体育館のような大きな倉庫に、ちょっとした山のように積み上げられた竹箒を見た事があります。元々孟宗竹は中国原産の竹なので竹箒作りも盛んです、前に自分が見学に訪れた地域では村の隅々まで何処に行っても材料の竹穂が納屋に仕舞われてあり、庭先でも軒下でも日本向けに輸出される箒作りが行われていました。
そこで竹箒はホームセンターなどに行くと安価な価格で販売されていて何処で誰が作っているのかなど、あまり気にされない製品のひとつになっているかと思います。もしかしたら国内で製造されている竹箒があると聞くと驚くかもしれませんけれど、実は現在でも細々と作り続けられていて、その竹穂の強さから寒い地域の雪かき用として重宝されています。
竹材としての利用は少ない孟宗竹ではありますが、竹虎でも袖垣の芯の部分や竹ざるなど荒物細工の一部に使用していますので毎年伐採します。
楽屋と呼ばれる農業用の日除け材も全て孟宗竹でした。大量に伐れば伐るほど枝打ちした後の竹穂が残ってしまいます、竹箒作りはこのような副産物が活用されてきました。孟宗竹と言えば筍を忘れる事は出来ません、筍の竹林管理では和傘を差して歩けるほどの間隔が適当と言われ竹を間引きますので竹穂も沢山あり、必然的に昔から竹箒作りが行われてきたのです。
そんな箒の中で少し特殊なのがこの手箒。同じ孟宗竹とは思えない程の繊細な枝ぶりと柔らかさに最初はビックリしたものですが、その秘密は若竹の穂だからでした。竹は成長が早く3ケ月で親竹と同じ大きさに育つものの、竹材として使えるのは竹質がしっかりしてくる3年から4年あたりが適当です。どうして若竹の穂ができるのかは「京都の手箒」に書いていますので関心があればどうぞ。
さて、焚火をしながら続いていた竹箒作りは一本が出来上がりました。立ち上がって裏山を見ると元気な竹林が見えています、身近にこれだけの資源があれば使わない手はありません。
コメントする