白石白雲斎先生の籠

 
白石白雲斎


竹の世界では非常に高名で、国際大会の登龍門といわれる別府大分毎日マラソンのトロフィーとして作品が贈られたり、別府竹工芸伝統産業会館の名誉館長を長く務められていた竹作家故・白石白雲斎先生。先日、そんな同氏のおびただしい数の遺作に触れる機会があった。沢山の作品に囲まれると、まるで何処か知らない世界に迷い込んだような気分、まさに自分にとっては夢のような時間だった。


白石白雲斎、竹虎四代目(山岸義浩)


今流行りの熱病ではないが少し頭がボッーとした状態で帰社してから久しぶりに本店に展示してある白雲斎先生の作品とパネルを見直してみたのである。ちなみに「白石白雲斎」とインターネットで検索してみても、あれだけ名前が知られた作家の方なのに自身を撮影した画像はあまり見当たない、何枚かあっても晩年のものばかりだ。


ところが竹虎本店には40数数年も前から同氏のパネル写真が飾られている、おそらく50代後半くらいではないだろうか。この写真は二代目竹虎が撮ったものだと思うのは、ちょうど虎竹のヒゴを持って編み込んでいる所だからだ。いずれにせよ竹材を通して、それだけ親密な関係があったという事だが祖父が厳選して届けた虎竹を手に籠を編まれる姿は、白髪の姿しかご存知ない方なら驚かれるような若々しさかも知れない。


白石白雲斎、竹虎四代目(山岸義浩)


よくご覧いただくと写真のふともも部分には小さな焼け焦げがあって、いやがおうにも35年前の大火災で竹虎本社、本店共に全焼した時のことが思い出す。あの夜は虎竹の里中の皆さんが駆けつけてくれて、まず店内のガラスケースに入れられた貴重な作品から搬出いただいた。幸いにも広い敷地の一番遠い所から火が広がったので白雲斎先生のパネルも作品も、お陰様で火災を免れ今日に至っている。思えば長い付き合いの竹たちなのである。


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