前の30年ブログで、このかるいについて「使う人がいなくなれば必要とされなくなるのは仕方のない事か、昔なら作ることなどなかったような小さな籠が土産物として並んでいたのを寂しく見ていた」と書いた。竹細工は作り手だけでなく、使い手がいなくなれば消えてしまう宿命だ。
そういう意味では、現在の竹籠が見栄えばかり気にした編み方だったり、薄っぺらい竹ヒゴで弱々しいものであったりするのは使う側にも責任がある。それが時代の流れであり、そうやって竹は変化していくのかも知れない。
飯干さんのミニチュアのかるいは、忘れられつつあった竹籠の歴史に流されていたように感じてもいた。しかし、小さくとも、あの日の工房で編まれていた背負い籠と全く変わらない丁寧な編み込みと熟練の技を感じる出来栄えを見ていると、そうではなかったように思い直した。竹職人としての誇りをもって時代の流れにあらがう姿が、工房で竹に向き合う覇気に重なるようではないか!これは見習わねばと思い直してから、ミニチュアかるいは少し誇らしげに壁にかけられている。
コメントする