今日も梅雨明けの青空が広がっている高知ですが、竹虎四代目の心中はと言いますと、ただならぬ雲行き。風雲急を告げる空模様、稲妻まで光る勢い(笑)いよいよスペインに向かい出陣です。
先日の高知城天守閣に登りました。夏休みで賑やかな城内も、夕刻ともなると誰ひとりいなくなり一人静かに腰をおろす事ができます。ここでも稲妻が走ってます。
高知城は天守も素晴らしいですが、この追手門も凄い。そして、一つのアングルに天守と追手門が収まるのは高知城だけと言われます。
ちなみに一豊公が使ったという槍の長さは約3.5メートル、自分の持つ虎竹の長さも合わせていますのでコレで騎馬するとなると大変です。ところが織田信長が6メートルもの長槍隊を作ったという話を何かで聞いたことがあります、実際に使うとなると相当な重さと長さだと分かります。
1961年ですがら58年前の事になります、社員旅行でここに来た竹虎の職人たちは追手門で写真を撮りました。皆が日頃見ないようなお洒落して本当に楽しそうです、大型バスを貸切ってやって来たお城下で一泊したのかも知れません。当時でさえ虎竹の里とお城はそれほど遠かったのです、土佐藩政時代といえば一体どうだったのでしょう?
海を渡り運ばれていた虎竹と自分が重なります。
知らない人は誰もいないように思うかも知れない。しかし、出立を見送ってくれているのは内助の功で有名な千代と一豊出世のチャンスを掴んだ名馬鏡栗毛ばかりではありません。
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