ボクは、ちょうどのタイミングでこの世に生まれて来させてもらった。何千年も続いてきた日本の竹文化、代々続く伝統の竹細工、その最後の瞬間に立ち会えるギリギリの時だ。
たとえば、この洗いぞうけ。5尺3寸で編まれていた一升ぞうけより一回り小さく4尺3寸。高知で長い間作られてきた竹細工、何と孟宗竹と淡竹(はちく)で編まれた感激ものの逸品だ。
大量の注文に間に合わせるために、もう50年も前からカズラをやめて針金を使ってきた。細く取った竹ヒゴをこの地域では「ネギ」と呼ぶ、家族で営む竹細工は全国的に見ても材料作りは男の仕事だが、ここでもネギを作るのは男達、女衆は編みを担当する。
隣近所が集まって総出してのそうけ作り、材料の竹が運ばれて来た時の話が面白い。なんと一斉にくじ引き大会が始まるのだ。曲りや節間により選別された竹が一本一本並べられて上位に当たった者から好きな竹を使うことができる。素材で籠の出来映えも早さも決まるので想像するだけで職人たちの熱気が伝わってくる一大イベントだったに違いない。
孟宗竹の口巻は厚く強く、これだけ古くなった洗いぞうけでも抜群の存在感。この口巻の内側は「内縁」、外側は「そら縁」。
一般的には当縁と呼んでいるが、ここの古老たちは「ふで縁」と言っていた。どうしてふで縁なのか聞くと「ふでるから」、そんな土佐弁聞いた事もない(笑)。
虎竹も淡竹の仲間なので、どうしても淡竹の風合いには魅かれてしまう。現在、日本には淡竹を巧みに編み込む職人は二人しかいなくなったが、当時はこうして数十人の職人が淡竹と共に生きていたのだ。
細い横編みの「ネギ」に対して幅広い縦編みの竹ヒゴは「タツ」。どの大きさのそうけにも籠中心部分の「タツ」には皮付が使われていて「皮タツ」と呼ばれていた。
後の「タツ」は皮無の二番、三番、四番...と竹ヒゴが使われる。それにしても「ネギ」を近くで見ると丁寧な仕事ぶり、触ってみると指先に三角形に尖ったヒゴがしっかりと主張してくるようだ。
3本の「皮タツ」を挟んで両側にが同じ本数だけ使われるので「タツ」の総数はいつも奇数になる。一升ぞうけには17本、この洗いぞうけには13本の「タツ」が入っている。
ボクは、ちょうどのタイミングでこの世に生まれて来させてもらった。こんなそうけが30個一括りになって山のような竹籠達が出荷されていた時代。男達が女達が村全体で竹に向き合っていた残り香だけでも感じられるのは幸せなのだ。
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