昨日の30年ブログで鰻筌のお話をしていたら、もう30年近く前に水戸京成デパートに売り出しに行っていた時の事をおぼろげながらに思い出してきたのです。昔のデパートは夜遅くまで開けているのが普通だったので閉店間際に接客していると随分と遅い時間になります。それでクタクタになってホテルに帰る途中で動けなくなってしまいました。そこで、ふと横を見ると灯がもれている店があるではありませんか、急にお腹が空いてきて「ぬりや」という鰻屋さんに入ったのです。
ところが注文してから、忘れられているのか?と思うほど待たねばなりません。確か1時間近くは待ったように思います、疲れと空腹で極限状態になって倒れそうですが、周りのお客様は当たり前のように静かにオツマミとお酒を飲みながらニコニコしています。鰻屋さんはこうして待つものなのだと初めて知って強烈な印象の残るお店となりました。
他にも忘れられない鰻丼が二つあって、一つは小さい頃から大阪出身の祖父が難波に連れて行ってくれる度に食べさせてくれた「いずもや」。大学時代の4年間大阪にいましたけれど鰻はこの店でしか食べませんでした。残念ながら現在は閉店してますけれど、この店は織田作之助の「夫婦善哉」にも登場します。その昔、祖母の実家が天六「かね又」という食堂を営んでいて同じように織田作之助が通っていたそうですから食にうるさかった祖父が、そんな関係で「いづもや」を贔屓にしていたのかも知れません。
最後に宮崎県でナビに間違えて案内された「入船」。ちょっとした村のお祭りと間違えそうなくらいお客様が集まってくるお店だったので普通は絶対に行くことはありません。たまたまトレイに行きたくて仕方なくなって、広い駐車場に車を停めたら偶然にお店に入れる事になって真っ先にお手洗いに行くと...なるほど導かれる理由が分かって尿意を忘れて立ち止まりました、鳥肌も立ちました。「明治二十七年創業」、竹虎と同じでした(笑)。
鰻は美味しいです。皆様も大好きだと思います。自分は、このような鰻筌が沢山編まれて透明な川底に鰻が泳ぐのが見られるような美しい自然の中で育ちました。どこの家にもウナギをまな板に固定するためのキリがありました、生命力の強い鰻はさばいても暴れるので頭を打ち付けるのです。少し残酷な話でしょうか、でもそうやって命をいただいて人は生きています。早朝、心地よい川のニオイを胸いっぱいに吸い込んで、ズシリと重たい筌から魚籠に取り出したあの頃の鰻をもう一度食べたいなあ、水量の少なくなった川を眺めて贅沢な事を思います。
コメントする