かって三重県伊賀市には良質の竹が豊富にあって伊賀傘とよばれる和傘の生産地でした。昭和初期には傘製造業者が125軒もあって全国でも1位2位を競うほどの出荷額があったそうです。そこで、その和傘作りに必要な大量の素材を提供する竹材商として創業されたのが、かって竹虎とは長い長いお付き合いをさせて頂き自分も幼い頃から毎日のように耳にしてきたF竹材店さんでした。
竹虎は今年で創業127年を迎えさせて頂いておりますが、実は創業地は大阪天王寺であり当初は「竹亀」という屋号で、やはりF竹材店さんと同じ和傘の竹材商として事業をスタートさせています。伊賀に拠点を置き、北海道から九州まで全国的に名前の轟いていた会社様ですので明確な記録は残っていないものの初代宇三郎の時からのお付き合いである事を考えますと100年のお取引をさせて頂いていた事になります。
戦後、本社を高知の虎竹の里に移した竹虎には10トントラックが2台ありましたが並んで停車してる事を見る事は稀でした。毎日フル生産して製造した竹材や竹製品を満載できる量になったら即日F竹材店さんに向けて配送していたのです。だから自分達にしたら「親方日の丸」と言いますか絶対的な信頼を寄せていた会社様であり、虎竹の里は竹の製造のことだけ考えていれば良い時代だったのです。
F竹材店の社長さんは声が大きく、豪気でいつも優しいニコニコして笑顔の方でした。以前の30年ブログ「竹製品いっぱいの祖母の台所」でも書いていますけれど当時は出張で来られた方は当社の自宅でお泊りいただくのが常で、来られると聞くと嬉しくて心待ちにしていた覚えがあります。
あれから年月は流れ、すべてが大きく変わりました。エネルギッシュだった社長様の事を改めて息子さんから聞いて先人の事を思い、これからの事を思っています。
コメントする