少し季節外れだが、秋の気持ちのよい青空を見ていると思い出したのが熊本式鯉のぼりである。吹流しや鯉は普通にあって、その上に風車、一番上にお子様の名前が書かれた小籏(名旗)が付くのであるが、恐らくこの地域限定の装飾が真竹で編まれるバレンと呼ばれる飾りだ。工房で見るとくす玉のようにも思えるが、実際に設えられた鯉のぼりを下から見上げると玉入れ籠のようでもある。ただ、特徴的なのが長く垂らしている竹ヒゴで、風にたなびくように工夫されている。
先日の「チャレンジラン山口」で、たまたま竹虎で働いてくれていた社員の自宅が経路にあって、充電させてもらっている間に大きくなった息子さんにもお会いできた。男の子の健やかな成長を願って高知でも鯉のぼりは立てる、しかしさすがにバレンなどは誰も知らない。地域特有の風習はどこにでもあるものだけれど、驚くのはその製造数だ、少子化になった現在でも一人で年間400個は編み上げると言う。
ところが竹籠編みの数の話になると、まるで伝説のような数字が次々に話題にのぼる。たとえば、この輪弧編みという技法で作られる盛り籠だ、鉄鉢と呼ばれて昭和の時代には何処の家庭に行ってもコタツの上にミカンを入れて置かれていたのではないだろうか?それくらい普及していた竹籠の一つだ。
この鉄鉢など内職さんに部材の加工などお願いしていたとは言え、早朝から編み始めて夜遅くまで、ご夫婦で製作するのが200個とも300個とも聞いている(笑)。それだけ需要があった当時の話なので、少しでも工程を簡略化してスピード化を求めていた夢のような時代だったろうと思う。
そうそう、忘れていけない梨籠は段ボールなどが普及するまでは果物や野菜を入れて運ぶ物流の欠かせない竹籠だった。この籠は昔の職人さんに復刻して編んでもらったもので綺麗な状態だけれど、実際の籠は使い捨てのような感覚だったから、ほとんど残ってはいない。この籠は大きな竹工場で確か70人の職人さんが作られていて、手の早い方で一日に100個の籠を作っていたと言われる。
最初のバレンに戻るけれど、あの竹細工にしても最盛期には11月から3月のシーズンに2000~2500個を6名の職人と一緒に製作していたそうだ。かさ張って工場に置ききれないので毎月トラックで500個づつ運ばれて行ったというが、それも凄い。こんな昔話をしていると必ず、ボクの敬愛するこの方の動画が登場する!
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