東山慈照寺とは言わずと知れた世界文化遺産にも登録されている銀閣寺。渋い色合いになった銀閣寺垣が総門から中門への参道に続いています。
さすが京都らしく銀閣寺には伸びの良い美しい真竹が沢山目につきます。中門に設えられた竹の青さと立派さに心躍りつつ境内への期待は高まるのです。
東山慈照寺には有名な銀閣、向月台、銀沙灘、東求堂などがありますが、それらを全て見渡し遠く京都の街並まで望める展望所があります。その景色の素晴らしさはもちろんですが、実はそこに登っていく階段通路に設えられた竹の手すりの造形美に感動したことがあります。
手すりは曲がりくねった石段に沿うように立てられていて、その造りが凄かったのです。初めて拝見して驚いたのは、ついこの前のような気もするもののスケジュール手帳を見直してみたら既に7年も前のことでした。
そんな前の事なのに実に自然に丁寧に竹を活かして作られた手すりは、まるで先日見たばかりかのように目に焼き付いています。竹の切り込みや接合部分は裏側にして出来るだけ表側のお客様からは見られないように工夫されています、銅線の巻き方ひとつ隙がありません。
そもそも、この見事な切り口を見ればどれだけ竹に精通した職人が製作に携わっているのか伝わってきました。久しぶりに銀閣寺にお伺いしたのは、この竹の手すりを再び拝見したいと思って楽しみにやって来たのでした。
ところが、今回の銀閣寺では残念ながら竹の造作は見られませんでした。
ちょうどやり替えの時期だったのかも知れません。素っ気ない鉄製の手すりがあるだけだったのです。
この石段に続くまでの庭園通路の所々には見事な青竹が使われていて隅々まで手入れの行き届いたお庭に映えています。
その青竹が石段に上がる鉄柱で止まってしまっています。これから石段の手すりに竹を設えていって頂き、以前のあの素晴らしい竹手すりを、あの匠の技を見てみたいと心待ちにしています。
手入れの行き届いた庭園を抜け東山慈照寺の出口付近には竹枝の節を丁寧に揃えた見事な穂垣があります、竹が多用される京都の竹へのこだわりを改めて感じるような仕事ぶりです。
そんな圧巻の竹に囲まれた中、もう一つだけ竹を扱う者として残念に思ってしまう光景があります。それは展望所に向かう道中にあり、総門からの銀閣寺垣と同じように時間の経過と共に味わいの出てきた奥に向かって伸びる建仁寺垣です。
通路横からまっすぐのびる部分には天然竹が使われていますものの右に曲がった遠くの継ぎ目から先は塩化ビニール製の建仁寺垣になっていました。プラスチックには風当たりが強くなっていますけれど全てがダメだとは思っていません、人工竹は耐久性が高く施工も簡単であり天然素材に比べると真新しい雰囲気を長く保つことができる利点があります。商業施設や個人の住宅などではコスト面から採用される事も多いのは仕方ないことです。
しかし、どうしてもこの場所には不自然に見えて仕方ありません。人と同じように竹が年齢を重ね風合いを深め、古くなり朽ちていく様を愛でるのも日本の心です。これは何も銀閣寺だけの事ではありません、世界から日本文化に触れるべくお客様が来られる所であればこそ長く培われた職人の技で作り出す本物の竹がふさわしいのではないでしょうか。
京都の街を歩くと目を奪われるような竹の造作物に出会えます。それは、この雅な都で古くから竹が磨かれ令和の時代まで繋がってきた証であり大切な日本の竹のありようです。
たとえば、この犬矢来。製作をされた職人を何となく思い浮かべる方はおられるでしょうが、その素材を加工する職人、吟味して伐採する職人まで遡るとどうでしょうか?京都の竹の奥深さは、竹への思いが竹林からお客様の手元まですべてが繋がっている事です。これからの時代も、きっとそうあるように願っています。