幻のパーティーバッグと煤竹波網代バッグ

渡辺竹清作、幻のパーティーバッグ


網代編みの巨匠という名にふさわしい渡辺竹清氏。その技では右にでる者はいないと言われた最高峰の技術で編み上げた究極の竹パーティーバッグは、100年たった煤竹で創作されています。芸術的にまで高められた熟練の技が竹に次の100年を生きる新たな命を吹き込んだのです。


かって同氏の作品は世界的に有名な宝石店T社のニューヨークの本店に並べられていていました。日本でもお馴染みで、世界中の人々に愛される数々の作品を生みだされてきた、イタリアはフィレンチェ生まれ、ファッションモデルとして活躍した後、有名女性デザイナーとなられた方からの要請でした。


渡辺竹清先生、竹虎四代目


彼女のデザインしたものの中には日本からインスピレーションを受けた物が多々あり、湯飲み茶碗に取っ手をつけたコーヒーカップや昔の和箪笥の金具をモチーフにした作品など日本人が忘れかけている機能美がありました。渡辺先生の竹の技に着目されたのも古き良き伝統を受け継がれてきたからだと思います。


煤竹格子


パーティーバッグ製作依頼が来た当時、世界中の誰もが知る横文字のブランド名を聞いた先生は「なに、レストランか何か?」と言われたそうです。


しかし、この日本を代表する巨匠と世界的デザイナー、それに百数十年の眠りからよみがえった煤竹という最高の素材が加わってパーティバッグは誕生しました。某ハリウッドスターの奥様がどうしてもと言って追加注文を一度受けた以外は毎年限定生産ですぐ完売。だから幻のパーティーバッグと言われていました。


竹虎四代目


このバックは渡辺先生と非常に懇意だった竹虎二代目からゆずられたパーティーバッグのプロトタイプです。バッグ創作のために渡辺先生とデザイナーの方が通訳を介し、夜を徹して話し合って試行錯誤を繰り返していた時に試作された一点だそうですから苦心の重みが感じられ、店頭に並んでいた完成品よりも尚一層大事に思っています。


年に一度、元旦に着物を着て初詣に行く時にだけこのバッグを持ちます。世界最高のデザインと技、100年の竹の重みに竹虎の歩み、敬愛する祖父への思いなどが交錯します。どこにもない至宝を手にする緊張感でピンと背筋の伸びる思いです。


煤竹波網代バッグ


渡辺先生が惜しまれながらお仕事を引退され既に数年の月日が流れました。ニューヨークの有名宝石店T社さえも魅了した匠の技は、そう簡単に完成されるものではなく先日まで先生のバッグを売切れのままウェブサイトに掲載続けておりました。


煤竹波網代バッグ


渡辺先生とは祖父の代からのお付き合いがあり自分も工房には何度となくお伺いさせて頂いてます。現在も近くに行く機会がある都度お邪魔させていただきますが、そこで名前のでる若手の実力派作家さんがおられます。


煤竹波網代バッグ


一度作品を拝見させていただくと流石に渡辺先生の工房で修業された時期もある方だけあって素晴らしい竹編みの技と心をお持ちのようです。そこで、今回この方にお願いして煤竹波網代バッグ製作いただきました。依頼させていただいてから約2年、ようやく手元に届いた作品を眺めています。


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