昨日から竹の秋についてお話しさせて頂いている。竹は昔から日本人の暮らしに密着して一日として欠かす事のできないパートナーと言ってもよい存在だった。全国どこで生活される方であっても、多くの場合は少し注意をするだけで身近に繁っている竹を見る事ができるのではないだろうか。
国内の森林面積に占める竹林の割合が、わずか0.6%しかないのにこれほど目につくのは竹がいかに人の生活圏に植えられて役立ってきたかという証である。そして、その竹が紅葉しているのだ。燃えるような真っ赤な色合いで主張しないところが竹の奥ゆかしい所で、紅葉ではなく黄葉と呼ぶのがふさわしいと思う。
竹の葉が黄色くなっているお陰で、実は今の山里の景色は決して生命力に溢れる美しさではない。更に近年は北から南まで蔓延している竹てんぐ巣病があって竹林が疲弊しているように見えてしまう。
高速道路が貫く高知市北山はかって筍の産地として知られた地域でもある。ここ20年だけでも、久しぶりに帰高した人が驚くほど広がりを見せている竹藪の薊野トンネル付近をご覧いただいている、左手前は黄葉した竹、トンネル口に見える竹は罹患している竹たちだ。
そして前にからお話させてもらっているように竹の開花があって、まさに今の竹林には二重苦、三重苦のような状態だ。しかし、竹の黄葉は新しい若葉の芽吹きのためでもあるし、竹の開花も次世代に繋いでいく大自然の営みである。てんぐ巣病も、竹が生まれ変わる時代の過渡期の症状と思って長い目で見ていきたい。
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