竹虎の職人は、もっと自信を持っていい。日本のモノ作りをデザインで元気にして来られた梅原真先生が少年のように目を輝かせている。
梅原真の名前を知らない人はいまい。特に地方から全国に向けての発信を考えるのであれば尚のことだ、「漁師が釣って漁師が焼いた」の明神丸水産をはじめ挙げていたらキリがない程の凄いお仕事をされてきた。これは!?と思う動きの後ろにはいつも梅原先生の名前があった。30年以上続く黒潮町のTシャツアート展などは、その最たるもので一体誰があの何もない砂浜を美術館と呼ぶだろうか?
神がかり的な発想をされる、そんな方がたいそう喜んでくれている。気に入らないものにこれだけの反応ができる器用な方ではないはずである。
だらか竹虎の職人は胸を張らねばならない。梅原先生にお褒めいただいたと言うことは世界に認められたと言っても全然過言ではないのだ。
実は竹トラッカーが完成した時に見せに来る約束をしていた。それから随分と時間が経ってしまい早く来ればよかったと反省している。
しかし、この場所は今まで何人の迷える子羊を導いてきたろうか?そう言えば何やらフツフツとやる気が沸いてきた、いわゆるパワースボットかも知れない。
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