時々一人でやって来る、この橋の下は少し特別な場所だ。終戦後、兵役を終えた祖父が焼け野原になった大阪天王寺の工場を後にして、家族が疎開していた虎竹の里に帰ってきた。そして、この地で竹材商を再開するのだが土地もなく、お金もなかった当時は、この川原が竹虎だった。正月もなく真っ黒になって夫婦で働く姿を、蔑む人もいたそうだが、どこかで応援してくれる方もいた。だから竹虎の今がある。
ボクが生まれる頃には社員数は60名を超えており、電電公社から払い下げてもらった電柱を使い、継ぎ足し継ぎ足しで増築した工場はボロボロだったけれども、いつ遊びにいっても活気に満ち溢れていた。日本の竹が最高に元気で文字通り「笑」を作り、沢山の方に役立っている良い時代だったと思う。
時は移り、竹を取り巻く環境は大きく変わった現在、竹虎には課題がいくつかある。
それでも曽祖父である初代宇三郎が魅了された虎竹を知りたいと思って、まだまだ歩みを止める事はできない。
遠い道程には仲間がいる。竹虎を支えてくれている社員も明日10月9日(日)夜10時から放送予定の BSテレビ東京「グロースの翼」に登場してくれているはずです。
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