オエダラ箕に続いて今日は藤箕(フジミ)のお話しです。伝統的な農具である箕は昔から全国各地で作られてきました。とりわけ富山県氷見市論田、熊無地区の藤箕は600年の歴史があって、明治末期で5万枚、大正期から昭和初期には何と年間10万枚を超える製造がされていたと言いますから驚きます。
雪の降り積もる時期に屋内で出来る仕事として農閑期の貴重な収入源でもあったと思いますが、それでも今では想像もできないような物凄い量です。おそらく材料も大量に必要だったでしょう、使われる材料は藤、矢竹、ヤマザクラ、ニセアカシアなどです。
矢竹は成長が早いので問題ないとしても、山々から採取してくる他の素材は大変です。藤箕はニセアカシアをUの字型に曲げた骨に藤蔓と矢竹で編み込んで作られますがニセアカシアの代わりにヤマウルシが使われたりするのは不足した部材を補うためだったと考えています。
昨日お話しさせてもらったオエダラ箕も昭和40年頃の最盛期には材料のイタヤカエデを伐り尽くしてしまい、代替品としてやはりヤマウルシが使われていた事もあったそうです。
それにしても近年生産量が激減しているとは言え、ほんの2~3年前まで2000枚もの製造がされていたのは驚異的です。現在でも400枚もの製造がされると言う産地は国内では皆無、つまり日本では希少な箕の一大産地なのです。
箕作りは10月から3月の間にされています、雪の降り出す前に採取した藤の蔓を水にさらして叩いて柔らかな繊維質にして、縦にズラリと並べた矢竹にゴザ目編みしていきます。
藤と矢竹で編まれた藤箕は、堅牢で当たりが優しくプラスチックの容器ではキズ付きやすい芋類などの運搬にも多用されています。竹を網代編みした土佐箕なども柔軟性に富んでいるものの藤はさらに柔らかく収穫物を丁寧に扱える事が素材や編み方から伝わってきます。
藤皮を煮沸して乾燥させた「トイソ」と呼ばれる紐状のもので持ち手はしっかり巻かれ強さと同時に持ちやすい作りです。そして、傷むことの多い口先端部分はヤマザクラの樹皮で補強されていて農作業用の実用的箕として軽くて丈夫な逸品に仕上がります。
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