今年のビックニュースのひとつに2025年大阪万博の開催決定がありました。ロシアのエカテリンブルク、アゼルバイジャンのバクーという都市と競い合って大阪に決まった瞬間の松井大阪府知事をはじめ関係者の皆様が大喜びする姿は何度もテレビ番組で放映されていましたので印象に残っている方は多いと思います。
前回の日本万国博覧会・大阪万博1970(EXPO'70)の時には小学校低学年でした。あの活気と賑わいは子供心にも凄い事だと感じながら会場を歩きました、岡本太郎の製作した太陽の塔に入った事は今でもハッキリと覚えています。その前で母や妹、弟と共に撮った写真では自分だけ余所見しています、この頃からすでに天邪鬼だったのかも知れません(笑)
嬉しいことに当時の様子やチケット等も母が写真と一緒にアルバムに色々と書いて貼って残してくれています。何と今では週休2日が当たり前となっている竹虎も、その頃は忙しい事もあったのか日曜日も月に一度しか休みがなかったようです。自分が生まれる前には3交代制で24時間操業していた話を聞いていましたが、本当にここ数十年で日本の労働環境は随分と変わってきたことが分かります。
だから、小さい頃から関西の竹屋さんや職人さんの所を周らせてもらう機会は多かったものの家族旅行として県外に行くような事はあまりありませんでした。そこで、たまに来たからと中央区の本政寺にある高祖父、山岸安兵衛の奉塔にお参りさせてもらっています。
自分は今でも帽子が好きなのですが、この頃からいつもかぶっていました。お墓参りには万博の売店で気に入って買ってもらった帽子を被っています。帽子には「EXPO'70」の文字と世界各国の民族衣装の身を包んだ人達が描かれていました。国によって、こんなに服装に違いがあってカラフルで楽しそうでと遠い世界に心弾んだものです。
実はこの帽子が好きで好きで虎竹の里に帰って来てからも、何処に行くにもずっと被っていました。学校はもちろん、遊びに行く時にも必ず被っていたある日、校長室に呼び出されたのです。
「ヨシヒロ君、あなたは帽子を大事にしているね、それは良い事だ。しかし、もうボロボロになっている、そろそろ捨てなさい」
呼び出されて帽子を捨てろと校長先生に言われる生徒は多くないと思います。しかし、そう言われて帽子を改めてみると確かに汚れて真っ黒になったヨレヨレ帽子には穴が開き、ツバは破れ、それはひどいものでした。
あの万博が又やって来るのか...大晦日に遠い日を思っています。