竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレース!マウンテンバイクのタイヤ

スペイン・ボックスカートレース、竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


後ひとつだけ気かがりな点が残されていました。それは練習で擦り減った後輪タイヤです。後で設計を担当された先生はカーブを滑って曲がるように考えて作ったと言われていました。


スペイン・ソープボックスレースコース


運転に長けたドライバーの方ならいざ知らず自分では滑りながらのコーナリングは自信がありません。また実際に見たビトリアのレースコースの石畳みの道路が思った以上に滑りやすいようにも感じていました。


高橋自転車さん、竹虎四代目


そこで、今回色々と面倒な相談を聞いていただく高橋自転車さんの所に再度REIWA-125号を運んで行きました。


スペイン・ボックスカートレース、竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)、タイヤ


そして走行テストにより擦り減ったタイヤを交換して、よりグリップ力の強いマウンテンバイク用のタイヤに交換いただきました。


スペイン・ソープボックスカー、竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


REIWA-125号には後輪ブレーキしか付いていませんので実際に運転する自分からすれば後輪がキモです。


スペイン・ソープボックスカー、竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


後輪が滑ってスピードを落とせないような事があれば、レース当日はカーブに並べられているクッション材の干し草に激突しかありません。


スペイン・ソープボックスカー、竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


タイヤを交換した後、走っては坂道を戻り、走っては戻りを何度か繰り返します。それにしても暑い、下から車体を突いて登るのは結構大変です。


スペイン・ソープボックスカー、竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


この練習コースは小石を混ぜたコンクリートの道路ですが滑りにくいように刻みが入れられています。本番の石畳みのコースはもっともっと滑りやすいはずです。
虎竹の重量が加わると車体のコントロールはどうなのでしょうか?


スペイン・ソープボックスカー


当日の陽の光と歓声を感じながら、とにかくゴールできる事だけを考えています。




竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレース!世界が見えたっ!?

スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)、三和モータース


岡山科学技術専門学校さんの製作された車体はスピード重視のスタイルでドライバーには高度な技が要求されるようです。レッドブルのレースに出場された時には日頃からバイクを操る熟練の方が乗ったとの事です、しかし自分が運転するとなるともっと簡単に操作できるように改造しなければなりません。


まず、前のめりになるすぎているシートを後ろへ下げると同時に高さも出来るだけ低くしてもらいたいと思っていました。どこに相談に行けばよいか分からず、とにかく須崎市内の自動車屋さんを端から全て周るつもりで須崎市郊外にある三和モータースさんから訪ねていきます。そうすると幸運な事に一軒目からいきなり協力いただける事になり快く引き受けていただけました。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号ハンドル


近くの自転車屋さんにお願いして幅の狭いハンドルも誰でも簡単に操作できる一文字のハンドルにし交換してもらいます。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号ハンドル


運転する際にはハンドルは非常に大きなウェイトを占めています。ハンドルを握り易くしただけでグッと操作性はあがり乗りやすくなりました。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


もう一つ最初のテスト走行で気になっていたところが右ブレーキでした。こちらの車体には後輪ブレーキしか付いていませんが左右それぞれ片方づつブレーキを掛けることができるようになっています。右カーブでは右ブレーキだけを効かせてタイヤを擦りながら曲がるようにしてあると言われていました。


ブレーキ、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


ところが、どうしても右ブレーキが効きが弱いのです。自転車屋さんに見てもらうと、自転車にはブレーキの効く方向があるとの事で手直ししてもらいます。


REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


いよいよこれで思いつく箇所の改造はすべて出来ました。重心は後ろに、下にさがりました、スピードは抑えられるかも知れませんが安定感が出ますのでこれで一応は自分なりのベストな走りができるはずです。


REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)、走行


改造して始めての走行テストは、最初の頃の不安定な走りとは全く違います。カーブもスピードを抑えながら思うように曲がることができました。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


「世界が見えたっ!?」、一時は危険すぎてどうしようか?とまで思っていましたが何とかレースを完走できそうです、一筋の光が差してきたと思えます。125年の竹虎の歴史で初の自動車レースは、参加する事に意義があると言うオリンピック精神で臨みます。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、飛行機雲


練習場から見上げると、虎竹の里の澄みきった空を飛行機雲をのばして西へ東へ旅客機が飛んでいきます。数ヶ月後には自分はああしてスペインまで行くのです、あまり時間はありません。




竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレース!さらば初代龍馬ブーツ

 
スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


初めてのテスト走行は大変でした、このままではとてもスペインなど夢のまた夢です。「ホーホケキョ」と虎竹の里のウグイスが慰めてくれますが、見ると作務衣のズボンに穴が開いてます。


龍馬ブーツ


更に長年苦楽を共にしてきた龍馬ブーツを坂道で擦って再生不能なくらいに傷めてしまいました。これはイタイ!


坂本龍馬


龍馬ブーツをご存じでしょうか?近代日本の礎を築いた英雄、坂本龍馬は雪駄や草履しかなかった時代にブーツを履いていました。亀山社中という貿易会社をしていましたので、その当時に手に入れたようです。


亀山社中のあった長崎でこの靴を研究し復刻された靴屋さんがある事を知って以来ずっと愛用してきましたが、とうとう最後となりました。


龍馬ブーツ


龍馬ブーツは一昨年に新しく一足購入していますが、今回の事で新しく新調しようと長崎の靴屋さんに連絡すると何と今月限りで龍馬ブーツはできなくなるとの事!ギリギリ最後の一足を購入させていただく事ができました、もしかしたら初代龍馬ブーツが教えてくれたのかも知れません。




さて、REIWA-125号ですが初めてのテスト走行と比べると全く違う走りになりました!?これは一体どうしたことか...次回をお楽しみに。


竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレース!初めてのテスト走行

 
スペイン・ボックスカートレース、竹虎四代目(山岸義浩)


急勾配が連続する山道の上までやって来ました。虎竹の林が見守るように生えています。しかし、改めて登ってみると曲がりくねった細い道が思った以上に長く続いています。


スペイン・ボックスカートレース練習コース


「ビトリアのコースはこんなに急な坂ではなかったような...?」


右カーブもこんなにキツイ曲りではなかったと思いますが、少しくらい大変なコースを体験していた方が良いだろう。そんな安易な気持ちで走りだしました。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


初めてのテスト走行は散々です、こうなって...。


竹虎四代目


こうなって...。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


こうなりました。(泣)


竹虎四代目


しかし、何度も何度も挑戦します。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


これは本当に無理な事を始めてしまったのかも...!?


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


後悔先に立たずと言う言葉を思い出しながらキツイ登り坂をREIWA-125号をついて一歩一歩上がります。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


そして、またこうなる。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


南国高知の暑さと疲労と焦りと...。


竹虎四代目後ろ姿


それでも悲壮感こもった背中は坂を下ります。


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


あ~あ~!!!!!


スペイン・ボックスカートレース、REIWA-125号、竹虎四代目(山岸義浩)


竹虎四代目の悲痛な叫びが虎竹の里の谷間に響きます。




竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレースその4

竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレース


またまた作った事もない竹製車体製作という難題に、竹虎職人たちの顔は明るくありません。新しいモノを産みだすという作業は容易ではないのです、しかし、それでも日本唯一の虎竹電気自動車「竹トラッカー」の時に比べれば随分とましなので前回の経験が活きています。


スペイン・ボックスカートレース車体、竹虎四代目


岡山科学技術専門学校さんにご提供いただいた車体は、さすがに走りの専門の方々が作られただけあります。車体の制限があったせいもありますが、まずハンドルが短く幅も狭くてかなり扱いにくさを感じました。


竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレース車体、竹虎四代目


また、重心を前にして坂道レースで少しでもスピードを上げることを考えて設計されていますのでサドルもかなり前に付けられています。ドライバーが前のめりになって走り下るような形です、これは運転にも高度の技術が必要ではないかと思いました。


竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレース車体、竹虎四代目


まあ、車体を眺めながらアレコレ考えても何も進みません。とにかく坂道を走ってみれば具体的に分かります、しかし、テスト走行できるような坂道があるのか...?


虎竹の里


できればスペイン・ビトリアの街で見たレースコースのような右カーブ、左カーブがある坂道が理想的です。誰の迷惑にもならず、安全に試し乗りができる所など無いなあ...と思ったところで一カ所だけ「あそこッ!」と閃いた所がありました。


虎竹の里練習コース


山深いため車が走っているのを見たことがなく、急な勾配とカーブの連続する坂道。今回のレースのテスト走行には、うってつけの道があるのです!


竹虎四代目、ボックスカートレース


いよいよ初めてのテスト走行が始まります。晴れ渡った青い空、若葉も芽吹き、辺りで小鳥たちの遊ぶ声に包まれてスタートです。


竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレースその3

岡山科学技術専門学校


さて、スペイン・ボックスカートレース(Carrera de Goitiberas de las Fiestas de la Blanca de Vitoria-Gasteiz)に出場を決めたものの一番の大きな課題は全く解決していませんでした。それは肝心のレースに出場する車です。日本でも坂道レースは開催されているようですので専門の方に相談もさせて頂きました。エンジンが付いていなくとも本格的な素材で製作した場合には200万円を超える費用がかかる事が分かり愕然とします。


岡山科学技術専門学校


車体だけに200万円も使ってしまうと輸送費用や交通費、滞在費など参加するだけで費用はウナギ昇りです。これでは、あのサン・ビセンテ・マルティル教会(Iglesia de San Vicente)横から走りだした先に待つゴールは遠のくばかりでした。


市販されている車体を改造するか?どこかの鉄工所さんにお願いするか?あらゆる可能性を検討してるうちに、たまたま鳴った一本の電話に救われました。


岡山科学技術専門学校


あの日、休日出勤していて良かったと今でも思い返します、岡山科学技術専門学校の先生からの電話でした。実は、こちらの学校では「Red Bull Box Cart Race」という東京赤坂で開催されたレースに出場した車体製作の経験があったのです。まったくノウハウのない自分からすれば出場した車体を見学させてもらうだけでも願ったり叶ったりです。


さすが専門の先生方が参加して製作されただけあってボディなど素晴らしく綺麗に作られている車体でした。外装は簡単に取り外せるとの事で外して見せていただける事になります。


岡山科学技術専門学校


車体フレーム部分を見せてもらうと14インチの自転車タイヤを使っていて自分のイメージにかなり近い感じです。前輪にも後輪にもスプリングが付いて、実際乗ってみますと非常にクッション性の高い車体でした。


スペイン・ボックスカートレース車体、竹虎四代目


岡山科学技術専門学校さんにお伺いした時は、ちょうど春休みで実習に使われてる車庫には生徒さんもおられません。しかし新学期になれば又授業もはじまり実習もあるのだろうと思っていましたので、もし出来る事なら目の前にある車体を参考にしながら竹虎用に一台製造いただけないかとお願いしてみました。


すると...またまた竹の神の御加護です!この車体はもう不要で処分してしまうのでこのままお譲りいただけると言うのです。


スペイン・ボックスカートレース車体、竹虎四代目


何というラッキー!有難い事かと感謝感激でした。ずっと懸案だった課題が一瞬にして解決するとはっ!?こんな嬉しい事もあるのだなあと思いながら竹虎に帰社し、翌日早朝からトラックに乗り換えて岡山に向かい頂いて帰ってきたのです。ところが喜んでいるのも束の間、やはり一筋縄ではいきません。次々と問題が見えてきました。


竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレースその2

バスク州ビトリア


最寄りのビルバオ空港に着いたのは夜、Ivanさんの車で一時間少しかけてビトリアに到着しました。標高が高いせいか途中の山は雪道でした、気温が何度か分からないものの結構寒く感じます。しかし、まったく知らない街に深夜やって来ましたので翌朝が楽しみです。


ビトリア銅像


遅く寝たのですが、いつものように早起きしてみると街全体に少し霧がかかっていました。スペインといえば青い空しか連想できなかったのですけれど山間部の気候はまた違うのでしょうか。ホテルから一歩外に出てみるとヒンヤリした空気、そして誰ひとりいないようにシーンと静まりかえっています。ふと見るとアッそこに人が「朝の挨拶しよう...」


そう思ったら銅像でした。


ビトリア、竹虎四代目(山岸義浩)


さて、見知らぬ土地を知るには走ってみるのが一番です。いつものトレーニングウェアに虎竹ヌンチャクを持って軽快に走りだします。(もちろん、すぐに歩きに変更)


ビトリアの城壁


少し散策するだけで古い教会や石畳の美しい街並があり歴史ある美しいビトリアを感じることができます。旧市街地には城壁もあって当時は周辺ぐるりと囲っていたのではないかと思います。


Ivanさん、竹虎四代目、スペイン・ボックスカートレース


Ivanさんに迎えにきてもらって、竹の車を見せてもらいました。


Ivanの竹の車


さすが元F1カーのデザイナーです、フレームは竹製ではありますが低い車高、タイヤ、ハンドルなど本格的で驚きました。これは速そうです。


スペイン・ボックスカートレース最初の坂道


この車で、この坂道を走り下るのか...!?凄いスピードと迫力が容易に想像できるのです。




晴れてきた青空の下、一応レースコースを歩いてみてイメージだけしてみました。


サン・ビセンテ・マルティル教会(Iglesia de San Vicente)横のスタート地点


サン・ビセンテ・マルティル教会(Iglesia de San Vicente)横に少し広くなった場所があります。ここが坂の頂上、ここからレースはスタートします。


ビトリアの酒場


ビトリアの方々の印象はよく食べて、よく飲んで、よく笑うでした。朝から多くのお客様でにぎわう店内には美味しそうな食材がならび、それだけで豊かな気持ちになります。


ビトリアステーキ


バスク地方は食材の宝庫と何かで聞いた事もありますけれど何を食べても本当に美味しい、素晴らしく旨いのです。


ビトリアのチョコレートケーキ


お年寄りも、若い人たちも周りの皆さんも気持ちが良いくらいガンガン食べています。デザートがまた最高でした。


スペイン・ボックスカートレース


こんな古い伝統の息づく街ながら開放的で明るい雰囲気は、自分の生まれ育った高知の県民性とも重なって、とても居心地の良さを感じました。真夏の祭典よさこい踊りが熱狂的に盛り上がるように、きっと8月6日のボックスカートレースも熱く燃えるようなお祭りに違いありません。


竹虎創業125周年記念、スペイン・ボックスカートレース

スペイン・ボックスカートレース


スペイン・ボックスカートレース(Carrera de Goitiberas de las Fiestas de la Blanca de Vitoria-Gasteiz)を知ったのは昨年の夏の事です。開催されているのはスペインはバスク州ビトリアという歴史ある美しい街でした。サン・ビセンテ・マルティル教会(Iglesia de San Vicente)横の路上をスタートしてアルキージョス通りの下り坂を走るコースだと聞きましたが正直いいまして最初はどのようなレースかも分かりませんし、馴染もなくあまり興味を引かれる事もありませんでした。


スペイン・ボックスカートレース(Carrera de Goitiberas de las Fiestas de la Blanca de Vitoria-Gasteiz)


そもそもボックスカートレースは、ソープボックスカー(Soapbox)などとも呼ばれる動力を持たず坂道を下るレースの事です。アメリカ、ヨーロッパでは結構人気のレースで大きな大会が開かれているようですが自分は関心がないためか全然知りませんでした。ただ後から調べてみますと日本でも「Red Bull Box Cart Race」というイベントが一昨年東京赤坂で開催されて65台もの個性あふれる車が参加されていました、今年はよみうりランド特設会場にてレースが予定されているようです。


スペイン・ビトリアボックスカートレース(Carrera de Goitiberas de las Fiestas de la Blanca de Vitoria-Gasteiz)


日本唯一の虎竹電気自動車「竹トラッカー」を製作してチャレンジラン横浜、チャレンジランメキシコと虎竹のPRをしてきましたので今度は虎竹の車でレース...なのか?しかし、竹トラッカーで参加できるわけではありません、レースと名が付くからにはある程度のスピードの出るエンジン無の車をゼロから製作しなければなりません。


Ivan Platas


誘ってくれたのは元F1のレーシングカーデザインをされていたという経歴を持つIvan Platasさんです。前回の大会には何と竹の車で出場した竹LOVEな方、地元ビトリアに暮らされていますが昨年夏の世界竹会議(World Bamboo Congress)メキシコに参加されていて知り合いました。


スペイン・ボックスカートレース(Carrera de Goitiberas de las Fiestas de la Blanca de Vitoria-Gasteiz)


Ivanさんの製作された車体など拝見するとF1の設計をされていた方らしく、車体が低くいかにもスピードの出そうな凄い車です。レースの様子を聞かせてもらい、当日の様子を知るほどに何か心がワクワクしてきました、坂道を下るだけのレースに大人が集まって30チームも出場して走るなど想像すると楽しさしかありません。


スペイン・ボックスカートレース(Carrera de Goitiberas de las Fiestas de la Blanca de Vitoria-Gasteiz)


「これは現地に行くしかないな」


そう思った時点で、ほぼ参加は決まっていましたけれど一応確認のためしっかり視察せねばなりません。ちょうど竹虎は創業125周年の節目の年となります、その大きなひとつの記念イベントして取り組みたいと考えていたのです。


樹皮を使った細工たち

樹皮籠


日本中に成育しているキハダ(黄膚、黄柏)は、内皮を胃腸薬に使用されるなどされてきた薬用植物のひとつです。そして胡桃や、山葡萄、マタタビ科のツル植物であるサルナシなど、まるで、室内に樹木がそのままやって来たように感じる山の素材をそのまま使った樹皮籠があります。


スペインで見た樹皮買い物籠


竹と木は同じような所に生えていますので似た者同士と思われる方はいらっしゃいませんでしょうか?竹は地下茎でそれぞれの竹が繋がっていますが、木はそれぞれ単体で根を張っているとか、成長のスピードや材質、性質など全く違う植物です。


ただ樹皮の自然感には竹表皮の美しさにも通じるところがあり魅かれるところがずっとありました。実はそこにハッと気づいたのは2月に訪れたスペイン、ビトリアの街中でした、店頭に置かれた樹皮編みの手提げ籠に目が釘付けになったのです。


樹皮笠立て


なんと素朴で味わい深い籠だろうか?人と木が共存している...自分で竹林に分け入り、笊を編む分だけの竹を伐り出し庭先で黙々と竹編みをはじめる、あの職人さんの顔が浮かびました。しかし、こんな遠い国に来ずとも自分達が竹を生活の中に取り入れているように、木が普通の毎日にある暮らしは日本にあります。


桜皮鞘


胡桃の樹皮を使った傘立て、イタヤカエデで編まれた籠に入っているナタやハサミの鞘にはヤマザクラ。


キハダ、胡桃手提げ買い物籠バッグ


丈夫な山ぶどうを樹皮の繋ぎ目を編み込む紐に使い、口巻に使い、一番傷みやすい持ち手にした樹皮手提げバッグまであります。


胡桃樹皮


胡桃の材質は柔らかく木材としての価値はありませんが、樹皮は手提げバッグなどに多用されていて近頃では表裏の風合いの違いを活かした面白いものも良く見かけます。


樹皮籠


すべて天然の樹木からなので同じ種類の木であっても見た目にはかなり違いがあるのも魅力です。


東北の山々


日本は北から南まで長くのびた国なのだと改めて感じます。南国高知の車内ではエアコンが必要だったのに、こうして東北にやってくると山々は雪景色が広がります。このような寒い気候に鍛えられた木々は、四国の樹木と違う良い表情をしているのです。


竹職人のアラレ

竹職人のアラレ


これは、ただのアラレではありません。香ばしくて本当に美味しいのですが、竹職人が籠を編む合間に作ったもち米で作られたモノですから値打ちがあります、しかも無農薬です。


竹職人のアラレ


竹の仕事をする職人の中には農家をされる方も多いのです。たとえば竹伐りの職人も伐採時期が一年の内、数ヶ月と決められているのでそれ以外の時期には畑やお米作りをされる方もいます。ちょうど農閑期に竹の仕事をするイメージです。


竹職人のアラレ


竹虎の社員にも週末には畑仕事やお米づくりをされている方が多くいました。今の若者には少ないですが古参の職人は、やはり週末には畑仕事をしています。農業と竹細工、今では理想的にも思える暮らしは昔からの営みであったのです。


実りの秋


山の上から日本唯一の虎竹達が見守る中、虎竹の里でも田植えの準備がはじまりした。一年が過ぎて来年もアラレを食べられたら、それだけで幸せです。


幻のパーティーバッグと煤竹波網代バッグ

渡辺竹清作、幻のパーティーバッグ


網代編みの巨匠という名にふさわしい渡辺竹清氏。その技では右にでる者はいないと言われた最高峰の技術で編み上げた究極の竹パーティーバッグは、100年たった煤竹で創作されています。芸術的にまで高められた熟練の技が竹に次の100年を生きる新たな命を吹き込んだのです。


かって同氏の作品は世界的に有名な宝石店T社のニューヨークの本店に並べられていていました。日本でもお馴染みで、世界中の人々に愛される数々の作品を生みだされてきた、イタリアはフィレンチェ生まれ、ファッションモデルとして活躍した後、有名女性デザイナーとなられた方からの要請でした。


渡辺竹清先生、竹虎四代目


彼女のデザインしたものの中には日本からインスピレーションを受けた物が多々あり、湯飲み茶碗に取っ手をつけたコーヒーカップや昔の和箪笥の金具をモチーフにした作品など日本人が忘れかけている機能美がありました。渡辺先生の竹の技に着目されたのも古き良き伝統を受け継がれてきたからだと思います。


煤竹格子


パーティーバッグ製作依頼が来た当時、世界中の誰もが知る横文字のブランド名を聞いた先生は「なに、レストランか何か?」と言われたそうです。


しかし、この日本を代表する巨匠と世界的デザイナー、それに百数十年の眠りからよみがえった煤竹という最高の素材が加わってパーティバッグは誕生しました。某ハリウッドスターの奥様がどうしてもと言って追加注文を一度受けた以外は毎年限定生産ですぐ完売。だから幻のパーティーバッグと言われていました。


竹虎四代目


このバックは渡辺先生と非常に懇意だった竹虎二代目からゆずられたパーティーバッグのプロトタイプです。バッグ創作のために渡辺先生とデザイナーの方が通訳を介し、夜を徹して話し合って試行錯誤を繰り返していた時に試作された一点だそうですから苦心の重みが感じられ、店頭に並んでいた完成品よりも尚一層大事に思っています。


年に一度、元旦に着物を着て初詣に行く時にだけこのバッグを持ちます。世界最高のデザインと技、100年の竹の重みに竹虎の歩み、敬愛する祖父への思いなどが交錯します。どこにもない至宝を手にする緊張感でピンと背筋の伸びる思いです。


煤竹波網代バッグ


渡辺先生が惜しまれながらお仕事を引退され既に数年の月日が流れました。ニューヨークの有名宝石店T社さえも魅了した匠の技は、そう簡単に完成されるものではなく先日まで先生のバッグを売切れのままウェブサイトに掲載続けておりました。


煤竹波網代バッグ


渡辺先生とは祖父の代からのお付き合いがあり自分も工房には何度となくお伺いさせて頂いてます。現在も近くに行く機会がある都度お邪魔させていただきますが、そこで名前のでる若手の実力派作家さんがおられます。


煤竹波網代バッグ


一度作品を拝見させていただくと流石に渡辺先生の工房で修業された時期もある方だけあって素晴らしい竹編みの技と心をお持ちのようです。そこで、今回この方にお願いして煤竹波網代バッグ製作いただきました。依頼させていただいてから約2年、ようやく手元に届いた作品を眺めています。


続々・足摺岬のメダケと椿と竹炭

竹炭石鹸


竹炭歯磨きのお話しをさせていただきました、自分は中学高校と6年間全寮制の明徳という学校でした。最近では甲子園で有名になっていますけれど当時まだ創部して間の無い弱小チームの野球部員でもありました。合宿で皆が珍しがって使うのですが塩味の「なすの黒焼歯みがき」は大不評だった事を今でも思いだします。


しかし、あれから40数年も経ってから自分が同じメーカーさんにお世話になり竹炭塩歯磨きを作ることになるなど夢にも思っていませんでしたので本当に不思議です。人生に無駄な事など何ひとつ無いのだと思います。


そんな風に思うのは竹炭歯磨きばかりではありません、幼い頃からずっと付き合っているアトピー体質もそうです。今でもステロイドは欠かせないものの、自分や家族の肌の弱さから生まれたのが薬用竹炭まで高知県の協力をいただきながら自社で精製し作っている虎竹の里竹炭石鹸でした。


竹炭枕


皮膚にトラブルのある方ならご存知のように「痒み」ほど辛いものはありません、場合によっては痛みより何倍もしんどいのではないかと思います。辛いと言えば睡眠には、たまにお客様からのお声を聞くことがありました。自分は幸い眠るという事に関しては、いつでも何処でも3秒で寝られて、起きたい時間に起きるという特技がありますので睡眠で大変な思いをすることはあまりありません。


竹炭枕は土窯作りの竹炭を何と3キロも使った、こだわりの枕です。いろいろな効果が言われる中で寝付がよくなったという竹炭枕へのお客様の声が多々あまりすのでもし、睡眠でお悩みの方は一度お試しください。人生の3分の1は御布団の中、そして毎日の事なので朝のスッキリがあると無いとでは雲電の差だと思います。


床下調湿竹炭


何か竹炭のセールスみたいになっています(笑)。しかし、これも竹のひとつの顔であり、これだけ沢山の素材が活用されることなく竹林で出番を待っていることを思えばドンドン使っていただくことこそ竹の喜びでもあるのです。そういう意味で大量に竹炭を使うのが住宅床下調湿用竹炭です。


昔から神社仏閣の床下には炭が入れられてきました。要は古の先人の知恵に戻っているだけなのです。


竹炭洗剤


真黒な竹炭でシャツを真っ白くするのですから竹炭洗剤「竹炭の洗い水」も聞き慣れない方には意外な商品のように感じるかも知れません。しかし、これにしても元々はおばあちゃんが風呂釜の焚口から灰を持ってきて大きな金属製のタライで洗濯していた昔を現代に蘇らせただけの商品です。


竹炭石鹸がお役に立てているように通常の洗濯洗剤を使えないスキンケアに気づかう方、敏感肌の皆様に喜んでいただいているので細々とではありますが大事にしていかねばならない竹炭の活用方法だと思っています。


竹酢液配合竹炭線香


竹炭はニオイの吸着に力を発揮します、そして竹酢液も強力な消臭力を持っています。竹酢液配合の竹炭線香はダブルの効果でお部屋の嫌な臭いを消し去る心強い味方、比較的早くから商品化されて既に20年以上になるロングセラーとなっています。


足摺岬のメダケから竹炭の話になって色々とご説明させてもらいますと改めて竹炭自体の多様性にも気づかせてもらいました。


続・足摺岬のメダケと椿と竹炭

竹炭窯


竹は「衣食住」すべてに関わって日本人の暮らしを助け、豊かにしてきました。皆様が竹と聞いて連想されるものが竹籠や竹笊だとしたら、それは本当に極一部でしかありません。竹は実に様々なモノに形を変え生活の中に溶け込んできましたから変身の達人とも言えます。


最高級竹炭


昨日はポーラス竹炭の事を少しお話しさせてもらいました。ポーラス竹炭が設備もいらず手軽に焼ける竹炭だとしたら、その対極にあるのが最高級竹炭です。もともと炭といえば木炭であり、高知では土佐備長炭というブランド炭もあるようにその昔は山は木炭で潤っていたのです。


竹炭の研究が進み、効能が広く知られるようになったのは30年数年前の事でした。一時は金属製の窯も導入されたりしましたが、やはり昔ながらの炭窯を竹炭専用に窯に改良した土窯が一番です。


竹酢液入浴剤


土窯を使い高温で焼き上げるには熟練の技と経験が必要です。飲料水用として使われる竹炭はもちろん、材料である孟宗竹や燃焼温度帯にも気を配り採取された竹酢液など安心してお使いいただける製品作りのために手間のかかる土窯で焼き続けています。


竹炭パウダー


食品添加用の竹炭パウダーは無味無臭という利点から様々な食材に使われるようになりました。竹炭を食すると聞くと、ご存じ無い方は驚かれるのが普通です(笑)。真黒な炭だから当然かも知れませんが、古くから民間療法として炭を食する文化は日本だけでなく、ヨーロッパにもありました。


そうそう、解毒のために炭を常備していた忍者の話をよくさせてもらいますけれども、海外には人間だけでなくデトックスのために炭を食べる猿までいますので生き物にとって炭は必要なものだったのです。


竹炭ヨーグルト


竹虎社員の中にも長年の愛用者がいますけれど、自分は毎日食べるヨーグルトに入れています。


竹炭歯磨き


この竹炭微粉末を入れた歯磨きも作りました。海の綺麗な高知では近年天日塩作りが盛んになっていますので土佐天日塩を配合しています。これは自分の中学時代に全寮制の明徳で使っていた「なすの黒焼歯みがき」にまで話はさかのぼります。


不動化学という聞き慣れないメーカーの作っている歯磨きを使っていた事があって歯磨き粉と言えば「甘い」という常識しかなかったのに塩が入っていて衝撃的だったのです。けれど、塩は歯茎を引き締めるなどの効果があり、昔の人は塩だけで歯磨きしていたとも言います。自分が又使いたくて、こだわって作った竹炭歯磨きへのお客様の声をご覧ください、意外と人気なのです。


足摺岬のメダケと椿と竹炭

虎竹の里、竹虎四代目


お陰様で自分達は、虎竹にこだわり竹一筋に仕事をさせていただいてます。これが、どれだけ奇跡的で素晴らしい事なのかは竹が全く売れない冬の時代を経験し、真っ暗いトンネルの中にポツリと一人取り残されたような思いで過ごした日々があってこそ実感できる事だと感謝しています。


メダケと椿


なので、虎竹の里の竹達だけでなく他の竹の事もいつも気にかかります。先日は、たまたまテレビニュースに目が留まりました、足摺岬の椿がメダケに浸食されて数が減っているというのです。足摺岬と言えば高知県観光では必ず取り上げられる名所であり、季節になれば咲き乱れる椿と並んで紹介される事が多いだけに番組で観た時にはショックを受けました。


メダケは女竹と書きますが竹というより細い笹類の仲間で、自分が竹の仕事を始めた当時には壁竹用等としてトラックに満載された竹が流通していたものです。しかし時代の流れと共に需要は全くなくなり竹虎でも工場から姿を消して20年以上にはなります。


孟宗竹


このような事は何も足摺岬のメダケに限らず全国的に起こっています。主に日本最大級の大きさである孟宗竹が他の樹木を侵食しつつ、手入れもできない竹林が荒れ放題になっている事は皆様ご存じの通りです。


放置竹林のバイオエネルギーや建材利用が始まっていて期待が持たれる所ですが課題も多いように感じています。驚異的な成長力と生命力で広がる竹は、日本の森林総面積からすると極わずかにも関わらず良くも悪くも良く目立つのです。増えすぎて悪者扱いされるのも非常に困惑しますけれど、近年の災害との関係は見過ごせません。


低温竹炭


そこで竹材有効活用として最善の方法のひとつが竹炭です。たとえば野焼に近い状態で燃焼させ水を掛けて作るポーラス竹炭のお話しをした事がありました。手軽で比較的安価ですが農地利用や消臭、調湿には最高の竹炭です、本格的な高温窯で焼いた竹炭には又別の機能性がありますので竹炭も面白いですし、やはり竹は素晴らしい自然素材だとつくづく感心してしまいます。




国産山葡萄長財布、手付き小籠そして手提げ籠バッグ

山ぶどう長財布


経年変色した山葡萄も竹に劣ることなく魅力的です、もう長く愛用するものは30年になりますがシンプルなだけに飽きがこないばかりか更に愛着がましてきます。この山葡萄長財布はこれからですが、お使いただく方が触れる機会の多い品だけに手油で色合いがどんどん良くなっていきます。


山葡萄セカンドバッグ


母がセカンドバックを購入した頃は山葡萄を知る人も少なく、今思えば驚くような安価な値段で手にしました。職人さんもまだまだ沢山おられて、籠が大きな段ボールに山積みになっていたのを思い出します。


山ぶどう籠


前にもお話ししたように山葡萄に人気が出てからは海外の素材を使用したもの、海外生産のもの等が目につくようになりました。以前のように粗悪な物は皆無となり見分ける事ができないほど素晴らしい出来栄えの籠バッグがありますので海外製品が悪いという事でもありません。


竹虎は当然ながら地域の竹と職人、国産にこだわり抜く一方で、東南アジアにも定期的に出かけて行き勉強させてもらっています。中国は竹の本場ですから何度行ったか分からなくなりましたが、どこに行ってもギラギラした目のヤル気にあふれた職人さんが印象的です。しっかりした工場では高品質の製品を産みだしているので、きっと中国製の山葡萄もそのような職人さんが作られているのでしょうか。


国産山葡萄手提げ籠バッグ


ただ、一時は関心を失っていた日本の昔ながらの素材に再び心が動く職人との触れ合いがあり、山々でのモノとの出会いがありました。


国産山葡萄手提げ籠バッグ


山葡萄の蔓は水で決まると言います。「この美しい山水で育つ葡萄蔓だからこの赤味が出る」だとか言われると、ああ竹山の職人と同じだと嬉しくなります。それぞれの山深い地域で、それぞれの作り手がプライドを持って編み続けているのです。


コーヒーサイフォン撹拌用竹ヘラ、雑誌「珈琲時間」に掲載

コーヒーサイフォン撹拌用竹ヘラ掲載、珈琲時間


「珈琲時間」なる雑誌があるくらいなので珈琲好きの裾野がどれくらい広いのかと思ってしまいます。嬉しい事に、こちらの本にコーヒーサイフォン撹拌用竹ヘラを掲載いただきました。実は以前にも虎竹コーヒードリッパーを取り上げていただいておりましたので少し馴染のある表紙です、前回も感じましたが写真に写る店舗様はさすがトップを飾るだけあって本当に美味しい珈琲をだしてくれそうな素晴らしい雰囲気です。


掲載いただいたコーヒーサイフォン撹拌用竹ヘラは、元々も竹虎にあったエステ用スパチュラをご使用されたお客様からの細かいご注文で製作させてもらったものです。自分も一日に数杯は欠かせないコーヒー党ではありますけれど、サイフォンを使って入れた事はありませんのでサイズや使い勝手は分かりません。そこで申される通り忠実に作らせてもらいました。


キッチンと道具


この雑誌は料理好きな方は魅入ってしまうのではないかと思います。「キッチンと道具」には調理に欠かせない便利で使い勝手の良さそうな台所用品が満載です。戦後の日本にプラスチックなど新素材が出回るまでは水回りなどは竹笊、竹籠はじめ竹製品であふれていましたので自然素材を上手に活用されているキッチンの写真には懐かしくなります。まあ、このような時代ですので全てが日本製という訳にはいかないのが少し残念ではあります。


さて、コチラ様には虎竹水切りステンレスザルをご紹介いただきました。金属製のザルでも特産の虎竹で縁を飾ると風合いが全く異なります。著名な方々の愛用する素晴らしい道具たちの中にこうして選ばれているのは嬉しいものです。


見た事もない極みのシダ編み籠

 
シダ編み洗濯籠(ワラビ籠)


高知では昔から生活道具として親しまれてきたシダ脱衣籠、今ではほとんど見かける事もなく実際ご家庭で使われている事も稀ではないかと思います。わらび細工などとも呼ばれていますがシダは日本中の山に生えているので、かっては各地で編まれていた籠です。


防水性に富んだ性質は台所籠としてプラスチックの登場までずっと重宝されていました。何度かお話しするように虎竹の里は茎の長い良質のシダが多く自生しており隣町にはシダ素材ばかりを扱うシダ屋さんが二軒もあったと言います。大量に集められたシダは何処で、どのような籠に編まれていたのか?今では知る人もいなくなりましたので残された籠を見て推察する他ありません。


シダ編み脱衣かご


そんなシダを使って今回新たに編み上がったのは非常に珍しく、もちろん個数限定ではありますが極みとも言える脱衣籠なのです。昔から普通に見かける籠とは全く違った風貌と思いながら持ってみると若干ズシリと来る質感に「あれ?」と思います...、よく見ると何と二重編みになっているのです。


シダは表皮がツルツルして衣類の繊維質にひっかからないのも大きな特徴です、二重編みにすることによりシダヒゴの先端を内側に隠すことができるので本当に使いやすい脱衣籠となっているのです。


シダ(わらび)編み洗濯かご


楕円形になった長い方のサイズで53センチもある大きさにも注目です。シダ編み籠の難しさのひとつに材料集めがあって、いくら大きな籠用の太いシダが欲しくとも実際に山に入ると、なかなか思い通りの材料が採取する事ができません。


シダは採取してからすぐに編まないと硬くなってしまい編めない素材です。なので、この大きさで更に二重編みとなると太さの揃ったシダ材を手に入れるだけでも大変なのです。大小と二種類のシダ編み脱衣かごに使用される素材の太さは微妙に違っています。職人が素材を見て編み込む籠の大きさを決めるのでシダ籠のできばえは、ある意味山次第と言えるのです。


ワラビ(わらび)籠


細い材料で可愛いサイズのシダ編み小籠を編んでもらいました。スマホや時計、お部屋の鍵、小銭入れなど小さな物入れにピッタリです。数えるくらいしか作ることができませんので、ごくごく一部の方にしかお届けできないのが残念ではありますが、昔の日本では当たり前に暮らしの中にあったシダ籠をお手元に置いていただければ嬉しく思っています。


虎竹のあるインテリア

虎竹格子


リピータのお客様は本当に嬉しいものですが、いつもご愛顧いただくお得意様から虎竹格子のご注文をいただきました。これだけのサイズですから取り付けると壮観です、色々なサイズの格子はガラス窓の日除けを兼ねた装飾となります。


都会に暮らす皆様も少し注意していただきますと竹の室内装飾をあちらこちらで見つける事ができます、中にはこうして竹虎が素材提供という形で関わらせてもらっているものも多々ありますので、たまには訪れる商業施設、飲食店などで目を凝らしていただきたいと願っています(笑)。


虎竹ペンダントライト


さて、迫力という事では新しく仲間入りしている虎竹ペンダントライトもなかなかです。直径60センチ、厚みは30センチあって天井に吊り下げると存在感があり、点灯すれば何か忘れていたものが蘇ってきたような気持ちになります。


日本唯一の虎竹


格子にしてもペンダントライトにしても使われているのは日本唯一の虎竹、虎竹の里ならではの地域資源として土佐藩政時代から続く山の恵みです。そして、この虎竹と竹文化が地域で育まれ現代にまで残されているのは何世代にも渡りご愛顧いただく皆様のお陰です。「ありがとう」の気持ちが満ち溢れている竹林から、言葉を発することのできない自分が代わりに感謝をお伝えいたします。


日本最高峰の竹ざる

 匠の横編竹ざる65㎝


竹ざるには沢山の種類がありますが最高峰を挙げるとするなら、この匠の横編竹ざるです。自分で竹林に入り、気に入った竹を選りだして伐採した淡竹と孟宗竹だけを使います。厳選された竹材に加えて丁寧に取られた竹ヒゴ、この道一筋の熟練職人の編み込み、65㎝という大きなサイズでこの出来映えは一目見て圧巻としか言いようがありません。


匠の横編竹ざる65㎝


見惚れるような竹ヒゴの美しさですが観賞用ではありません。野菜干しや梅干しの土用干しなどに毎日お使いいただくための竹ざるです。この大きさですのでご愛用いただける方は自ずと限定されますけれど、主婦の方の中でも料理が得意で食にこだわりのある方の中にはプロ用とも言えるこの竹笊を易々と使いこなされています。


匠の横編竹ざる65㎝


全体のバランスも素晴らしく、強さを印象づけるのが幅2㎝もある縁巻部分です。使い手の声に磨かれる竹細工には堅牢さに加えて美しさを兼ね備えた逸品が生まれますが、まさにそれがこれ。思いに熟練の技が応えた誇りに思えてくるような一枚です。


新元号「令和」

創業明治27年竹虎


2019年5月1日からの新元号が「令和」と発表されました。近現代では「明治」→「大正」→「昭和」→「平成」と日本の元号は移り変わってきました、思えばその明治27年から125年もの時を通し4つの時代を竹虎は竹と共に歩んできた事になります。


そして、いよいよ5つ目の時代「令和」へ自分達も心機一転、邁進していきたいと考えています。日本唯一の虎竹という変わらない竹のように真っ直ぐ伸びる一本通った背骨を持ちながら、竹のようにしなやかで柔軟に変わり続けていきます。


新元号「令和」


実は今回、元号が変わるという事で「もしかしたら?」と淡い期待をしていたのが「安和」でした。そうです、虎竹の里の地名なのです。何かと不穏な世界情勢の続く時代に、安らかに平和にという願いをこめて可能性はない訳ではないと何となく思っていたのです。


ところが!?4/2日の高知新聞に元号総覧が掲載されていて「安和」は平安時代に使われていました!元号は調べてみると231個もあるそうですが「安和(あんな、と読みます)」という時代が既にあったことに少し嬉しさと、今後はないという少しの寂しさも感じたのでした。


100年前、初代宇三郎が辿り付いた安和の浜は今日も静かです。




日置箕の不思議

日置箕


不思議なのは日置の箕です。日本一の竹林面積を保有する鹿児島にあって竹でなくビワの木、かずら、桜皮を多用しています。もちろん竹も使用されますが蓬莱竹という株立ちの南方系の竹が使われているのです。


高知で「サツマ」と呼ばれる網代編みの大きな竹笊は、きっと鹿児島から伝わった技術ではないかと考えています。だから網代編みの土佐箕と同じような箕は容易に作ることができたはずの土地柄で、このような桜皮と蓬莱竹(シンニョウチク)、さらにはビワの木、カズラといった山の素材が使われる事に違和感があったのでした。


日置の箕(桜皮の箕)


実はこのようなゴザ目編みの箕は日本の北から南まで各地で見られるものです。樹皮を使った皮箕など今では何処を探しても見つけられないこの高知県でさえ、かっての山間部ではヒノキの柾目を薄く削って作られたゴザ目編みの箕がありましたので、現在のように流通が発達していない当時はその地域にある素材を活かして作られていた事を物語っています。


日本で数ある箕の中でも東北の面岸(オモギシ)箕、ニギョウ箕とも呼ばれる箕が一番美しいとも聞いています。確かに素晴らしい出来栄えです、しかし自分が挙げるとするなら断然日置箕。


箕


最盛期には50人の作り手が家族総出で製作して九州から中国地方まで売り歩いたと職人の奥様にお話しを聴いたことがあります。そして、東北は秋田のオエダラ箕作りでイタヤカエデの材料が不足したように、通常はフジカツラで作っていた日置の箕も材料が無くなり地元の方がヨマと呼ぶ蔓で代替えしていました。


当時はそれだけ需要があったという事です。まさに昨日の30年ブログでのお話しの通り、目の前のお客様に手に取ってもらいたい一心で編み上げられた美しさなのです。


日置箕


ところで、この日置の箕を良くご覧いただきますと上半分と下半分の編み込みで色合いが違うのがお分かりいただけますでしょうか?青く見える下半分の部分は蓬莱竹の表皮部分を上側に向けて編み込んでいます。上半分、つまり箕の手元近くは反対に竹ヒゴを裏返しです、こうする事によって選別する穀物類の滑りが良いように使い手の事を良く考えて工夫されているのです。


これは全国的に見られるゴザ目編み箕の細工ですが、竹表皮を使う編み幅はマチマチです。藤箕は先端部分少し、手元側に少しだけ竹表皮を使っています。その地域で生産される農産物の違いであったり、農家さんの細かい注文に対応してその都度変化したものだと思われます。




極められる箕の技 

土佐箕


の事をどうお話ししようか随分と考えた。箕が特殊とか言われるが自分にすれば全く同じ竹細工のひとつだ。「箕作りさん」と呼ばれた箕専門に製作することを仕事とされた人々がいた事を聞く機会もある。しかし確かに美しい箕の製作には高度な技術が必要ではあるが、熟練の竹細工職人なら作れないという事はない。実際、土佐箕は竹笊や籠を編む職人が色々な製品を作る中で普通に編まれている。


箕には大きく別けて網代編みとゴザ目編みの技法がある、網代編みの箕が副業でゴザ目編みの箕は専業と言われるが本当か?実用性が高く、農家の必需品であったがゆえに専門職が生まれ、民間信仰や風習とも密接に関係したおかげで一部の職人たちが箕作りを独占したのだろうか?西日本の竹材を使う箕も、東日本の樹皮主体の箕も製品自体の違いはあるものの限定された地域でのみ生産されていた事は同じである。


竹職人


そこで、一番の大きな疑問は昔から農業になくてはならない道具でもあり、お祀りにも使われてきた神聖なはずの箕の製造を社会の最下層にいた人たちが担ってきたという事だ。どんな籠や笊でも器用に編み上げる腕を持っていても箕は作らない竹職人もいると言う。どうやら東北地方では箕作り職人の事情も違うようだが、何か目に見えない特殊性があり箕については多くを知る程に分からなくなる。


自分は学者でも研究者でもない、机の上で箕を語るのではなく毎日の仕事の中で箕に触れ、声を聞き、肌で感じてきた。「市場経済」と言えば大袈裟だが、一番人の気持ちが正直に表れる商いの現場で箕を見続けて思うことがある。


オエダラ(オイダラ)箕、竹虎四代目(山岸義浩)


先日の30年ブログでは行商の方に触れた。さすがに今では肩に背負って売り歩く方はいないが現在でも山村を廻って竹籠や箕を販売する行商は行われている。確かに多くはないが、きっと日本のどこかに自分の知らない行商の方もいるに違いない。


自身で編んだ籠を自分や家族が売り歩く、これが職人の技をどれだけ進化させるか分からない。箕が、まるで工芸品のような美しさにまで昇華した理由は簡単だ。何かで見た記憶によれば当時の価格で箕は米一俵(60キロ)と交換と読んだ事がある、つまり非常に高価な「道具」であった。


購入する立場の農家の人にしたら「高い」。しかし絶対に必要な道具であるだけに、どうしても買わねばならない。そこで自然と、箕の品質、それにそそがれる眼差しは厳しいものになる。箕職人はこんな繰り返しでお客からの要望や声に鍛えられ、磨かれて究極の箕を完成させたのだ。


東北の様々な箕が収蔵される秋田県立博物館

オエダラ(オイダラ)箕


オエダラ(オイダラ)箕が代々作られてきた太平黒沢地区には勝手神社と言う技術の神様が祀られた神社があります。箕は非常に高度な技を必要とする細工ですので、この地域にはうってつけの神様であり、この神社にまつわる話も非常に興味深く面白いものでした。


現代では箕の需要も激減し職人さんも箕作りだけでは仕事として成り立たない状態です。しかし、昨日の30年ブログでお話ししたように50年前には材料のイタヤカエデが山から無くなってしまうほど売れていた農家にとっては必需品だった道具です。三つの集落でのみ行われていた箕の生産は地域の人々にとっては大事な収入源だったのです。そこで、今では考えられませんが箕の製作技術が集落の外に出ることを防止するために、技術の神様である勝手神社の威光も使われていたようです。


秋田県立博物館、箕


オエダラ(オイダラ)箕作りの名人、田口召平さんは自ら箕作りをする傍ら東北一円の箕に関心を持たれていて、驚くほど程の量を収集されています。おそらく個人所有のとしてはダントツで日本一、まさに箕マニアです。


あまりの多さに保管を委ねたのが秋田県立博物館、ここが又凄いところで時間があれば一日いたいほど面白い収蔵品があり飽きません。箕の他にも見たいものが山のようにありましたが、箕だけでも沢山あって見切れないのです。


皮箕


西日本ではほとんど見られない樹皮で作られた箕は皮箕と言います。竹網代やゴザ目編みの箕しか知らない自分にとっても、この迫力、存在感、圧巻で惚れ惚れと眺めることは何度かありましたけれどもこれだけの大量の数が一堂に揃っているのは初めてです。


皮箕


皮箕に使われているのは矢竹でしょうか?同じ笹類で寒い地方で良く見られる根曲竹ではないでしょうか?実は、そうあって欲しいとも願っています。(笑)東北の箕には矢竹使わる事が多いようです、けれど自分の持っている最高に丈夫で大好きなステッキが秋田産の根曲竹なのです。


軽くて細くて扱いやすいので、力の弱ったお年寄りの方が持つには最高です。そして本当に驚くほど強いのです、耐久性を要求される箕には、うってつけの素材ではなかったかと考えています。


サキアリ箕


これも実物は初めて見ました、サキアリ箕は先端がとがっているので、その部分が上下運動しやすく穀物の選り分けがしやすいのが特徴です。


面岸箕(ニギョウ箕)


箕の中で最高に美しいと絶賛されるのが岩手県の面岸(オモギシ)集落で製作されてきた面岸箕、ニギョウ箕とも呼ばれるサルナシ(シラクチ)と白柳を材料にした箕です。出来あがったばかりはベンガラのような赤い色、経年変色でこんな渋味を出していました。


マナグ


箕の先端両側には「ツリ」と言われていた細工が施されています。本当に珍しい細工であり傷みやすい部分の補強のための工夫かと思っていましたが、地元の職人さんに聞くと「マナグ」と言う選別した穀物を通す穴だそうです。


広い日本の津々浦々の農家さんにあって、一軒あたり少なくとも5~6枚、多い家だと10数枚も持って毎日のように使われてきた道具だけあって知れば知る程深いのが箕です。


オエダラ(オイダラ)箕の行商

オエダラ箕行商


オエダラ箕の事をもっと知りたくて秋田は太平黒沢の箕作り名人として有名な田口召平さんを訪ねました。谷間に開けた集落が点在する静かな地域ですが、この黒沢地区の三つの集落で昭和30~43年頃には120軒のお家が箕作り、5軒が行商、4軒が仲買だったと、かなり詳しい内訳までご存じで本当に興味深いお話しを沢山伺う事ができます。


中でも感激したのは、オエダラ箕を行商されている方の白黒写真でした。当時の様子を知る資料として良くぞ残っていたと思います、写真を撮ってくださった方に感謝です。


竹虎四代目


行商は今では知る人も少なくなりつつあるかも知れませんけれど別に箕だけのお話しではありませんでした。印象に残っているのはNHK大河ドラマ「龍馬伝」に登場する岩崎弥太郎です、背中に鳥籠など竹細工をいっぱい担いで畦道を行く姿を覚えておられる方も多いのではないでしょうか。バイクや自動車のない時代、行商は持てるだけの荷物をいっぱい持って出かけていったのです。


自分の小さい頃には虎竹の里にも様々な方が御用籠のような丈夫な竹籠や、背負い籠を持って歩かれていた事を思い出します。当時の交通機関は何といっても汽車でした、朝到着する車両からは肩に大きな風呂敷を背負ったおばちゃん達が一斉に何人も降りて来ました。


一番強烈に覚えているのは隣の漁師町から海産物や干物を売りに来られる行商の方。母が玄関先に出迎えると荷物をほどいて竹籠の蓋を開けるのですが、その瞬間に魚の何ともいい香りが辺り一面に充満して思わず籠を覗き込みました。香りの記憶は鮮明です、母の足にしがみついて行商のおばちゃんの笑顔を見ていたあの日の事をハッキリ覚えているのです。


オエダラ箕行商


さて、田口さんによれば、この白黒の写真は由利本荘岩谷という所で撮られたものだと言います。そして白黒画像なので正確な確認は難しいけれど、当時売り歩いていた箕はイタヤカエデが使われたものでは無かったそうです。実は昭和40年当時、オエダラ箕が大量に販売されたお陰で材料のイタヤが枯渇し、代替え品としてヤマウルシで箕を製作していたのです。


オエダラ箕


商店の少ない田舎では行商の方々が持って来られる新しい品々を、そして聞いた事もないような楽しく面白いお話しを幼い自分などは心待ちにしていました。箕を肩に担がれた方の向かう農家さんでもそうだったのでしょうか?


オエダラ箕一枚であの時のワクワクするような気持ちが蘇ってきました、ほんの50年前の日本のお話しです。


藤箕の箕太刀(ミタチ)と日置の箕の箕刀(ミガタナ)

箕太刀(みたち)


またまた箕の話が続きます。藤箕作りでは柿の木で作られた箕太刀(みたち)と呼ばれる道具を編み込みを引き締めるのに使います。左側が新しい道具で右側が使い込またれもの、刃先の部分が削られて薄くなっています。


太刀と名前が付いているだけあって武士が腰に差していた刀のように長尺です、少し長すぎて扱いづらいのでは?と思いましたが、まったくそんな心配はいりませんでした(笑)


藤箕素材


長さがあるのでトントンッと短時間で一気に編み込みを引き締められます、大量に生産されてきた歴史のある藤箕だけあって道具でも何でも効率的になっているのでした。


箕刀(みがたな)


箕太刀を見た時にすぐに思い出したのが日置の箕作りに使われていた箕刀(みがたな)という道具です。大小のサイズの違いがあるものの使用方法はもちろん同じですし良く似ています。山の素材を数種類使って製作される事にも共通点のある二つの箕、北陸と鹿児島の遠く離れた両地域でこのような道具が使われてきた事に関連性と面白さを感じます。


藤箕職人


箕作りの職人さんは、ご存じなのか?どうなのか?
トントンッ...トントンッ...
ただ黙々と藤を編み込み箕太刀を使っています。


藤箕職人の道具


脇を見ると藤蔓を採りに行く時などに使うナタでしょうか?刃物の鞘と言えば木製や革製、樹木では桜皮、竹で作られたものもありますけれど何と藤鞘に入れられていました。論田、熊無の藤箕製作技術として国の重要無形民俗文化財の指定を受けた伝統の藤箕作りは続きます。


600年の歴史、藤箕(ふじみ)について

竹虎四代目、藤箕


オエダラ箕に続いて今日は藤箕(フジミ)のお話しです。伝統的な農具である箕は昔から全国各地で作られてきました。とりわけ富山県氷見市論田、熊無地区の藤箕は600年の歴史があって、明治末期で5万枚、大正期から昭和初期には何と年間10万枚を超える製造がされていたと言いますから驚きます。


竹と雪


雪の降り積もる時期に屋内で出来る仕事として農閑期の貴重な収入源でもあったと思いますが、それでも今では想像もできないような物凄い量です。おそらく材料も大量に必要だったでしょう、使われる材料は藤、矢竹、ヤマザクラ、ニセアカシアなどです。


矢竹


矢竹は成長が早いので問題ないとしても、山々から採取してくる他の素材は大変です。藤箕はニセアカシアをUの字型に曲げた骨に藤蔓と矢竹で編み込んで作られますがニセアカシアの代わりにヤマウルシが使われたりするのは不足した部材を補うためだったと考えています。


昨日お話しさせてもらったオエダラ箕も昭和40年頃の最盛期には材料のイタヤカエデを伐り尽くしてしまい、代替品としてやはりヤマウルシが使われていた事もあったそうです。


藤箕製造作業場


それにしても近年生産量が激減しているとは言え、ほんの2~3年前まで2000枚もの製造がされていたのは驚異的です。現在でも400枚もの製造がされると言う産地は国内では皆無、つまり日本では希少な箕の一大産地なのです。


藤箕繊維


箕作りは10月から3月の間にされています、雪の降り出す前に採取した藤の蔓を水にさらして叩いて柔らかな繊維質にして、縦にズラリと並べた矢竹にゴザ目編みしていきます。


藤箕職人


藤と矢竹で編まれた藤箕は、堅牢で当たりが優しくプラスチックの容器ではキズ付きやすい芋類などの運搬にも多用されています。竹を網代編みした土佐箕なども柔軟性に富んでいるものの藤はさらに柔らかく収穫物を丁寧に扱える事が素材や編み方から伝わってきます。


藤蔓、トイソ材料


藤皮を煮沸して乾燥させた「トイソ」と呼ばれる紐状のもので持ち手はしっかり巻かれ強さと同時に持ちやすい作りです。そして、傷むことの多い口先端部分はヤマザクラの樹皮で補強されていて農作業用の実用的箕として軽くて丈夫な逸品に仕上がります。