山葡萄手提げ籠は母や祖母の時代から愛用してきたので、その良さは十分に知っている。今では高価なバッグとなって高嶺の花のようになっている物まであるのだが当時の山葡萄は大きな箱に入れられて驚くような安い値段で取引されていた。ところが使ってみると、どうだ。その強さと時間と共に変わる風合いは見事としか言いようがないのである。
編みがったばかりの元々の色合いも自然そのままの武骨さがあり良いものだ。採れる山によってツルの色も微妙に違って面白い、職人はそれぞれ自分の山に誇りを持っているところも虎竹の里と同じで深く共感した。
そして、やはり愛用するほどに深まる色艶はその後に海外生産され輸入されるほどまでに人気となっている。
山葡萄のツル素材にもよるが、いくら堅牢といっても長く使う内にヒゴが折れたり傷むこともある。持ち手も修理することの多い部分なので本体の色合いと手直ししたばかりのヒゴの色合いで月日と共にどれだけ変化するか分かりやすい。
前にもお話ししたように、山葡萄の手提げ籠は個人的に好きで愛用するものの実は関心が薄れていた時期がある。海外素材を海外の職人が編んだもの、国産素材を海外職人が編んだもの等輸入品が多くなるにつれて技巧に走るものばかり目について昔ながらの伝統的な良さが失われていると感じるからである。
海外で編まれたものも品質が高く、価格は国産と変わらなかったり反対に高額なものもあり、それはそれでユーザーの裾野を広げ需要に応えてる素晴らしい取り組みであり美しい籠たちである。ただ、自分は土地に根付き母や祖母から受け継いだ技を温かな日差しを受けながら編むあの手が好きなだけだ。
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