虎模様が特徴の虎斑竹(とらふだけ)の存在は江戸時代から知られていて高知城で土佐藩を治めていた山内家には年貢として献上されていた記録が残っています。けれど当時から現在の虎竹の里のように竹林が沢山広がっていたかと言うとそうではありません。田畑にできる平坦な土地が少なかったので地域の山々は山頂まで石垣が積まれ段々畑とされて芋などの作物が植えられていたそうです。
血と汗がにじむような思いで積まれた石垣の畑を虎竹の林に変えていったのが100年前にこの地にやって来た竹虎初代宇三郎でした。種を蒔いたりせずとも毎年筍が出てスクスクと育つ竹が収入となる事で喜ばれ、竹林は少しづつ広がっていったのです。だから、分け入った竹林の奥で思いがけない石積を見つけると、いつも初代の頃の苦労を思います。
今年も山頂付近の竹の道は職人が手入れをしていました、これだけの道幅で平らにならしていたら運搬機械に山積みした竹もスムーズに運び出せるに違いありません。一年、また一年とこの繰り返しで続いてきた虎竹の里です。
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