日本唯一の虎竹を育む自然をテーマソング「まっすぐ」と共に

竹の車、REIWA-125号


竹虎創業125周年記念で製作しました竹の車REIWA-125号をスペインに向けて送り出す日が刻一刻と近づいてきています。最終テストランは終了しておりますものの、何度確認しても確認し過ぎはないと思いつつ観測史上一番遅い梅雨入りの空を恨めしく見上げるのです。


竹の車、REIWA-125号タイヤ


今回の猛練習を物語るひとつに擦り減ったタイヤがあります。オフロード用の太いタイプを装着していますが新品時にはこれだけ山のあったものが...


竹の車タイヤ


何と!こうなっているのです!?テスト走行で運転していてもブレーキをかける度にタイヤの焼けるニオイがしていたので負荷がかかっているとは思っていたものの...これはっ(笑)


竹の車タイヤ交換


早々に取り外して新しい本番用を取り付けています。


REIWA-125号


そして、いよいよ車体の整備は完了しています。後は気になる細かいところのチェックだけとなりました。


レース撮影用カメラ


そうです、そうです、もう少しで忘れるところでした。今度のレース用に新しい車体に取り付けることのできる小型カメラを購入しました。スペイン・ビトリアの美しい街並と熱狂の中をくだり下りる迫力ある動画をご覧いただけるのではないかと思っています。


さて、それではスペインボックスカートレースに臨む竹虎の思いを、日本唯一の虎竹を育む自然をテーマソング「まっすぐ」と共にご覧ください。




竹の神が降りて来たのです。

REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


ずっと思っている事があるのです。REIWA-125号を出来あがった、練習コースにも恵まれ何とかレースを走りきる自信はついた。


ただ、ひとつ...。


竹の車、竹虎四代目(山岸義浩)


REIWA-125号は普通のボックスカートレース用の車体からすると座高が少し高めなのです。重心は低い方が安定して走ることができますのでヘルメットは当然の事ながら肩や肘などをガードする安全装備も必要かと思いバイクショップに出向いてみました。


竹虎四代目、プロテクター


なるほど、頭から首、胴体から腕、足まで思った以上に色々なプロテクターが用意されています。黄色いエブにご注目ください「守る」と大きく書かれています。これなら確かに守ってくれそうです。


しかし、何かしっくり来ないのです。走行時のREIWA-125号を改めてご覧いただければ分かるようにドライバーがかなり目立ちます。


虎竹の車、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


REIWA-125号は竹虎創業125周年を記念して製作しました、それだけに自分達ならではの日本唯一の虎竹にこだわり抜いています。その車体とドライバーと一体になれるような工夫はできないものか?いやいや、まず遠く日本から来ているレーサーという事を一目で伝えたい。日本の竹文化と一緒になって走るのです。


武将、侍、竹虎四代目(山岸義浩)


先日、高知在住のデザイナー梅原真先生のところに行ってお話しさせてもらっている時からずっと考えている事でした。


何かないのか...?
ふと浮かんだのは武将です。


そしてヒラメキました!
竹の神が降りて来たのです。(ご期待ください)




地元メディアの皆様、応援ありがとうございます!

渡辺さおり、土佐かつお、竹虎四代目


高知の女性はパワーがある、さすが「ハチキン」と呼ばれるだけの事はあるのです。「ハチキン」とは男性でもキンが二個なのに、何と八個もあるのだから凄さが分かるといと言うもの。高知の英雄、坂本龍馬の乙女姉やんが引き合いに出されますけれど、そんな昔でなくとも今の高知にも「ハチキン」は結構目につきます。


渡辺さおり、竹虎四代目(山岸義浩)、RKC高知放送ラジオ


今日はRKC高知放送ラジオさんの番組に呼んでいただき8月のスペインビトリア、ボックスカートレースの事をお話しさせてもらいましたがパーソナリティの渡辺さおりさんも典型的な「ハチキン」。


渡辺さおり、竹虎四代目(山岸義浩)、RKC高知放送ラジオ


普段のラジオの放送でも話は面白くて聴き入ってしますますが話を引き出すグイグイくる感じは時間を忘れます。竹虎の社員が一人中に入って写真を撮らせてもらっていて、結構大きな音のするシャッター音が一度も聞こえなかったので撮ってないのか?思うほど集中したまま番組は終了しました。


写真は104枚撮ってました。


谷本美尋、竹虎四代目、FM高知


実は、先月の事になりますがFM高知さんでも125周年のチャレンジの事をお話しさせていただく機会を頂戴していました。こちらの谷本美尋さんも立派な「ハチキン」、そして昔からずっと高知を愛しこの道一筋にされて来た方で安心感があります。高知の田舎から世界へ向かう自分達のささやかではありますが真剣な取り組みをこうして地元のメディアの皆様が応援いただいてます、胸を張って結果報告できるようにガンバリたいと思っています。ありがとうございます。


さて、この8月にREIWA-125号で走るビトリアでのレースはこんな様子です。スペインの皆様は陽気で明るく高知の県民性に相通じるものを感じています、楽しい動画をどうぞ!




ホテルロビーの懐かしい虎竹

竹虎四代目、虎竹照明


久しぶりにお伺いしたホテルのロビーに懐かしい虎竹が置かれています、近寄って見てみると20数年前のものなのに全く変わらずまるで昨日持って来たかのようです。


虎竹照明


当時この虎竹は照明として使っていました。割り込みを入れたところに電球を入れて下の展示物を照らすようにしていたのです。


虎竹盛器


土佐和紙と虎竹とは、どちらも高知ならでは素材ですのでこのようなホテルや旅館、変わったところでは竹林寺客殿などでも展示会をさせていただいてました。コチラは高知県内では最大級の宿泊施設でもありましたので様々な宴席が多くて虎竹を使った盛器を作らせて頂く事もありました。


虎竹盛器


土佐の宴会と言えば前菜からデザートまで全て大きな皿に盛りあわせた豪快な皿鉢料理が有名です。食材を引き立てる虎竹の良さを知ったのもこの時でした。


虎竹衝立


そう言えば花材と合わせた大きな衝立を作った事もありました。花活けをされる方は少なくなって竹花籠に触れる機会はあまりないかも知れませんけれど竹と花は本当に良く似合います。


虎竹車、REIWA-125号


形は変わっているものの相も変わらずか...20数年前の虎竹を前に思っています。


虎竹の里竹炭石鹸誕生の秘密「全身に使う竹炭石鹸」

竹炭石鹸


竹炭石鹸に東京にあるカッピングサロン「花珠」の高瀬恭子様からコメントをいただきました。


こちらの石鹸の大大ファン!です。お肌だけでなく、頭もこちらで洗うと頭皮が本当にスッキリします、これからもずっと使い続けます。こちらの石鹸で洗った後に頭皮につかないようにコンディショナーを使えば、大丈夫です。これからの汗ばむ時期特にお薦めです。初めて注文しましたのは昨年の5月でした。凄く気に入っていたのですがその後色々な他の石鹸なども試してみたりしました。一年経ち、やはり最終的にこちらの石鹸に戻り、又まとめて注文しました。


仕事柄化粧品の評価には厳しいのです。自身の肌も弱く市販の物だと荒れてしまう。竹炭石鹸自体が良いものだとしっていても、たいていのものは脱脂力が強くて肌が負けてしまったり竹炭があまり入ってないような洗い上がりの石鹸が多いような感じ。でもこちらを使うと肌の毛穴がしっかり綺麗になって呼吸をしてイキイキ、透明感が増します。男性には上手く伝わらない感じかと思いますが、参考になりますように。


竹炭石鹸泡


田舎の竹屋ですので美容や化粧品には疎いものの、こうして専門の方に実際お使いいただいていますと本当に嬉しいものです。敏感な肌の事だけを考えて作ったものが、意外なことに女性の方々に支持いただけています。


虎竹の里竹炭石鹸


今年はどうやら空梅雨のようです。真夏の水不足が気になりますが、例年に比べればジメジメする日も少なくて竹の管理には助かっています。けれど強い日差しで汗をかく事も夜にはシャワーでサッパリしたい事も同じです。今回のお声のように自分も頭からつま先まで竹炭石鹸ひとつ、サッパリ感は本当に気持ちのよいものです。今日もどこかで虎竹の里竹炭石鹸がほんの少しでも笑顔が作れていることを願っています。


虎竹の里竹炭石鹸誕生の秘密「お客様からの声」

竹炭石鹸


元々は自分や家族のためだけに作りたいと思っていた竹炭石鹸ですが少しづつご愛用者の方が増え、沢山の方から嬉しいご感想を頂くようになりました。メールやお電話で頂戴することもあれば手書きの葉書もあります、ひとつひとつに必ず目を通して時には朝礼や全社会議で全社員と共有していますがその都度、お肌のトラブルに悩む方が多いことを感じています。


自分の経験から言えばアトピー体質は、いつか完治するという性質のものではなく一生うまく付き合っていかねばならない病気ではないかと考えています。調子が良かったり、悪くなってしまったり、しかし日常生活への影響を最小限にできるように日頃から自分なりのコンディションを整えていくことが大事だと思います。


虎竹の里竹炭石鹸の泡


今でも出張の続く時は毎晩の入浴時間を出来るだけ日常に近づけるように竹炭石鹸を持参しています。


虎竹の里竹炭石鹸へのお客様の声


虎竹の里竹炭石鹸へのお客様の声


虎竹の里竹炭石鹸へのお客様の声


虎竹の里竹炭石鹸


沢山の嬉しいお声をいただく度に竹炭石鹸を作って本当に良かったと思っています。あの辛さを知っているだけに自分と同じようにアトピーで大変な思いをされている方のお役に少しでも立てればこんな嬉しい事はありません。


普通の生活が送れなくなる程に悪化する事は自分にはもう一度も起こっていないものの虎竹の里竹炭石鹸はただの石鹸です。これで痒みがなくなったり体質が改善されたりするわけではないのでしっかりと診察も受けて時には薬を使うことも必要です。


虎竹の里竹炭石鹸へのお客様の声


竹炭石鹸への感想


虎竹の里の竹炭石鹸への感想


虎竹の里の竹炭石鹸への感想


けれど、こうしてリピートしていただき何年もの間長くご愛用を続けて頂く方が多いことも虎竹の里竹炭石鹸の特徴です。現代人の生活環境の変化が身体への様々な弊害を起こしているような気がしているものの、個人や地域で何とかなる事ではありません。この中で自分の身体と付き合っていかねばならないと考えています。


竹虎四代目(山岸義浩)


ご自身なりの肌とのお付き合いの方法が見つかっておられる方は良いのですが、もしそうでなくて肌の調子のが悪かったり、アレルギー体質であったりされる方は一度お試しされてみてください。


石鹸もインターネットで探せば色々なものがあって自分などは種類が多すぎて何を選べば良いのか分からなくなります。けれど、自分は竹炭石鹸に助けられ何かの制限などもなく入浴し普通の生活を送れています。当たり前の毎日がどれだけ素晴らしい事か、あの体験を通じて少しだけ知ることができたのは幸せだったと思っています。


竹炭石鹸への感想


虎竹の里竹炭石鹸誕生の秘密「石鹸製造」

竹炭石鹸


自分と家族が使える石鹸を作りたい。その強い思いはありましたものの、どのように作るのでしょうか?皆目見当もつきませんでした。とにかく手当たり次第サンプルを試してみることぐらいしか思いつきません。北は北海道から九州まで様々なメーカーの石鹸を集めました、そして毎日のように届く中から使い心地のよい石鹸を選ぼうと考えたのです。


現在の虎竹の里竹炭石鹸は、石鹸素地と竹炭と水だけで出来ています。けれども実は最初からシンプルな成分を目指したわけではありません。自分が使いたいのだから、何が入っていようがとにかく泡立ててお風呂で次から次へと使い続けました。


孟宗竹


ただ、やはりどうしても竹炭の力は役立てたいと強く思っていました。不思議な成長力と一年中青々と繁る生命力にあふれた竹、日本唯一の虎竹の里に生をうけ小さい頃から竹に囲まれて育った自分には、この竹を使った竹炭の吸着力やミネラル分が必ずプラスに作用するはずだと根拠はないものの確信していたのです。


木炭、菊炭


当時は炭と言えば木炭でした。高知には土佐備長炭というブランド炭がありましたし、菊炭なども高級な炭商材として職人さんが焼いていました。ところが竹炭は技術的な難しさもあり、焼いている窯もほとんど無くて竹炭石鹸はまだ世に出ていませんでした。


竹炭石鹸


何ヵ月か過ぎた頃、ようやく出会った最高に使い心地のよい炭石鹸も竹炭ではありませんでした。「地の塩社」という変わった名前の熊本の石鹸メーカーの炭石鹸でした。真っ黒い箱で最初はイメージも良くありませんしかし何とも肌に優しくシミることがないので一発で気に入り製造工場まで飛んで行ったのです。


竹炭石鹸と赤ちゃん


工場にお伺いしてさすがだと思いました、白衣を着用してエアシャワーでホコリを取らないと中に入れません。そして、そこで一番大事な「薬用炭」という言葉を聞きました。


薬用炭とは硫化物、シアン化合物、酸可溶物、重金属、乾燥減量、強熱残分など第十六改正日本薬局方の薬用炭に準じた確認試験に合格した炭という事でしたが竹を焼いたものではありませんでした。あの素晴らしい洗い心地が竹炭になれば更に良くなるのでは?こちらには研究部署があって専任の担当研究員の方にお話しを伺う事ができますが薬品や化粧品に適合する竹炭というのはないとの事でした。


薬用竹炭


なるほど、薬用竹炭がないのなら自分が竹炭で薬用炭を作ればいいではないか。幸い竹炭の品質や性能には日本一という自負がありました、間違いなく最高の薬用竹炭ができると確信していたのです。


竹炭石鹸


「思い」は大切です。すべては誰かの思いから形になります。経営の神様と言われた松下幸之助さんも良い会社作るにはどうしたら良いか?という質問に対して「良い会社を作ろうと思う事や」と答えられたと言います。普通に聞き流してしまうと何でもありませんが、「思い」が全ての始まりで大事な事なのです。


薬用竹炭は多い時には2名の社員がかかりっきりになっていました。自分達のような小さな会社としては、かなりの負担です。思った何倍も大変で時間もかかりましたけれど高知県工業試験所さんの全面的な協力で薬用竹炭は完成しました。


虎竹の里竹炭石鹸誕生の秘密「アトピーの自分と家族ために石鹸を作ろう」

竹虎四代目、竹炭石鹸


汗ばむ陽気となってくると肌にトラブルを抱えてる自分などは少し気をつけねばならない季節です。湿度が高くなるのは良いのですが、今度は汗が刺激となって湿疹が出る事があるので厄介です。


まだ自分は男だからあまり人目を考える事もありませんが、それでも掻きキズの絶えない脚の見える半ズボンなどはこの歳まで履いた事がありません。だから、肌の露出も多くなってくる夏に向けて女性の方などは、さぞ大変ではないだろうかと思っているのです。


子供の頃の竹虎四代目


アトピーの語源は「奇妙な」というギリシャ語だそうです、全くその通りで一体何が原因で痒みが出たり、出なかったりするのか?食べ物が悪かったのか?あの洋服の繊維?あんな事をしたから?さんざん考えてきましたが分かりません。


小さい頃から皮膚科に通いつめ、「治療費を一体いくら払ったか分からない」と母が嘆いていました。いやいや、そればかりか菩提寺の住職さんに燃えさかる炎の上で真っ裸で祈祷してもらった事さえあるのです(笑)。


明徳義塾


中学から高校に上がる頃だったと思いますがハゼにまけました。甲子園で活躍しているので全国でもご存じの方も多いかと思いますが、自分の母校である明徳中高等学校は当時全寮制であり山に囲まれた谷間にありましたのでハゼの木があっても不思議ではありません。ウルシ科のハゼノキの下を歩くだけで弱い人はかぶれますので、てっきり自分もそうとばかり思っていました。


ところが顔半分が真っ赤に腫れ上がったまま何日たっても良くなりません。当時は野球と寮生活に追われて少々の事には構ってられなくもありました。しかし、さすがに重症となり皮膚科に行くと明徳に入学して数年少しおさまっていたアトピーの再発という事が分かりました。


ステロイド


そして、その病院でステロイドに出会ったのです。薬の効果には心底驚きました、診察してくれた先生にも感謝したい気持ちになりました。塗布してもらって数時間かけてバスで各病院を巡回して生徒を乗せながら学校に戻るのですが、帰って寮で鏡を見たら顔の腫れがすっかり治っていたのです。


竹酢液


魔法の薬「ステロイド」とは実はそれから40数年のお付き合い、一度も手放したことがありません。いえ、ステロイドが怖いと言うことを聞いてから止めようと思った事がありました。ところがです。経験のある方もおられますでしょうか?無理に薬を止めてしまうと痒みで仕事どころか生活ができません。


お医者さんの話をきかず無理に薬を止めて竹酢液など自分達が慣れ親しんでいた昔ながらの方法で対処しようとしました。日増しに症状が悪化してきました、今思えば素人考えでありましたがその時はキッパリとクスリの塗布を止めていました。


売り出し


ところが最後にはお尻にあった患部がヒビ割れ、皮膚から膿が染み出しパンツどころかズボンまでベットリ濡れるほど酷くなりました。それが乾くとカチカチになって椅子に座れません、車にも乗ることもできません。痒みに耐えかねて手頃な太さの竹でピシピシと音を立てるくらい何度も何度も叩いていました。痛みは辛い、我慢できないほどの事もある、しかし痒みはさらに我慢できないことをその時はじめて知りました。


このような経験から皮膚科の飲み薬も含めたステロイドと、竹酢液など昔から皮膚のケアに使われてきた民間療法的な自然素材とを組み合わせて自分なりのバランスを取ることが必要だと痛感しています。


大都会へ売り出し


悪い事にこの頃の竹虎は経営危機を迎えていました。生活様式の変化、安価な輸入品の増加で売り上げは下がるばかりです。いつ破綻しても不思議ではない借金の重圧の中でも何とか日本唯一の虎竹を知ってもらいたい、こんな100年続く素晴らしい竹文化はしっかり伝えれば愛してくれる人は必ずいる。そんな気持ちだけで全国を飛び回り、2週間、3週間連続の出張が続いていました。


丸一日立ちっぱなし、歩き回って汗まみれの身体をシャワーで流したい...しかし、その時ビジネスホテルに常備されているボディソープがヒリヒリと肌に刺すように痛くて使えないのです。


竹炭石鹸


スキンケアの基本は肌を清潔にする事からです。身体を洗えないようでは話になりません、ちょうど子供も生まれた頃でした。「アトピーの自分と家族ために石鹸を作ろう」、虎竹の里竹炭石鹸はこうして誕生するのです。


最後の龍馬ブーツ

龍馬ブーツ


田舎者なので、あまりオフィシャルな場所にでる機会はありません。ところが、今回とあるプリンセスにお会いせねばならないかも?という降ってわいたようなお話しがあったのです。これは困った...!先方様は海外の方でもありますし失礼のない格好をせねばならないのは当然です。


そこで、新品の作務衣(タキシードとかではないのかっ!?)、新品の前掛け、新品のタオルを用意しようと手配してホッと一息ついた所で大事なものを忘れていることに気がついたのです。そうです龍馬ブーツです。


坂本龍馬


龍馬ブーツは名前からも分かりますように土佐の生んだ幕末の英雄であり今でも国内に多くのファンのいる偉人が使用していたものです。この龍馬が亀山社中という会社を設立した長崎で手に入れて履いていたと言うアメリカンバッファローの革で作られたブーツを復刻している靴屋さんに早速連絡しました。


ところが、何と連絡してみると今後龍馬ブーツの製造は中止だとの事でした。大急ぎで現在の在庫を調べていただくと一足だけ自分の足に合うものが残っていてギリギリセーフ!


REIWA-125号


今月に入ってから激しさを増していたREIWA-125号の練習走行で初代龍馬ブーツは、もう外に履いて行けないほどボロボロになっていました。黒革雪駄や竹皮草履の他はいつもこのブーツです、これからもずっと履き続けるためには一足ではどうにもなりません。どうやら虫の知らせがあったようです。


竹皮スリッパ


しかし、思えば結構人気があってように思います龍馬ブーツも十数年経ち製造がままならないようになる時代の流れと言うか変化を感じずにはいられません。そんな中、竹虎にはいくつかのロングセラーがあり昔から変わることなく作り続けさせてもらっています。龍馬ブーツのように足元のもので言えば竹皮草履や竹皮スリッパなど、毎年季節になれば同じように竹皮を集め、同じように仕事ができている事は当り前ではありません。改めて感謝したいと思っています。


竹を世に送り出すのは自分達自身だ。

竹職人


都心にあるギャラリーから展示の問い合わせを頂戴した。たまたま知り合いの作家の個展で訪れたことがある場所だったのと「古き良き日本を愛する」というコンセプトに共感した。


ところが、その取引条件を見て落胆した。委託販売で掛け率は60%とある、これは陳列されている中から売れた分だけを支払うシステムで店舗側にはリスクゼロの販売方法だ。1万円の品が売れた場合に初めて6000円が支払われる、しかも8月からの企画というのに入金は会期終了した一ヵ月後の12月末だと言う。


日本唯一の虎竹


それぞれの商売のやり方だから自分がとやかく言うべきことではない、これが相場の条件なのかも知れない。しかしこれでは「職人を応援する」と書かれた文字が虚しく見える。せめて聞こえのよい上辺だけのお題目はやめるべきだ。この催しを運営するのは誰もが知る大企業であり、おそらく此処での売り上げは取りる足りない金額だろう。


竹笊のある台所


ならば、もう少し作り手を顧みることはできないか?真剣に田舎と世界を繋ごうとしているのか?会場の現場で働いている社員に罪はない。沢山の仕事の中のひとつとして携わっているだけなら本気や情熱には限界がある。


だから肝に命じている。


竹を世に送り出すのは自分達自身だ。
自分達を知りもしない何処かの誰かではない。


続・飯櫃入れ(飯つぐら)を月桃で作る。

月桃飯櫃入れ、飯つぐら


どうですかっ!この大迫力!いよいよ月桃飯櫃入れが完成しました。職人はかなり苦戦したようで次はもう作りたくないと言ってます(笑)だから、もしかしたらこれが最初で最後かも知れません。


月桃飯櫃入れ、飯つぐら


しかし、敷物や円座作りを見ていてその職人の確かな技なら必ずや満足できる飯つぐらが出来ると確信していましたが期待以上の出来映えです。


月桃飯櫃入れ、飯つぐら、藁いずみ


さて、月桃飯櫃入れの上蓋を外して並べてみます。この厚さ、手触り、あたたかみ見た目よりも触れた方が凄さが伝わってくる...ややっ!?飯櫃入れの中に円座が...?


月桃飯櫃入れ、飯つぐら


そうなのです、この月桃飯櫃入れにはサイズちょうどに編み込まれた円座付です。ズシリとした重量感があったのは、二重底になっているこのせいもありました。さしずめ飯櫃の円座といったところ、これは保温力はバッチリです。


月桃飯櫃入れ、飯つぐら


惚れ惚れしてしまいそうな月桃で編まれた飯櫃、今までなかったのが不思議に思えてきます。いやいや、それだけ素材集めから製造まで職人の手間がかかりすぎるのです。こんな高価な飯櫃入れを仕事で使えるお鮨屋さんはそうないのかも知れません、ずっと竹虎本店に鎮座していてもかまいません。月桃の飯櫃入れへの思いに応えられる手技が今もあるという事が嬉しいのです。


飯櫃入れ(飯つぐら)を月桃で作る。

わらいずみ(一升用)、飯櫃入れ、飯つぐら


天然の藁を使って作る藁いずみは、飯櫃入れとも飯つぐら等とも呼ばれたりしますがご存じの方は多くないかも知れません。現代のように電気のない時代、ご飯を美味しく保温してくれる道具として重宝されていた道具です。今でもお鮨屋さんのカウンターに座ると職人さんの手元にチラリと見えていますので機会があれば気をつけて頂きたいと思います。


月桃円座


実はこの飯びつ入れを防虫・消臭効果があり、鎮静効果があるというほのかな優しい香りのある月桃で出来ないかと考えていました。


月桃収穫


高知では月桃に包んだお餅がありますが熱帯から亜熱帯の植物なので九州や特に沖縄などに分布する植物です。石垣での収穫作業は青空の下で太陽をいっぱいに浴びた青々とした大きな葉が印象的です。


月桃敷物


この月桃の葉を乾燥させて編み込んだ敷物に大の字になると、心地よい感触と優しさで昼寝には最高なのです。元々寝付きがよくて「3秒で寝られる」と豪語していますが、これは1秒で眠りにおちそうになります(笑)。


月桃枕


リラックス効果の香りでぐっすりお休みいただける枕が製品化されています。


月桃円座


改めて円座に座って確認してみます。藁いずみに使う藁は無農薬栽培する農家さんと契約して材料を確保しています、大自然の中で育つ月桃はもちろん薬剤とは無縁なので素材としても申し分ありません。


大きな竹杓文字、これぞ「Cool Japan」

竹杓文字


最近は糖質ダイエットなどもあってご飯を控え目にされている方も多いようですが日本人に馴染みの杓文字はどこのご家庭にもあるかと思います。なので、この竹を削りだして作った竹杓文字の大きさが普通でないことは良くお分かり頂けるのではないでしょうか?


若竹、孟宗竹


杓文字は木製のものが一般的かも知れません。木の場合には大きな角材を切分けてから一本づつ削りだしていきますので比較的に材料調達も容易ではないかと思います。ところが中が空洞になっている竹の場合には厚みのある大きな杓文字を製作するとなると竹材選びから大変になるのです。


湯田川温泉の孟宗竹


赤道直下を中心に成育している竹は元々熱帯系の植物で温かい場所を好みます。日本の竹の北限は温暖化によって今では函館あたりとも聞きます、けれどやはり寒い地方の竹は小振りです。山形県庄内地方に孟宗汁という郷土料理があって一度お伺いさせてもらった湯田川温泉などでは誰も彼もが「孟宗竹愛」があふれています。


その愛情に感じ入り、孟宗竹の美味しさにも驚いて竹林まで連れて行ってもらいましたが西日本の竹に比べるとかなり小さいと感じました。


竹杓文字の竹節


ところが、そんな太い孟宗竹がスクスクと育つ四国や九州にあっても厚みのある材料を使うとなると元に近い個所になってしまいます。竹は元に近くなるほど節間が近くなっていますので竹杓文字を作るとこのように竹節が入るのです。


この竹節を好まない方もいるようですが果たしてどうでしょうか?人に節目が大切なうに、竹もこの節があるから強いのです。これからやってくるであろう台風の強風にも折れません。青竹踏みなど強度を保つために、わざわざ必ず二節を入れて作っているほどです。


お箸に天節があるように見た目の格好良さと竹ならではのデザインとしても節は格別です。クールです、本当に美しい、これぞ「Cool Japan」です。


50年になる竹虎本店

竹虎本店


竹虎本店は本社工場に隣接しており、昭和45年(1970年)に開店していますから知らぬ間に50年もの歴史ができてしまいました。元々は地域の方はじめ自分達の生産する竹がとのような製品になって全国に流通しているのかを知ってもらう展示場としてスタートしています。


竹虎本店、竹皮草履


生活雑貨から工芸作品まで揃っているのは竹という素材の持つ無限大の可能性を証明するものであり、ずっと当たり前だと思ってきました。


虎竹船


店内には古くから営業しているだけあって今ではもう見られなくなった物も少なくありません。


竹虎本店、竹炭石鹸、竹炭シャンプー、リンス、竹炭パウダー


竹炭の力を活かした製品は自分達家族だけで使おうと開発した竹炭石鹸をはじめとして少しづつ幅が広がってきました。


竹虎本店、弁当箱、ランチボックス、ピクニックバスケット


汽車を乗り継いで上海から来られたご家族が「こんな田舎までやって来た中国人は私達がはじめてだろう?」と言ってました。確かに公共交通機関を使うと本数も少ないですし不便かも知れません。しかし、それでも海外からのお客様は数十年も前から珍しくありません。


竹虎本店、花籠


竹の世界にも流行があります、一世を風靡した竹ハンドバックや竹ベルト、ブローチ等ご存じ方には懐かしいファッションアイテムがありました。現在ではこれらは見られなくなりまけれど以前はどこのご家庭にもあった花篭はまだまだ健在です。


竹虎本店、竹箸、カトラリー、竹笊、竹籠


花篭もそうですが竹籠、竹ざるなど世代が変わると共に変化を求められるのは当然のことです。


竹虎本店、棗


竹を使った棗は漆で仕上げられて美しさをいつまでも保っています。


竹虎本店、虎竹ベンチ、竹椅子


大型観光バスが連なっていた頃よりも今のほうが静かでずっと竹を楽しめるので好きです。高速道路が四万十町まで伸びましたから、ついでに立ち寄るお店ではありません。わざわざ時間を作って足を運び竹に触れたい方だけお越しください。


お客様から届いたREIWA-125号のイラストデータ

竹ビアグラス、刻印


竹製品にレーザー刻印をしてオリジナルギフトにされる方は多いのですが、先週お客様から素晴らしいイラストデータが届きました。これは味があります(笑)竹虎ロゴマーク、創業年の「1894」なども気に入りました。


虎竹車REIWA-125号


REIWA-125号のイラストは先日の30年ブログ「竹虎創業125年記念製作!REIWA-125号ついに初走行!」の画像を見ながら描かれているのだと思います。そして、こうして刻印のご用命までいただけるとは嬉しい限りです。


竹カトラリー名入れ、刻印


レーザー刻印ではこのようにイラストだったり写真なども表現できるので面白いものです。そういえばもうすぐ父の日がやってきます、すっかり忘れられている方もいるのでは?お客様からのお問い合わせを見ても母の日と比べるとかなり影の事を感じています。


世のお父さんファイト!自分こそ頑張らねば(笑)。


竹根の団扇立て50年

竹根団扇立て


久しぶりに懐かしい竹根の団扇立てに出会う事ができた。竹は根から葉まで捨てるところなく利用されてきたが特に竹根は見た目の面白さだけでなく、しなりと粘りと強さもあり太さも様々だったので小物からステッキなど大きな物まで色々な製品に加工されてきた。喜劇王として知られるチャップリンのトレードマークとして持っていた竹根ステッキも日本製だった。


竹根団扇立て


それにしても50年前の創業当時に製作されたものだという団扇立ては色々な形があって見ているだけで楽しくなる。現在でも竹は沢山あるものの竹根を掘って提供してくれる人がいなくなった、そして在庫がある限り製造を続けていた職人が一人、また一人とやめていく。


竹根盛器


そんな中、この竹根の盛器は当時の職人の技術の高さと心意気を感じて嬉しくなる。曲げの角の部分には焼け焦げが見える、これはダメだろうか?いやいや、これがまた大量生産されていた証であり、小さい頃から慣れ親しんだ職人仕事の名残りのような気がして愛おしいのである。


ハラパ在住、アーティストの矢作隆一さん来社

虎竹の里、Ryuichi Yahagi、竹虎四代目


メキシコはハラパに20数年来暮らしながら創作活動をされているアーティストの矢作隆一さんが虎竹の里にお越しくださいました。


世界竹会議メキシコ、Ryuichi Yahagi、竹虎四代目


地球の裏側の方と本来なら接点もないはずなのですが昨年の世界竹会議(World Bamboo Congress)でたまたま知り合う事ができました。


Museo de Antropología de Xalapa、竹虎四代目


メキシコシティから飛行機とバスで数時間もかかるハラパという小さな街に日本の方がいる事にまず驚きます。しかし、矢作さんは地元大学で教鞭もとられているのと、ハラパの考古学博物館(Museo de Antropología de Xalapa)を拝見して納得しました。


世界竹会議メキシコ、Ryuichi Yahagi、竹虎四代目


メキシコと言えば砂漠とサボテン、そしてポンチョのイメージなのですが実は素晴らしい石の古代文明が栄えた地域なのです。


世界竹会議メキシコ、竹虎四代目


絶対に観ておかねば損をすると聞いて世界竹会議の合間をぬって考古学博物館に出かけました。ただ観て周るだけなら理解できない事が多かったと思いますが矢作さんが地元の方を同行させてくれて色々と聞きながらでしたので充実した時間となりました。


東京での展示会、Ryuichi Yahagi


矢作さんがハラパでアーティストとして活躍されているのは、この古代の石文明の地でご自身も石を使った創作をされているからなのです。メキシコだけでなく故郷の日本でも展示会を開かれていて一度は東京広尾のギャラリーにお伺いさせてもらいました。ある自然石と全く同じ形に、他の大きな石を削り出したという不思議な感覚の作品が並んでいました。


世界竹会議メキシコ、Ryuichi Yahagi、竹虎四代目


それにしてもハラパも遠いですが虎竹の里も同じです。本当に良くお越しいただきました。


Ryuichi Yahagi作石の作品


矢作さんが花びらをモチーフにされたという作品をプレゼントしてくださいました。何とも趣のある石の形、どこか親しみがあるなと思っていたら高知の真夏の祭典ヨサコイ祭りで被る編笠そっくりです(笑)。


サステナブル(Sustainable)竹籠

根曲竹籠


壊れた竹籠が持ち込まれてきました。根曲竹という丈夫さが自慢の竹で編まれた籠ですけれど、やはり十数年手近で愛用していれば何処か傷んでくるものです。

今回は2つの籠の持ち手部分が壊れていましたが手直しするとどうでしょうか?一体何処を修理したのかと思うほど全く分からないように元どおりの籠としてお使いいただけます。


根曲竹手付き籠


サステナブル(Sustainable)と言う言葉をよく耳にするようになりました。本来の意味は「維持できる」ですが、近年は世界規模で起こっている環境問題を解消に向かうための持続可能な生産などを指して使われています。竹は継続利用可能な唯一の天然資源という事から自分達は1985年から21世紀は竹の時代と言い続けてきました。


竹は、わずか3ヶ月で親竹と同じ大きさに成長する神秘の植物として注目されています。昨年参加させていただいた世界竹会議などにも50カ国もの国と地域から沢山の方が集い熱い議論が交わされているほどです。しかし、日本ではずっと昔から暮らしの中で無駄なく大切に使われてきたのです。


一閑張買い物籠


一閑張という技法も竹籠を長く大事に使いたいという発想から生まれました。編み込みが破れて穴の空いた竹籠に和紙を張りつけ、柿渋や漆で塗って補強したのがその始まりです。サステナブル(Sustainable)と言えば目新しく感じてしまいますが、日本人の生活は竹と共にありずっと持続可能だったことを忘れてはいけません。


丸籐と皮籐の手提げ籠バッグ

籐手提げ籠バッグ作り


表皮を剥いだ丸籐手提げ籠バッグが作られています。籐を水に浸けて柔らかくして編んでいきますので色が少し濃く見えますが乾燥させたらナチュラルな白色の籠が出来あがるのです。


白あけび手提げ籠バッグ


アケビ蔓も職人によっては表皮を剥いで使う事があります。お湯で煮て皮を剥いだ後に米のとぎ汁に3日間も浸け込んだ白あけびは籐素材にも良く似ています。


籐バッグ


籐バッグには丸籐で編むものと、薄く剥いだ籐皮で編むものがあります。


籐盛り籠


この大きなサイズの籐盛り皿をご覧いただきますと分かりやすいかも知れません。縁をグルグル巻いているのが籐皮、内側の編み込は細い丸籐を使っています。




日本唯一の虎竹電気自動車「竹トラッカー」で梅原真先生に会いに行く。

梅原真先生、竹虎四代目(山岸義浩)


竹虎の職人は、もっと自信を持っていい。日本のモノ作りをデザインで元気にして来られた梅原真先生が少年のように目を輝かせている。


梅原真先生


梅原真の名前を知らない人はいまい。特に地方から全国に向けての発信を考えるのであれば尚のことだ、「漁師が釣って漁師が焼いた」の明神丸水産をはじめ挙げていたらキリがない程の凄いお仕事をされてきた。これは!?と思う動きの後ろにはいつも梅原先生の名前があった。30年以上続く黒潮町のTシャツアート展などは、その最たるもので一体誰があの何もない砂浜を美術館と呼ぶだろうか?


梅原真先生、竹虎四代目(山岸義浩)


神がかり的な発想をされる、そんな方がたいそう喜んでくれている。気に入らないものにこれだけの反応ができる器用な方ではないはずである。


梅原真先生、竹虎四代目(山岸義浩)


だらか竹虎の職人は胸を張らねばならない。梅原先生にお褒めいただいたと言うことは世界に認められたと言っても全然過言ではないのだ。


梅原真先生、竹トラッカー


実は竹トラッカーが完成した時に見せに来る約束をしていた。それから随分と時間が経ってしまい早く来ればよかったと反省している。


梅原真デザイン事務所、竹虎四代目(山岸義浩)


しかし、この場所は今まで何人の迷える子羊を導いてきたろうか?そう言えば何やらフツフツとやる気が沸いてきた、いわゆるパワースボットかも知れない。




山葡萄、クルミ手提げ籠バッグ三姉妹

山葡萄、クルミ手提げ籠バッグ


山葡萄や沢胡桃などの樹皮で編まれる手提げ籠バッグは風合いや耐久性が世代を超えてご愛用できることから根強い人気があります。近年では海外からのものも多く、価格だけでは単純に比較できないようになって来ていますので迷われる方もおられるかも知れませんが、昔ながらの素朴な伝統の技を守り続ける職人たちの手によるものはやはり違います。


山葡萄、クルミ手提げ籠バッグ


そもそも、この丸みを帯びた形が独特です。そして更に山葡萄とクルミを同じ形で編まれているなど洒落てます。胡桃は表皮だけのものと、裏皮とを組み合わせて市松模様にしたタイプがあります。長年製作されてきた職人ならではの工夫で痛みやすい持ち手部分には堅牢な山葡萄が使われます。


山葡萄、クルミ手提げ籠バッグ


三姉妹、やはり女性たちばかりですと個性がどんどん際立ってくるように思います、この山葡萄、クルミ三姉妹も同じなのです。


右巻、左巻の竹籠

淡竹籠


右巻、左巻と言っても誰も気にする人はいないだろうと思います。たとえ竹籠の口巻きの方向がどうであれ、使う方にとっても丈夫で快適でさえあれば問題ないのです。


真竹小籠


日本で編まれる大方の竹籠は右巻です。これは右効きの人が多いためなのですが、このような小さな籠であっても。


魚籠


川蟹やイダなどを入れた大きな魚籠であっても。


磨きの竹籠


竹表皮を薄く剥いだオブジェに使っている磨きの籠であっても。


籠


農作業に使われる籠も。


温泉籠


野菜を入れる手付きの青物も、多くは右巻です。


竹虎本店


竹虎本店を一回りしても圧倒的に右巻ばかり。そんな中やはり日本は広い、地方によっては左巻でばかり編まれる竹細工もあるのです。


篠竹ざる


昔ならいざ知らず、今となっては右も左もあまり関係ないので若い職人さんの中には左巻で作る方もおられます。しかし、知りたいのは伝統的に左巻を継承し続けている竹の事。


この竹籠もそうですし、一番最初の画像の籠は左巻×淡竹(はちく)というレアさ、しびれます。


竹虎創業125年記念製作!REIWA-125号ついに初走行!

竹虎創業125年記念製作REIWA-125号、坂道レース用虎竹四輪車


竹虎創業125周年を記念して製作した坂道レース用虎竹四輪車「REIWA-125号」の初走行にはテレビ局もお越しいただいて独特の緊張感の中、テストラン開始しました。


竹虎創業125周年記念製作REIWA-125、虎竹四輪車


トラックから注意して車体を降ろします。ボックスカートレースはダウンヒルを走るエンジン無の車ですので前に製作した竹トラッカー等に比べると車体が軽く扱いやすいく多くの方が参加しやすい所が良いところの一つかも知れません。


竹虎創業125周年記念製作REIWA-125、虎竹四輪車


虎竹の直線美と曲線美をご覧いただきたいと思っていました。もちろん完璧なものではありませんが、日本唯一の虎竹の魅力を十分に発揮する美しい車体です。


竹虎創業125周年記念製作REIWA-125、虎竹ウィング


虎竹ウィングも自分達らしくて満足しています。


竹虎創業125周年記念製作REIWA-125、虎竹やたらサドル


サドルはやはりヤタラ編みで仕上げました、最近メキメキと技術力の上がった若い職人がてがけましたので座り心地は最高です。


竹虎創業125周年記念製作REIWA-125後ろ姿、虎竹四輪車


ボックスカートレースではスタート地点で後ろから手押しで加速をつけます。


竹虎創業125周年記念製作REIWA-125、竹虎四代目(山岸義浩)


初めてのテスト走行ではブレーキの効きが分からずスピードを出しませんでした。


竹虎創業125周年記念製作REIWA-125、竹虎四代目(山岸義浩)


スペイン・ビトリアでのレースの勝敗は最初の大きく曲がる右カーブです。途中には滑らかな石畳みの道路からアスファルトに変わる微妙な段差もありました。


竹虎創業125周年記念製作REIWA-125、竹虎四代目(山岸義浩)


2回、3回と回数を重ねるごとに少しづつペースを上げていきます。


竹虎創業125周年記念製作REIWA-125、竹虎四代目(山岸義浩)


実際のレースでは3回走行して一番良いタイムを競うようです。ここで疑問があります、どうやってスタート地点まで戻るのでしょうか?急な坂道を車体を突いてあがるのは大変なのです(笑)。


しかし、心配は無用でした。走り終えた車体は、全員が走るのを待ってからロープでそれぞれを繋ぎあって車で引っ張っていくのです。実はここも製造には大事なところで前後に相当な重量をかけても大丈夫な造作が必要です。それにしても車で引っ張ってもらうのは楽チン。これなら何度でも走れそう。


ただ問題は後ろタイヤでした。車体が重たくなったせいもあるかと思いますが摩耗が激しいのです。マウンテンバイク用なので柔らかいのも要因でしょう、擦り減ってタイヤの山はありません。これは本番にむけて交換して臨むもつりです。



REIWA-125号の初走行!RKC高知放送ニュース番組「こうちeye」で放映

REIWA-125号、竹虎四代目


また、この坂道にやって来ました。前に来た時には岡山科学技術専門学校さんから譲っていただいた車体の試乗りでした。今回は虎竹のボディを完成させた本番さながらのREIWA-125号の初走行テストとあってドキドキです。


REIWA-125号、竹虎四代目、高知放送取材


竹の車体にして重量が増しているのでスピードは変わるのか?ハンドリングは?一番大事なブレーキは?全てはやってみなければ分かりませんが、その様子を地元テレビ局のRKC高知放送さんに取材頂きましたので更に緊張感が高まりました(笑)。


REIWA-125号、竹虎四代目、高知放送取材


その日の夕方6時15分からのニュース番組「こうちeye」で早速放映いただいてます。スペインのレースに参戦するのは竹虎だけなので「日本代表」には間違いありません。


REIWA-125号、竹虎四代目、高知放送取材


ボックスカートレースでは最初のスタートは後ろから押してもらって加速します。職人に押してもらって走りだすのも今回が初めてでした。


REIWA-125号、竹虎四代目、高知放送取材


テレビ局さんが小型カメラを取り付けられていました。そう言えば昨年のレースではIvanさんの車にも取り付けられていたようです。ドライバー目線で撮れるので、これは購入を考えねばなりません。


REIWA-125号、竹虎四代目、高知放送取材


それにしても押してもらうと当然ながらスピードが出ます(汗)テレビでは体感100キロと言うてましたが慣れない自分には大袈裟ではありません。


REIWA-125号、竹虎四代目、高知放送取材


前輪のタイヤも竹編みで仕上げる計画もあったのですが、まず竹虎ロゴマーク入りのプラスチック板を取り付けてみました。しかし、問題はブレーキのついた後輪にありました。


竹虎創業125年記念製作!REIWA-125号完成

竹虎創業125年記念製作REIWA-125号、社員


竹虎創業125年記念製作!REIWA-125号が遂に完成しました。竹トラッカーほどではないものの今回の製作にも2ヶ月近い時間を要していますので、やはり新しいモノ作りは大変です。


竹虎創業125年記念製作REIWA-125号


には真っ直ぐに伸びる直線美と、しなやかに描く曲線美という相反するようにも思える二面性があります。車体製作を始める前から竹の原点とも言えるこのふたつの顔を表現したいと考えていました。


竹虎創業125年記念製作REIWA-125号製作


創業当時「竹亀」だった屋号が、虎竹を専門に扱うようになって全国で「竹虎」という名前で自然と呼ばれるようになった歴史があります。


竹虎創業125年記念製作REIWA-125号ハンドル


虎竹を厳選し、職人の思いで完成させた車体です。ハンドルも潔く虎竹一本。


竹虎創業125年記念製作REIWA-125号


まだ未完成の部分も少し残っていたり全てに完璧な出来栄えと言うことではありませんが大事なことは、この一歩です。たとえ未熟でも一つの形を作っていくことが次に繋がります。