昭和40年代まで盛んに製造されていた梨籠という籠があるのです。2月28日の30年ブログ「日本に65歳の叩き上げ竹編み職人がいない理由」に登場する当時の段ボールのような野菜や果物を入れて出荷するための簡易な編み込みの竹細工です。
かなり古い時代に編まれたものが現代にそのままの形で復刻できるのは型編みといって梨籠の型が用意されていて、その型に合わせて編み込んでいたからなのです。
それでも、こうして長い時を経て今の時代の日本にただひとつだけ戻ってきた籠には感慨深いものを感じます。復刻いただいた職人さんの工場には70人の職人がいて機械で次から次に取った竹ヒゴを使い一人が一日に100個の籠を編んでいたのです。
50個を重ねて出荷するのも男達の仕事だったそうです。重ねられた竹籠など今ではご覧になられた事のない方ばかりだと思います。もし、そのような機会があればそれは恐らく中国や東南アジアの竹細工です。国内では、このような網代底の水切り籠を6サイズも重ねて製作できる仕事が残っていますが本当に極一部です。
50個を一括りにして出荷していたような古き良き時代、しかし思えばつい数年前までは虎竹の里の近くにも身近に大量にある孟宗竹で編まれた盛籠がトラックに満載されて運ばれていたのです。
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