もう5、6年前になりますが大坂にある国立民族学博物館の依頼で特別に長い虎竹ヒシギを作らせて頂いた事がありました。ヒシギとは簡単に言うと丸い竹を細かく叩きながら平たく板状に伸ばしたものです。馴染がない方には一体何なのだろう?と思われる方が大半でしょう、しかし自分の入社した頃には、一年中このヒシギばかり作っている職人が内職含めて10数人いましたから以前はそこそこの需要のあったものなのです。
ヒシギは竹の表情が良く表れることから籠など小さな細工に使われることもありますし竹虎では主に袖垣の部材として使用します。この時の博物館では展示物の屋根として使っておられましたが、竹の屋根も特別なものではなく簡素な小屋では半割にした竹を交互に並べたものを見かけることがあります。
しかし、ヒシギが住宅に使われるのはやはり壁材としてでしょうか。今では一般のご自宅でこのような設えは見られないものの、古民家ではこのように立派な竹ヒシギがいい色合いに枯れているのに出くわして幸せな気持ちになります。
「衣食住」すべてに竹が関わってきたと言う事をいつも話しますように竹は外壁として使われて来たのです。そして、そもそも木舞竹と言って竹で格子を組んだところに土を練り貼り付けて土壁は作られますから昔の住宅は竹で四方を覆われていたようなものです。
別の民家では長い竹が軒下に掛けられています。農家さんでは収穫した大根や玉ねぎなど吊るすのに太く長い孟宗竹は重宝されました、しかも筍の時期には食糧にもなるというスーパー植物です。竹林拡大を防ぎたいとの事から国が「産業管理外来種」としたそうですが中国から渡って来て以来、孟宗竹もどれだけ人々の生活を助け、暮らしを豊かにしてきたかと思うのです。
民家の室内で大きな柱をじっと支え続ける竹の姿にも感動します。
さて先日、二宮金次郎の生家に落書きというニュースが流れました。小学校では良く見かける銅像でお馴染みである偉人のご自宅の壁は竹ヒシギでした。スプレーした人は竹壁の事など考えてもいないかも知れません。けれど、古より竹に人々がどれだけ助けられてきたか、大恩ある素材であるか、この機会に多くの方にも考えていただきたいのです。画面の向こうで風雪を耐えてきた竹が泣いています。
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