東北の方では、真竹より篠竹、篠竹よりスズ竹、スズ竹より根曲竹が奥が深い、なんて事が言われたりする。この言葉の真意がどこにあるのか分かるようで分からない。ただしかし、昔の大作家の竹籠にハタと足が止まる時、その作品が根曲竹であることは多い。いつだったか「これは誰にも譲らない」と真顔になった大御所がサッと棚に戻した竹編みも根曲竹だった。
前に一度、根曲竹の伐採に同行した事がある。根曲竹の成育する山々は熊の活動地域なので、自分達の虎竹とは全く違う意味での苦労があると感じた。爆竹を鳴らし、笛を吹き、ラジオの大音量の中で藪に分け入る。根曲竹は名前の由来どおり、根元か曲がるほどの雪の重みに耐えて鍛えられた竹だ。普通の竹林とはイメージが異なり、地面に横たわっている竹さえある、それだけに細く見える竹だがその性質は粘りがあり強靭、野趣あふれる魅力がある竹なのだ。
自分が日常的に愛用する根曲竹と言えば別誂えの少し大きめの手提げ籠がある。一般的には茶碗籠や脱衣籠、小物籠といった生活道具が多いと思うが、飾っておきたくなるほどの(実際飾っている)魚籠や変わったところで醤油籠なども編まれている。そしてもうひとつが自分くらいの体重ならいくら負荷をかけても折れる事のないステッキまである。
使っているうち、いつの間にか自然に浮かび上がってくる竹艶。あまり知られていないが、かっては竹家具としても製造されて来た歴史があるから考えれば確かに奥が深い。無骨な野武士のようでもあり、優雅に舞う歌姫ともなる竹材、この根曲竹職人か生み出す竹籠は果たしてどちらだろうか?
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