋を別誂えしてもらった。出来栄えに完全満足している訳ではないけれど、まあこんなものだろう。
上蓋に選んだ素材は、その時にたまたま良質の真竹がなかった事もあるけれど、どうせなら現在の竹細工ではほとんど使われる事がない蓬莱竹でしたいと思った。雨の多い高知では、このように護岸のために川沿いに植えられている事が多い竹だ。
株立する南方系の竹でしなやかで使いやすいが、何と言っても節間が長いので昔から籠編みの材料として使ってきた古老の職人には人気がある。
古い竹細工だから虫が喰った穴がある場合もある、今は虫をおらず強度的にも全く問題ないので茶杓のように竹の景色として楽しむ事ができる。
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