真竹茶櫃籠と番犬

茶櫃籠


この季節は青々とした真竹が豊富にあって工房も活気がある、ここでは節間の伸びた良質の真竹を使って網代底の茶櫃籠が編み上げられている。


竹職人


竹林から伐りだしてきた竹をおもむろに手に取って割りはじめる。粗割して、また割って、さらに細く薄く竹ひごを黙々と作っていく。


籠編み職人


網代底の底編みが始まった。


籠底編み


出来あがった底編みだけで既に美しい。


籠職人


庭先にゴザを敷いて竹と向き会う典型的な昔ながらの竹細工。まだまだ外の仕事は肌寒い、しかし今日は日も照って風も静かでありがたい。


竹職人の手


一言もしゃべらない職人の代わりに数知れない竹籠を生み出してきた手の平が言う。


竹籠、竹ざる


心得たものだ。長い仕事の間はずっと眠っていた番犬が、編み上がった籠と同時に今起きた。




白石白雲斎先生の虎竹

白石白雲斎、竹虎四代目(山岸義浩)


白石白雲斎先生の作品は、一見して平凡に見える花籠だから多くの方はそのまま見過ごしてしまっているに違いない。しかし、この虎竹花器の手触りといったらどうだ。こんな手触りの心地よい虎竹があるだろうか?こんなに強い虎竹は見た事がない。


白石白雲斎


昔ながらの職人の中には使いやすいと言って淡竹しか手にしない方もいるものの、それはかなり稀である。けれど、そんな淡竹の仲間である虎竹を、自由に操りここまで完成度を高く編み込む技に到達するまでには一体どれだけの籠を編んできたのだろうか?


白石白雲斎


一流の作品の数々、ずっと一緒にいても飽きることがない。かすかな違和感を覚えるのは近年の虎竹と柄の入り方が違うからで本当に面白い。


白石白雲斎


持ち手の巻き込みも凄い、寸分のスキもない。


白石白雲斎


もうひとつ、染の花籠がある。竹虎の店舗に展示されている染めの作品はすべて根曲竹ばかりだったこともあって最初は気づかなかったけれど籠の雰囲気がどうも違う。そこで手に取って良く見てみると驚いた!かすかに薄く染まる部分から虎竹の模様がのぞいている。なんと虎竹を根曲竹の籠などと同じような黒染にしているのだ。


白石白雲斎、竹虎四代目(山岸義浩)


色付きのよい竹はそのまま虎竹の作品として、そうでない竹は染竹として使っている。祖父が厳選した竹を更に厳選していたのである、どうりで虎の籠が特別なわけだ。


白石白雲斎オブジェ


そうして選び抜いた竹素材で創作されたひとつには、このような大型の作品もある。オブジェとしての存在感もありながら、活花との相性も良さそうだ。上手く花器として使いこなせる方の手によれば、竹編みも花も両方が更なる高みに昇華するに違いない。


白石白雲斎先生の籠

 
白石白雲斎


竹の世界では非常に高名で、国際大会の登龍門といわれる別府大分毎日マラソンのトロフィーとして作品が贈られたり、別府竹工芸伝統産業会館の名誉館長を長く務められていた竹作家故・白石白雲斎先生。先日、そんな同氏のおびただしい数の遺作に触れる機会があった。沢山の作品に囲まれると、まるで何処か知らない世界に迷い込んだような気分、まさに自分にとっては夢のような時間だった。


白石白雲斎、竹虎四代目(山岸義浩)


今流行りの熱病ではないが少し頭がボッーとした状態で帰社してから久しぶりに本店に展示してある白雲斎先生の作品とパネルを見直してみたのである。ちなみに「白石白雲斎」とインターネットで検索してみても、あれだけ名前が知られた作家の方なのに自身を撮影した画像はあまり見当たない、何枚かあっても晩年のものばかりだ。


ところが竹虎本店には40数数年も前から同氏のパネル写真が飾られている、おそらく50代後半くらいではないだろうか。この写真は二代目竹虎が撮ったものだと思うのは、ちょうど虎竹のヒゴを持って編み込んでいる所だからだ。いずれにせよ竹材を通して、それだけ親密な関係があったという事だが祖父が厳選して届けた虎竹を手に籠を編まれる姿は、白髪の姿しかご存知ない方なら驚かれるような若々しさかも知れない。


白石白雲斎、竹虎四代目(山岸義浩)


よくご覧いただくと写真のふともも部分には小さな焼け焦げがあって、いやがおうにも35年前の大火災で竹虎本社、本店共に全焼した時のことが思い出す。あの夜は虎竹の里中の皆さんが駆けつけてくれて、まず店内のガラスケースに入れられた貴重な作品から搬出いただいた。幸いにも広い敷地の一番遠い所から火が広がったので白雲斎先生のパネルも作品も、お陰様で火災を免れ今日に至っている。思えば長い付き合いの竹たちなのである。


亀の飾られた渡辺竹清作宝石箱

渡辺竹清作煤竹パーティーバッグ


渡辺竹清先生の作品を久しぶりに見たくなって数点桐箱から取り出してみました。先生とは祖父の時代からのお付き合いなので、竹虎本店に常に展示してある作品だけでもかなりの数あるのですが実は秘蔵の作品というのは倉庫の深くに眠っています。そこで、たまには明るい場所に出して鑑賞したいと時々このような気持ちになるのです。


渡辺竹清先生、竹虎四代目


現在では先生はお仕事はされておらず悠々自適の生活をされていますが、近くに行く用事があれば必ず立ち寄らせていただきます。懐かしい感じがすると言うのか、どうも他所の工房という気がしないのでいつもついつい長居してご迷惑をおかけしています。


渡辺竹清作煤竹盛器


渡辺竹清先生と言えばニューヨークの有名宝石店T社でのお仕事が有名です。そのパーティーバッグもそうでしたが、創作の多くは煤竹という100年、場合によっては200年も前の素材を使い、現代に新しい命を吹き込み蘇らせた作品が多いのです。箱から出てきた盛器も煤竹の濃淡を見事に活かして編み込まれています。


渡辺竹清作煤竹宝石箱


遊び心のある先生はお伺いする度に新しい作品に挑戦されて次々に驚くような作品を創られていました。この宝石箱を手にされている時も本当に楽しそうで何と幸せな竹の道を歩まれているのだろうと思ったものです。


渡辺竹清作煤竹宝石箱、蝸牛


緻密な編み込みの宝石箱には蝸牛と亀が飾られています。どちらも歩みが遅いけれど焦ることなく一歩また一歩確実に前に向かって進んでいきます。


渡辺竹清作煤竹宝石箱、亀


竹虎は今年で創業126年を迎えさせていただいておりますけれど、大坂天王寺で仕事を始めたばかりの頃の屋号は「竹亀」でした。戦後、土佐の虎竹を専門に扱うようになり全国の竹屋さんから自然と「竹虎」と呼ばれるようになって今があります。そこで、亀の飾られた宝石箱は自分が特別気に入っているひとつなのです。


竹炭マドラーとして

竹炭


竹虎の最高級竹炭は土窯にこだわり1000度の高温で焼き上げた非常に硬度の高いものです。竹炭は燃焼温度によって性質が異なりますが高温と400度程度の低温との違いは初めての方でも簡単に見分けられる方法があります。それは、竹炭同士を叩いてみるのです、高温で焼かれた最高級竹炭は叩くとキンキンとまるで金属のような澄んだ音がしますし、低温の竹炭は柔らかくて鈍い音がします。


竹炭ペットボトル、マドラー


竹炭の一番シンプルで沢山の方がご利用いただくひとつが飲料水用としての使い方です。これからの夏に向かって暑くなってくればピッチャーに水道水と竹炭を入れて一晩冷やした竹炭水が活躍します。そこで、ペットボトルにも入れられるようにと孟宗竹を細長く割って竹炭にしているのです。


竹炭マドラー


ところが、やはり外で持ち歩くペットボトルにわざわざ入れなければならない面倒さで実はあまり皆様の反応は芳しくありませんでした。これなら同じペットボトルを使いまわしできますし、その都度コンビニに行く必要もないものの考えれば少し不便だったようなのです。


竹炭浄水用


だから近年はペットボトル用とはしていますものの竹炭マドラーとしてのご利用が増えています。以前は細い丸竹炭をマドラーにご紹介していました、竹の節などの雰囲気もあって見た目は素晴らしいのですが、中が空洞の竹炭は割れやすいという難点がありました。


竹炭窯


さて、竹を細割して焼き上げた竹炭の方はと言いますと、真っ直ぐな竹材も高温の中でねじれや反りができて一本一本個性が出てきます。それも自然素材の面白みではありますものの袋詰めの際にはパッケージに入りやすいように、それぞれのクセが似通ったもの同士を選り分けるようにしています。竹を割る工程もそうですけれど、最後の最後まで地味な手間をかけながらお届けさせていただいているのです。




大分市指定無形文化財に指定「廻栖野の竹細工技術」

廻栖野竹職人


優しい笑顔の職人さんのいる廻栖野竹細工は、平成23年12月19日に大分市指定無形文化財に「廻栖野の竹細工技術」として指定された。いつの頃から始まったかは定かでないようだが良質な真竹が豊富なこの地域に昔から伝承されてきた青物細工なのだ。


マンゴク


主に編まれるものはマンゴク(万石)、コエジョウケ(肥ざる)、イナリグチ(稲荷口)、コメアゲ(米揚げ)など、毎日の農作業や生活の中で無くてはならない大事な道具たち。元々は日本各地の生産地がそうであったように自分達で作って自分達で売っていたものが近年になり行商専門に行う業者に販売を委託してきた。


廻栖野竹職人


そうして暮らしに密着する竹ざるや竹籠は直接的に、あるいは間接的に日々お客様の声に接しながら磨かれ鍛えられて今まで繋いできたのである。


竹包丁


廻栖野竹細工が注目されるのはその独特の竹ヒゴ取りの技法だ。一人が竹包丁をあてがい、もう一人が歩いて引きながらヒゴ取をするという二人一組となって協力しながら長い竹ヒゴを作る独特の方法は日本各地で編まれる竹細工の何処にも見られない。YouTubeで紹介しているので関心のある方は一番下にある動画で是非ご覧いただきたい。


竹工場


そうして作った長い竹ヒゴを操りマンゴク(万石)を編んでゆく。竹細工と言えば今では室内で仕事するのが一般的のように思われているが、このように長い材料を扱う竹細工は庭先や空き地など屋外でされる事も多かった。


竹工場


ムシロの上に座り竹を割る、竹を編む、その横で地鶏が遊んでいるような光景に何度も出会ってきた。しかし雨風の影響を受けてしまいがちなので次第にそのような職人の姿は少なくなった、廻栖野では複数の職人が働ける共同作業場が整備されている。


廻栖野竹職人


必死で竹と向き合ってきた歴史は明るいものばかりではない。しかし、大分市指定無形文化財に指定されて人の見る目が変わったと話す顔は心から嬉しそうだ。同じ大分県別府の竹を全国に知らしめ、初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)になられた生野祥雲斎氏の事を思い出した。




コロナウィルスで中断、フランス国内巡回展「日本の日常生活の中の竹」

パリ竹細工展示会


連日、世界的に猛威をふるっていますコロナウィルスのニュースを耳にしない日はありません。この影響で1月24日からパリで開催していましたフランス国内巡回展「日本の日常生活の中の竹」は残念ながら休止となっています。4月10日まで開催された後は5月のリオン、10月にはツールーズと会場を回る予定でしたが今後の見通しは今のところたっていません。


パリ竹細工展示会


テレビで観ますとヨーロッパでは深刻な事態となっているようです、特にイタリアなどが大変で誰一人歩いていない異様な街が映し出されています。昨年の夏には虎竹製ボックスカート「REIWA-125号」でレースにも参加させてもらい、すっかり身近な国になっているスペインでも流行と聞きます。Ivanさんや、ご家族、陽気な仲間の皆さんはお元気でやっているだろうか?この状態がいつまで続くのか...?


フランス国内巡回展「日本の日常生活の中の竹」


展示会の事があり、いつもにも増してフランス国内のニュースにも注意していますが、マクロン大統領が「ウイルスとの戦争状態」というような発言までされていました。今は日常生活が戻る日を信じながらじっと耐える時期なのかも知れません。


フランス国内巡回展「日本の日常生活の中の竹」


日本の竹は日本人の暮らしの衣食住の全てに関わり磨かれてきました、少しづつ変化してきた伝統の中で繋がってきた竹細工だからこその美しさをご覧いただきたいと思い今回の展示となりました。展示会は中断されご覧いただけなくなっていますので、せめて動画で籠たちをご鑑賞いただきたいと思っています。




雑誌BE-PALの取材に来られた鹿熊さん

虎竹の里、鹿熊勤、竹虎四代目


雑誌BE-PALの取材にライターをされている鹿熊勤さんにお越しいただいた。実はこの方には18年前にも一度お世話になっているが当時から自然の中から生まれる人やモノや事に着目されていたように思う。そう考えると実にキャリアが長い、こうして同じ方に来社いただくという事は十数年経った今も「相変わらず」という事で良いのか悪いのか...である。


小学館「野山で生まれた暮らしの道具」


前回は小学館「野山で生まれた暮らしの道具」という本に掲載いただいた。この土地にしか成育しない虎竹と、その竹を使った虎竹縁台を取り上げていただいた。


虎竹の里


しかし、なんど虎竹の里に来られても同じである。18年前と同じように竹林しかない所だ、ただ今回はちょうど伐採された虎竹が昔から続く細い山道いっぱいに山出しされている最中だったのが良かったかも知れない。


竹虎四代目


取材にあたって前の本を本棚から取り出して見てみると鹿熊さんの名前の横に「撮影・大橋弘」とある。それでカメラマン大橋さんの事を鮮明に思い出した。自分は今でもカメラ自体にはあまり興味がないためなのか詳しい設定は全く分からない。ところが当時は更にカメラの事を知らないし写真の撮り方もまったく分からなかったので商品写真はひどいものだった。


そこで、鹿熊さんと同行されていて半日以上滞在されていた大橋さんに撮影の合間をみては写真の事をあれこれと教わったのであった。大橋さんは非常に気持ちの大きな方で、素人の自分に懇切丁寧に撮り方を教えてくれる、そして撮影しているところをずっと見学させてもらった。やはり、実に沢山の方々のお陰だと感謝している。


百年の煤竹を削り漆で仕上げた男箸

煤竹男箸


久しぶりに煤竹箸をご紹介できるようになって本当に嬉しく思っています。自分も竹箸を毎日愛用していて虎竹、白竹、真竹など数種類のお箸をローテーションしていますが、その中に二種類の煤竹箸が入っています。


使っているのは、今回の煤竹うるし男箸のように漆で仕上げたものでもう何年になるでしょうか?真っ黒いほどの煤の色合いも随分と薄れてきて漆を塗っていたとは思えないほど竹生地が見えてきていますものの、やはり普通のウレタン塗装のお箸とは全く違う存在感です。


茅葺屋根


あっ、そうそう、もしかすると煤竹をご存じない方がおられましたら少しだけご説明させていただきます。昔の茅葺屋根の民家の梁には軽くて丈夫な竹材が多用されていました、沢山の家族の暮らす室内では食事や暖をとるために囲炉裏で火を焚きます。


その煙がもうもうとたちこめて茅葺屋根の防虫に役立ち耐久性を高めてきたのですが、梁に使われていた竹も自然に燻されることになります。そうして100年、場合によっては200年もの間そうして使われ続けてきた竹は煤がつき長い年月を経た竹でないと醸し出せない風合いの竹に変身します。


煤竹花器


煤竹に濃淡があるのは直接煙に触れていない縄で縛られていた部分です。これは一本の長い煤竹で見ると、螺旋状の縄目がウラ(竹の先端)までハッキリとついているのが分かるのです。


虎竹


天井部分ですのであまり太い竹ではなくて使われている竹は頃合いの真竹が多いのですがそもそも古民家が少なくなっている上に、素材を調達できるのが民家を壊す時だけですし、現代の暮らしで家の中で火を焚くことはありませんので年々竹材は少なくなるばかりの非常貴重な竹材でもあるのです。


しかもせっかく民家から取り出した竹材も長年の風雪に耐えて来た竹ですので、すっかり粘りがなくなり細工に使えなかったりします。材質は良くとも決められたサイズの竹しかありませんので例えば今回の男箸にしても一定の厚みがあって、しかも節付を探すとなるとようやく数膳を製作できたにすぎません、竹節の位置が微妙に違うのはそのためです。


煤竹


真竹でも淡竹でも山で見ている竹は青く、とてもあのような深みのある渋い風合いになるとは想像すらできません。それが100年経つと、この色合いです、やはり時間の積み重ねというのは凄い事だと改めて感じます。


炭化加工でリニューアル新登場!蕎麦せいろ

蕎麦せいろ


夏の食事の定番といえばザル蕎麦は外すことはできないのではないでしょうか。近年のうだるような暑さの中、食欲も減退気味であったとしても冷たくキリリとして香りと喉越しのよいお蕎麦ならいくらでも食せてしまうものです。


竹虎では今春、定番であった蕎麦せいろをリニューアルさせてもらいました。
どこが変わったのか?もしかしたらすぐにお分かりいただけないかも知れません。実は材料として使用します孟宗竹を炭化加工する事により、以前は白っぽい竹肌だったものが少し茶色っぽい色合いになりました。


竹の害虫


手間のかかってしまう炭化加工に踏み切った要因には温暖化等による気候変化もあり多発する中害の予防です。まだ少し時間をかけて見ていく必要がありますが、日本の竹材自体が変化しているかも知れません。竹を食う虫はチビタケナガシンクイムシという小さな虫とタケトラカミキリ、ベニカミキリというカミキリ虫の仲間です。


この箕も持ち手部分を小さなチビタケナガシンクイムシの食害にあって穴だらけになっています。自然界の中で生かされているので仕方ないとは思っています、しかし竹製品としては使用に問題はありせんが、やはり販売はできないので製品にしてから虫に食われると目も当てられません。


孟宗竹


気候変化と共に原材料となる孟宗竹の竹林の管理が山の職人不足で十分でないことに要因があるかも知れません。虎竹の里の近くの孟宗竹の竹林で日本最大級の竹の開花を見つけました、孟宗竹は60年に一度開花と共に竹林全体が枯れるという不思議な生態を持っています。もしかしたら全国的に孟宗竹の持つ抵抗力自体が低下している可能性もありえます。


炭化窯


とにかく、このような状態では安心して製品を皆様にお届けすることはできません。そこで一番安全で効果の高い熱と圧力で竹を蒸し焼き状態にする炭化加工を施すことにしたのです。


竹製鬼おろし


竹製鬼おろしも同じ孟宗竹を原材料にていますので炭化加工してリニューアルさせていただきました。鬼歯だけが少し白っぽく見えると思われた方は素晴らしい!炭化加工にすると若干ですが強度が落ちるので、強い力のかかる鬼歯部分はそのままの竹に残してあるのです(笑)。


ザル蕎麦、そうめん


蕎麦せいろには、もちろんお蕎麦だけでなくて饂飩やそうめんなどもいいものです。炭化加工によりカビの発生にも効果アップしたリニューアルせいろで夏を乗り切ってください。

リニューアルした竹炭入り山田まんを高知龍馬空港で発見!

竹炭入り山田まん


「おおおっ!」これは少し驚きました(笑)。何と高知の空の玄関口龍馬空港の売店でお土産物を買おうと見ていたら...このド派手なポップは何でしょうか!?黒に黄色という一新したパッケージの山田まんがズラリと並び、何故か自分も登場しています。


このようになっているとは全く知らなかったのでビックリですが黄色に黒で虎のイメージ、そして竹虎のロゴマークも大きく入っていますので、まるで竹虎の商品のように勘違いされる方もいるかも知れませんが地元有名お菓子メーカー青柳さんの製造されている製品です。


竹炭入り山田まん


ご存知ない方のために申しあげますと、このお菓子は高知県立山田高校の生徒さんたちが地元素材にこだわり作ったものなのです、だから山田まんというネーミングで今回リニューアルするタイミングで日本唯一の虎竹を竹炭パウダーにしてご提供させていただきました。


竹炭入り山田まん


プロデュースが全国的に活躍されている土佐山田在住のデザイナー梅原真さんなので、さすがに売り場の統一感とか素晴らしいです。おまけにテレビコマーシャルも流れています、今はコロナウィルスで空港を使う観光の方々も少なめですし、出張を控えられている方もおられるかと思います。


しかし、いずれ落ち着いて又普通のにぎわいのある空港に戻る日が来ましたら、お出かけの際のお土産にもは是非とも山田まんをお忘れなきようにお願いいたします!




昭和の竹製段ボール

荷物籠


さて、昨日の梨籠に続いて同じく昭和40年代まで大量生産されていた六ツ目の角籠をご紹介したいと思います。梨籠が果物類を中心に入れられていた竹籠だとしますと、こちらはもう少し大きな白菜やキャベツ、大根などの野菜を運ぶための物だったそうなのです。


角籠


六ツ目の角籠と聞いて、まず思い浮かんだのが別の古老の職人さんの工房で見かけたことのある籠でした。大きなサイズですと野菜の重さも相当なものですから、このようにしっかりした力竹の入った籠を想像していたのです。


復刻した角籠


ところが復刻された籠はもっと簡素化されて沢山編むことに特化した籠でした。梨籠同様に規格化されたものだったと言いますから、やはり型があって複数の職人が作っても同じように完成するよう工夫されていました。


荷物籠


復刻された籠は真竹ですが、恐らく大きく丈夫な孟宗竹も使われた事と思います。薄い竹ヒゴで編まれた籠は一見弱そうにも感じるものの、竹特有の粘りしなりで重たい野菜を入れての持ち運びだとしても何度も繰り返して使えた事と思います。


昭和のダンボール


消耗品としての籠ですから何処を探しても見つからないのですが、現代に自分達が遠くから送られてきた段ボールに再び荷物を入れて再利用するようにこの角籠も壊れるまで使われたのでしょう。まさに昭和の竹製段ボールと呼ぶにふさわしい強者です。


50年前まで活躍した梨籠とは

梨籠


昭和40年代まで盛んに製造されていた梨籠という籠があるのです。2月28日の30年ブログ「日本に65歳の叩き上げ竹編み職人がいない理由」に登場する当時の段ボールのような野菜や果物を入れて出荷するための簡易な編み込みの竹細工です。


古い梨籠


かなり古い時代に編まれたものが現代にそのままの形で復刻できるのは型編みといって梨籠の型が用意されていて、その型に合わせて編み込んでいたからなのです。


籠


それでも、こうして長い時を経て今の時代の日本にただひとつだけ戻ってきた籠には感慨深いものを感じます。復刻いただいた職人さんの工場には70人の職人がいて機械で次から次に取った竹ヒゴを使い一人が一日に100個の籠を編んでいたのです。


網代底水切籠


50個を重ねて出荷するのも男達の仕事だったそうです。重ねられた竹籠など今ではご覧になられた事のない方ばかりだと思います。もし、そのような機会があればそれは恐らく中国や東南アジアの竹細工です。国内では、このような網代底の水切り籠を6サイズも重ねて製作できる仕事が残っていますが本当に極一部です。


50個を一括りにして出荷していたような古き良き時代、しかし思えばつい数年前までは虎竹の里の近くにも身近に大量にある孟宗竹で編まれた盛籠がトラックに満載されて運ばれていたのです。


日本製?外国製?竹ざるについて

盆ざる(竹ざる)


お蕎麦屋さんなどで良く使われる事のある盆ざるです。皆様に馴染みが深い竹細工のひとつだと思いますが、どれが国産で、外国製か分かりますでしょうか?そうですよね、少し遠いですしどれがどれだかサッパリだと思います(笑)しかし、注意深く見ていると細かいところで色々と違いがあるようです。縁巻の色や毛羽立ち、竹ヒゴの綺麗さなど、でもこうして離れて見ても竹ヒゴや縁巻の違いに特徴があります。そして、実は中でも一番で丁寧に作られているように見えるこの竹ざるが外国製なのです。


盆ざる(竹ざる)


少し意外に思われるかも知れませんが今や外国製の竹製品も「安かろう、悪かろう」ではありません。海外の生産国も次第に生活水準も人件費も上がるにつれて価格自体も国産のものと違いがない代わりに品質管理をしっかりされた良いものが出来るようになっています。


盆ざる(竹ざる)


ただ、こちらの外国製蕎麦ざるの白い縁巻はPP、つまりポリプロピレンです。合成樹脂なので熱に強く耐久性が高く近くでご覧いただいても質感や微妙なシワ、光沢が竹とそれほど違和感がありません。扱いやすさは抜群ですから沢山のお客様が来られるような飲食店などでは非常に重宝されるのではないかと思います。


蕎麦ざる(竹ざる)


しかし、ここまで品質が良いだけに輸入品と知らずに「国産」と表示して流通されいる事には憂慮しています。同じような竹ざるを国産竹材を使って昔ながらの職人が編んでいる中、お客様が外国製を見て「さすが国産だ...」と頷いているのを見ていると、これではいけないと感じるのです。


蕎麦ざる(竹ざる)


もちろん日本のモノづくりも皆様が思う以上に高齢化が進んでいます。大量に製造されていた竹細工ほど、沢山の竹材が必要ですが今では伐採する職人も少なくなり求められるような数量ができない事もあります。それでも若干見劣りする場合があったとしても、やはり自然素材にこだわる日本製を守りたい。


盆ざる


だからたとえ不良品も国産竹細工を買い支えるつもりでやって来たのは今回の盆ざるを含めて今に始まった事ではありません。目の前にある竹ざるたち、これが国内では最高水準の品質であり天然籐の縁巻を使ったこだわりの竹製品です。現在これ以上の品質の国産竹ざるの製造はできません。


冬には鍋料理に、夏には蕎麦ざるとして日本の食卓に欠かせない盆ざるについて日本製、外国製それぞれの違いを踏まえた上でお客様が用途によってお選びいただく事が大事だと思っているのです。そしてそれを、しっかりお伝えするのは竹を生業とする者の使命です。


山芋籠

山芋籠、竹虎四代目(山岸義浩)


あたかもゴルフのキャリーバッグでも持つように肩に担いでいますが、田舎者ですのでそのような洒落たスポーツとは縁がありません。中に入ってるのもゴルフクラブではありません、鰻ウケです(笑)それではその細長い背負い籠は何?という事ですが実は山芋籠なのです。


竹ざる、ふきのとう


先日は職人さんから、ふきのとうを沢山頂きました、春はこのような山菜がひとつの楽しみでもあります。これからはタラの芽、わらび、ふき等色々でどれも美味しいものばかりですが、高知では虎杖(イタドリ)までも食します。子供の頃にはオヤツ代わりにポキッと折って皮をむいて食べてましたけれど、やはり油揚げとの煮物が最高です!


山芋籠、竹虎四代目(山岸義浩)


そんな山菜の中でも王者として君臨しているのではないかと思うのが山芋。どんな風にして食べてもイケますので楽しいけれど、広い山の中から探して曲がりくねった芋を掘り出すのも又楽しいものです。だから自分などは真っすぐに伸びた芋は昔からどうもしっくりきません(笑)。




作務衣が雑誌「ホームセンターゴーアウト」に掲載されました。

竹虎四代目(山岸義浩)、作務衣


アウトドア用品を中心に楽しい衣類や雑貨が満載された雑誌「ホームセンターゴーアウト」に藍染作務衣を掲載いただきました。確か前にも作務衣を取り上げていただいた事がありますが、自分が愛用する30着ほどある作務衣の中で実に25着は笹倉玄照堂さんのモノです。


それほどのファンになったのは、思い起こせば30数年前に江戸時代の藍染生地を復刻させたいという玄照堂初代の方の思いに触れた事が始まりでした。当時から作務衣が好きで色々なメーカーさんのものを目につく度に購入して着用していましたけれど本当に様々な生地があり産地もあり価格も高いものから安価なものまで、どれを選んで良いか分からないほどでした。


雑誌ホームセンターGO OUT


当時の玄照堂さんの藍染作務衣を一度着て気に入りました。長く着ているうちに弱ってしまう腹部や裾のゴムを紐で結ぶようにしているのが良かったですし、何より洗濯した後の色落ちがデッドストックのリーバイスのようで格好良かったのです(笑)。その頃のタグの文字は白色でした、いつの頃からか赤文字になってしまい自分が初めて買った藍染生地も廃番となってしまいます。何度か復刻のお願いをしていますものの、今となってはあのような生地が出来ないようなのです。


竹虎四代目(山岸義浩)、作務衣


竹虎ロゴマークを背紋に入れてもらい、お尻にポケットをつけたオリジナルを作ってもらうよになりました。丈夫な玄照堂さんの作務衣ですが毎日来ていると膝がぬけたり、襟首が傷んできます。襟首は目立ってしまいますので何着かまとめて補強いただいた事があります。真新しい生地が入りると、また新しい作務衣に生まれ変わったようで良い感じです。


休日のリラックス用に着られるお父さんでしたら一着あれば十分です、一生着られると思いますので、ゆっくりと作務衣ライフを楽しんでいただきたいものです。




国産四ツ目竹ざる60センチ新登場

国産四ツ目竹ざるの影


南国土佐の温かい日差しに60センチサイズの四ツ目竹ざるの影が濃くクッキリと見えている。先日から製作することになった四ツ目ざる40センチに一回り大きなサイズが仲間入りしたのだ。


網代編み


先日の30年ブログでもお話しさせてもらったように多くの竹ざるは画像のような網代編みかゴザ目編みで目が詰まっている。


四ツ目編み


しかし用途によってはこのように目の粗い竹ざるが好まれる事があり昔は結構このような四ツ目ざるやエビラもあった。実際、古い民具を保管している施設に行くとこのようなタイプのざるは多く見ることができるのだ。


日本製梅干しざる


今回の四ツ目ザル60センチ登場で、網代ざる、四ツ目ざるそれぞれに2種類のサイズができて使う方のお好みで選べるようになった。


日本製四ツ目竹ざる60センチ


縁部分は強度の高い孟宗竹、内側の四ツ目編み部分はしなやかな真竹を使っている。思った以上に今年は竹材を使ったので既にもう残り少なくなった、後どれくらい編んでもらえるだろうか。


感動と驚愕の国産竹材「楽屋」秘話

宇佐の漁師さん、竹虎四代目


この辺りで一番のオススメと聞いてやってきた銚子港「浜めし」は、さすがに人気店だけあって暖簾をくぐると昼前というのに満席状態。足を踏み入れてると正面奥の座敷に陣取る目付きの鋭いお客様と目が合った...こっ怖い!!あの人は、きっと店のヌシに違いないと思って一番離れた遠くの席に座った。


しばらくすると、どうもこのヌシのいる座敷席の様子かオカシイ。とにかく皆が何度もジョッキを注文しているのは良いとしても、これだけ沢山のお客さまでガヤガヤしている店内でもハッキリと聞こえてくる大きな声は...間違いなく土佐弁だ!?気になってヌシの方を見るとコチラに向かって手を振っているではないかっ!?


ええっ!オレに...!?
悪い事でもしたのかっ!?
恐る恐る近寄ると


「おまん、須崎の竹屋じゃろ」


浜めし


何と、このグループは須崎市の隣、土佐市の宇佐港からやってきた漁師さんたちで、ヌシと思っていたのは船頭さんだった。これは嬉しかった。初めて来た知らない町で懐かしい方言に高知の皆様。


漁師の方々は自分のように飛行機や新幹線でやって来るのではない、板子一枚下は地獄と言われる漁船に乗り、命がけで遠くまでやって来て束の間の休息を取っていたのだ。そう思えばここだけでの話ではないように思える。枕崎や焼津などカツオの水揚げでも有名な港をはじめ日本中のアチラコチラで、この店と同じように土佐の漁師が束の間の骨休めをする場所があるに違いない。頑張っているなあ、自分もやらなれればと気合が入る。格好が良い、さすが海の男たちだ。


竹の楽屋


それにしても何故、高知から遠く離れた千葉県は銚子にいるのかと言うと近くに楽屋と呼ばれる竹で設えたセンリョウ成育場が沢山あるからなのだ。


孟宗竹


日本最大級の孟宗竹は現在あまり活用方法がなく、各地の里山で荒れ放題になっている竹林が問題視される事がある。しかし、その竹を農業資材として大量に必要とされるなら面白いのではないかと思ったのだ。


竹工場


それにしても楽屋の工場は、数十年前の竹虎を思い起こさせてくれる素晴らしく懐かしい場所でもあった。何時間でもいたい、いや出来るなら一日中でもいたいと思った。日本は案外狭いようで広い、しかしここでも自分達も含めて竹産業が同じく抱える課題があった。動画でもお話しさせてもらっている。




先輩の根曲竹が言う「お前まだまだ青いなあ」

根曲竹玉入れ籠、竹虎四代目(山岸義浩)


根曲竹玉入籠なんて、普通の真竹で編まれた玉入れ籠でも珍しい時代にほとんど知られていないのではないかと思う。製造数も少ないし多くの方の目にふれる機会はほとんどない言わば幻の籠の一つである。今年も青々とした籠が編まれてきたが自分の愛用している籠と比べると色合いがこれだけ違う、「お前まだまだ青いなあ」先輩の籠が話しかけているように見える。


根曲竹


この根曲竹は自分もよく紹介しているのでご存知の方も多いかも知れないが兎に角堅牢な竹である。粘りとしなりのあるスズ竹よりも少し太目な感じで同じ笹類ではあるが、より野趣にあふれる野武士のような印象を受ける。しかし、これは山から運ばれて来て初めて拝見した根曲竹が紐やロープではなく、伐採した同じ竹をロープ代わりにして縛られていた事にもよる。


雪と竹


子供の頃には虎竹も同じように竹の束は竹を使って縛られていた。職人が竹林に入るのには鉈一本だけででかけたものなのである。その格好良さにしびれてしまったのであるが、根曲竹の荒々しい雰囲気はその生い立ちにも関係している。雪の降り積もる東北など寒い地方で成育するため、冬は降雪に耐えるために根部分が曲がっている。真竹や孟宗竹に冬が降り積もって大きくうなだれているのも凄いが、根が曲がってそれが竹自身の名前になっているからそれどころではないという事だ。


根曲竹りんご籠


根曲竹も昔の籠は農作業や生活道具に使われるものが多かったので見栄えより強さが求められた。山から伐り出された根曲竹と、この手付籠の竹表皮の違いがお分かりいただけるだろうか?表皮部分が磨かれてツヤツヤと輝いている。こうして表皮を綺麗に磨くようになったのは一般の方に買い物籠や洗濯籠として流通するようになってからの事である。


根曲竹玉入れ籠


さて、根曲竹の玉入籠であるが実は自分も強烈に気に入っている。そこで自分の机の横に逆さまに置いてサイドテーブルとして愛用しているのだ。ノートパソコンや書類の入った結構な重さのバッグも置く事もあるが全く平気、さすが根曲竹なのである。


気が付くと国産の四ツ目竹ざるが見当たらない

国産四ツ目竹ざる40センチ


竹ザルはゴザ目編みか網代編みの場合が多い。どのような編み方かイメージできない方もいるかも知れないが、要するに竹ヒゴを隙間なくガッチリと詰めて編まれているのである。そんな普通の竹ざると比べると通気性は一目瞭然で圧倒的に良い、四ツ目竹ざるの40センチサイズができた。


国産竹ざる


青く見える竹ヒゴが真竹の表皮を薄く剥いだ「磨き」の竹ヒゴであり、白っぽいヒゴがその後に取った材料である。空洞があるために木材などと比べると厚みのない竹材ではあるが、何枚にも薄く削るようにして使っているのだ。竹材を油抜する事なくそのままに使う「青物」と呼ばれる細工では、このように青×白のコントラストが美しい籠や笊が多々ある。そんな素朴な編み込みを眺めながら少し前の事を思い出していた。


昔の四ツ目ざる


以前は、このような四ツ目編みの竹ざるも普通にあって珍しいものではなかった。ところが、いつ頃からか?ふと気づくと国産の四ツ目ざるなど何処にも見当たらなくなっている。


国産四ツ目竹ざる編み方


自然素材の難しいところは伐採に旬があるという事だ。たとえば今頃になって孟宗竹が足りないとなっても品質が落ちてしまうので伐る事ができない。真竹で四ツ目の編み込みはできても縁部分に使う丈夫な孟宗竹がなければ一つの竹ざるとして完成しないのだ。


日本製梅干しざる、さつま


土用干しに人気の網代編み竹ざるの編み込みと縁部分をご覧いただくと分かるように、この二つの部材で竹ざるはできている。身近に使われてきた竹ざる一枚でも実はどのように出来ているのか?長年愛用されている皆様でも、もしかしたら考えた事もあまりないかも知れない。




そう思って最近、1時間近い長い動画を作ってみた。もしお時間あれば少しでもご覧ください。


虎竹のへの愛情を肌で感じて育ってきた。

虎竹、竹虎四代目(山岸義浩)


虎竹の山々には竹林に通じる細い山道が沢山あって、そこに自分が行くと結構な人気者だ。「使ってくれ、使ってくれ」と今日も山から竹が下りてくるのである。虎竹の場合、江戸時代から土佐藩に年貢として納められる付加価値の高い竹だった。


現在の山の価値は、あまり高いとは言えないがその昔のは森林が富の源泉であり地域が大いに潤った。だから杉や檜に持ち主の名前が書かれていたり、「木一本、首一つ」と言われ木を一本勝手にきれば極刑が待っているほど厳しく管理されていたりもしたのだ。高知県は岐阜県をおさえて森林面積84%の日本一の山王国だから山間部の町には華やかな頃の名残が今もあり、運び出されて行く材木などの中継点となった港もにぎわっていた。


虎竹


普通の山々でもそのような時代だったからかも知れないが、虎竹の里の竹林には他人が近づく事などあまり無かった事だと聞く。もちろん明治以降、大正、昭和と時を経て自動車も走るようになってからは虎竹の古里である焼坂の峠に向かう山道は誰でも通行は可能だった。しかし、海岸に沿って通る新しい国道が開通すると、その道は行き止まりとなり用のない人が車で来る事はなくなった。


竹虎四代目(山岸義浩)


「あの車は一体誰だ、何のために来ているのだ?」


そこで、自分の小さい頃には竹林に通じる道路脇に自宅のあった職人は、山に向かう見知らぬ車はすべてチェックしていた。幼心ながら地域の虎竹への並々ならぬ愛情やこだわりを肌で感じて育ってきたのだ。


竹籠が飾られたエシカルなドーナツ屋さん

koeドーナツ


ランチの後はスイーツと決めているので甘い香りに誘われて店内に入ってみると驚いた。ずっと店の奥の奥まで梅干しざるをザックリ粗編したような竹籠が隙間もなく飾られていて壮観である。


koeドーナツ


さすが京都だと思いながら店名を見直す「koe donuts」。こちらのお店では「オーガニック」「天然由来」「地産地消」にこだわられていると言う。


koeドーナツ


「持続可能な未来へ」という言葉もサイトにあったので継続利用可能な唯一の天然資源と言われる竹に着目されたのかも知れない。


koeドーナツ


それにしても天井を覆い隠すほどの沢山の竹編みを見ていると昔の荒物屋さんを思い出して懐かしくなってくる。


koeドーナツ


やさしい空間に浸って優しい気持ちになって店を出た。しばらく歩いてドーナツを食べていないことに気づいた。


竹弁当箱と網代柄風呂敷

竹弁当箱


竹の弁当箱と言っても竹虎にある主なものを考えてみても虎竹、白竹、スズ竹、竹集成材、竹皮があり、大きさや形、編み方など入れるとかなりの選択肢がある。それに複数のランチタイムに最適の手付籠であるピクニックバスケット、二段、三段になったタイプなどもありグレードまであるので少し迷ってしまうかも知れない。


スズ竹弁当箱


しかし、一人用のお弁当箱なら昔から自分が「竹弁当の中の竹弁当」と一押ししているのはスズ竹製の弁当箱である。スズ竹は竹と言っても笹の仲間でとにかく粘りとしなりがあって強い。手にした感じは柔らかく、もしかしたらそのソフト感に頼りなさを感じる方もおられるかもだが、一度でも使ってみればそんな事は杞憂だと瞬時に実感する。


竹弁当箱に風呂敷


竹虎では、このような竹弁当を包む風呂敷を二種類のサイズで用意している。


網代柄風呂敷


網代柄風呂敷


弁当箱に多用される網代編みの模様を風呂敷にプリントしているのだが、このデザインは竹への深い愛情と圧巻の技術力から自分が天才版画家だと尊敬している倉富敏之先生から頂いたものだ。


重箱


腕によりをかけたお料理を、竹集成材で作られた重箱に詰めて行くお花見を楽しみにされている方もいるに違いない。


重箱


大きいサイズの風呂敷でバッチリである。




チャコールクレンズにも、竹炭を使ったパンケーキが焼けました

竹炭パウダー、竹炭微粉末


美味しそうなパンケーキが焼けました、竹虎の社員が焼いたらしく小麦色になった丸い顔に虎の笑顔が描かれています。黄色に黒色の縞模様が入る虎が良く表現されているかと思いますが、さて、ここで問題です(笑)この黒色は一体何で書かれているでしょうか?


孟宗竹


そうです、竹虎の事をご存知の方ならすぐにお分かりいただけますように竹炭パウダーが使われています!原料の孟宗竹は日本最大級の大きさを誇りますけれど竹製品や竹細工に加工される事が少なくなり、中国から安価な筍が輸入されてくるようになると食品としての価値も下がってしまい手入されず荒れてしまっています。


竹炭パウダー、竹炭パンケーキ


江戸時代に大陸から入って来て今日に至るまで日本人の生活を支えて来た孟宗竹からすると「放置竹林」とか「竹害」など本当に心外な事が言われるようになりました。成長力の早い竹の素晴らしい特徴が需要がなくなる事によって裏目に出てしまう格好だったのです。


竹炭パウダー、デトックス、チャコールクレンズ


しかし、この孟宗竹を使って上質の竹炭を焼き上げ、そして微粉末にすることにより食品添加物として様々な食べ物への利用が始まっています。感度の高い皆様でしたらデトックスとかチャコールクレンズという言葉を耳にする機会も増えてきたのではないでしょうか?このパンケーキは竹虎の若い女性社員が作りました、描くための竹炭はパンケーキの生地に少し多めの竹炭パウダーを入れて水分を調節して絞りだしやすいようにしているそうです。


竹炭パウダー、デトックス、チャコールクレンズ


焼き上げるとこんな感じになります(笑)竹炭入りの真っ黒いパンケーキと一緒にいかがでしょうか。




東山慈照寺、銀閣の竹垣

東山慈照寺


銀閣寺垣


東山慈照寺とは言わずと知れた世界文化遺産にも登録されている銀閣寺。渋い色合いになった銀閣寺垣が総門から中門への参道に続いています。


銀閣寺真竹


銀閣寺の青竹


さすが京都らしく銀閣寺には伸びの良い美しい真竹が沢山目につきます。中門に設えられた竹の青さと立派さに心躍りつつ境内への期待は高まるのです。


東山慈照寺


東山慈照寺には有名な銀閣、向月台、銀沙灘、東求堂などがありますが、それらを全て見渡し遠く京都の街並まで望める展望所があります。その景色の素晴らしさはもちろんですが、実はそこに登っていく階段通路に設えられた竹の手すりの造形美に感動したことがあります。


銀閣寺展望所への竹手すり


銀閣寺展望所への竹手すり


手すりは曲がりくねった石段に沿うように立てられていて、その造りが凄かったのです。初めて拝見して驚いたのは、ついこの前のような気もするもののスケジュール手帳を見直してみたら既に7年も前のことでした。


銀閣寺展望所への竹手すり


そんな前の事なのに実に自然に丁寧に竹を活かして作られた手すりは、まるで先日見たばかりかのように目に焼き付いています。竹の切り込みや接合部分は裏側にして出来るだけ表側のお客様からは見られないように工夫されています、銅線の巻き方ひとつ隙がありません。


銀閣寺展望所への竹手すり


そもそも、この見事な切り口を見ればどれだけ竹に精通した職人が製作に携わっているのか伝わってきました。久しぶりに銀閣寺にお伺いしたのは、この竹の手すりを再び拝見したいと思って楽しみにやって来たのでした。


銀閣寺展望所


ところが、今回の銀閣寺では残念ながら竹の造作は見られませんでした。


銀閣寺展望所手すり


ちょうどやり替えの時期だったのかも知れません。素っ気ない鉄製の手すりがあるだけだったのです。


銀閣寺の青竹手すり


この石段に続くまでの庭園通路の所々には見事な青竹が使われていて隅々まで手入れの行き届いたお庭に映えています。


銀閣寺の青竹手すり


東山慈照寺の竹手すり


その青竹が石段に上がる鉄柱で止まってしまっています。これから石段の手すりに竹を設えていって頂き、以前のあの素晴らしい竹手すりを、あの匠の技を見てみたいと心待ちにしています。


銀閣寺の穂垣


手入れの行き届いた庭園を抜け東山慈照寺の出口付近には竹枝の節を丁寧に揃えた見事な穂垣があります、竹が多用される京都の竹へのこだわりを改めて感じるような仕事ぶりです。


銀閣寺井戸蓋


銀閣寺


銀閣寺の建仁寺垣


そんな圧巻の竹に囲まれた中、もう一つだけ竹を扱う者として残念に思ってしまう光景があります。それは展望所に向かう道中にあり、総門からの銀閣寺垣と同じように時間の経過と共に味わいの出てきた奥に向かって伸びる建仁寺垣です。


塩ビ建仁寺垣


通路横からまっすぐのびる部分には天然竹が使われていますものの右に曲がった遠くの継ぎ目から先は塩化ビニール製の建仁寺垣になっていました。プラスチックには風当たりが強くなっていますけれど全てがダメだとは思っていません、人工竹は耐久性が高く施工も簡単であり天然素材に比べると真新しい雰囲気を長く保つことができる利点があります。商業施設や個人の住宅などではコスト面から採用される事も多いのは仕方ないことです。


天然竹材


しかし、どうしてもこの場所には不自然に見えて仕方ありません。人と同じように竹が年齢を重ね風合いを深め、古くなり朽ちていく様を愛でるのも日本の心です。これは何も銀閣寺だけの事ではありません、世界から日本文化に触れるべくお客様が来られる所であればこそ長く培われた職人の技で作り出す本物の竹がふさわしいのではないでしょうか。


犬矢来


京都の街を歩くと目を奪われるような竹の造作物に出会えます。それは、この雅な都で古くから竹が磨かれ令和の時代まで繋がってきた証であり大切な日本の竹のありようです。


たとえば、この犬矢来。製作をされた職人を何となく思い浮かべる方はおられるでしょうが、その素材を加工する職人、吟味して伐採する職人まで遡るとどうでしょうか?京都の竹の奥深さは、竹への思いが竹林からお客様の手元まですべてが繋がっている事です。これからの時代も、きっとそうあるように願っています。




虎竹の真の価値

虎竹の里、竹虎四代目(山岸義浩)


日本唯一の虎竹の伐採自体は1月末までなのですが、その期日に山出しが終わるという事ではありません。枝打ちと言って竹の小枝を鉈ではらい、竹林から運び出される作業はそれからずっと続くのです。自分が入社した頃には今とは比べものにならない程の量が出荷されていましたので、遅い山だと5月の中旬あたりまで山仕事があったものです。


虎竹の里


それにしても竹林からこのようにが伐り出されてるいる光景は、いつ見ても心が弾みます。竹は竹林にある時が一番美しいものですが、こうして山から出ていかないと沢山の人様に喜んでいただく事はできません。それぞれが製竹され竹製品となっていく門出でもあると思うと嬉しくて仕方ないのです。


日本唯一の虎竹


近年の温暖化が大きな要因となっている虎竹の色づきは、今年も暖冬で思うような竹にはなっていません。ですから、この竹のように白い蝋質の下に虎模様が確認できるとホッと安心します。


日本唯一の虎竹


虎竹の歴史は古く藩政時代には年貢として献上されてきました。つまり少なくともその当時から先人が守り育ててきた竹であり、はじめて来られた方でもその美しい竹林に感じって頂ける方が大半です。


虎竹の里山の職人


しかし、本当の意味でご理解いただいてる方は少ないかも知れません。この山の竹はすべて竹製品や竹細工にされるための竹たちです。筍農家の畑ではありませんので自分達はもちろんの事、虎竹の里でこの100年虎竹の筍を食した話を聞きません。そうやって慈しんできた山の職人の努力は、そうでない竹林に触れてはじめて感じるものです。手入れされない普通の竹林の様子がどうなのか、実は皆様はそこまで関心をもってご覧になられていないのではないでしょうか。


荒廃した真竹林


手入れされない竹林はこうなります。かっては良質の真竹が伐り出された竹林でさえ誰にも使われず忘れられてしまえば、このように中に人が入ってくることすら拒ばれているかのようになるのです。日本の竹を知れば知るほど、虎竹の里の価値がようやく少しづつ分かってきます。