高知から北に向かって高速道路を走って行く、川之江東JCTを過ぎて徳島自動車道に入ると池田町辺りからずっと吉野川を見ながら進んむことになります。そこで、いつも思うのが川の両岸で風に揺られている竹達の事です。今日は穏やかな流れで美しい川面も、一旦豪雨となれば坂東太郎の利根川、筑紫次郎の筑後川とならび日本三大暴れ川に数えられる四国三郎吉野川は表情をガラリと変えて恐ろしい濁流となります。
台風銀座の高知に生まれ育った自分でもゴーゴーと凄まじい音を立てて大きな真っ黒なうねりとなって流れていく川の濁流には慣れる事がありません。できれば一生見なくてもいいとさえ思う洪水は、治水工事の技術が進んだ現代でも毎年のように日本のどこかで多大な被害があるのです。ましてや昔ならどうだったのでしょうか?護岸用として植えられた竹林は吉野川に沿ってグリーンベルトのように伸びていますが、まさにこれがライフラインとして地域の人々の命や田畑、財産を守り続けてきたのです。
前にもお話いたしました千葉県、小糸川の曲りくねった川の流れの両岸にも植えられているのが竹。縦横無尽に伸びてそれぞれの竹がしっかりと繋がって天然の鉄筋コンクリートと言われる強さが堤防の決壊を防いできたのです。「命と財産も守り続けてきたのは私達です」上空から見ると誇らしい姿はそう言っているように感じました。
暖かな気候の高知では護岸竹と言えば蓬莱竹が良く見かけられます。地元ではシンニョウダケとも呼ばれる南方系の株立ちの竹で孟宗竹や真竹、淡竹のように根が広く伸びて行かず株が大きくなっていくだけなので好んで植えられたようです。川の流れが急な場所や合流する所にピンポイントに生えてるのを見かけますので昔の人々が無くてはならない水の扱いに苦労してきた事が忍ばれます。この蓬莱竹については、先日ショッキングな大事件がありましたので近々この30年ブログでお話する予定です。
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