昨日の30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」に昭和40年代まで沢山編まれていた梨籠が登場した。大量生産されるこのような籠は決められた型枠がありそれに合わせて作られる、編み子の多くは女性の方々で50個を積み重ねて縛って出荷していた。型で編むと言っても手仕事なので上手い、下手が一目瞭然で50個も重ねると綺麗に編んだ職人の籠はカッチリと重ねる事ができてカサが低いのですぐに分かったと言う。
この当時日本の竹業界は大きな曲がり角を迎えていた時期でもあった、実は原材料である真竹が全国的に開花をしていたのだ。真竹は120年に一度開花すると言われていて花が咲くと地下茎でつながる竹林は全て枯れてしまう。
この梨籠を良くご覧いただきたい、竹表皮のついた強度の高いヒゴばかりでなく竹の身の部分も交えながら竹材を使っている。これは別に開花による竹不足という事ではなく昔からこうして竹職人は一本の竹を無駄にする事なく大切に使ってきた。それでも真竹の開花によって、どうしようもなく竹材不足になってくる、まだまだ竹籠の需要はあったので生産のできなくなった業界は中国からの竹材および竹製品輸入に舵を切る。
どんどん大きなコンテナで運ばれてくるようになった日本で編まれる物と同じような竹籠。そして、それが驚くほど安価な値段であり国内メーカーは太刀打ちできなくなった。昭和40年代後半、日本中を席巻していく若干粗悪であるものの価格破壊のような竹製品があふれだした竹業界に当時就職を考えねばならない20歳前後の後継者の多くは竹に未来を感じることができなかった。日本に65歳の叩き上げ竹編み職人がいない理由だ。
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